松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

運動会の練習

2009-10-05 21:28:10 | Weblog

 運動会の練習が盛んである。練習は次のようにしたい。
○ 日ごろの体育学習の集大成でありたい。
  体育の時間やその他の時間に少しずつ練習をしておく。これにより、演技の練習が教育となり得る。また高度な技をなし得ることになる。
○ 技の追求をさせること。
   だらだら、へらへらやるのであればやらないほうがよい。技は、できたらよいのでなく、より美しくできるようにする。ここでは教師の高い価値観が必要になる。
○ 演技だけでなく、応援席から入場門、入場門から演技場、演技場から退場門 退場門から応援席へとすべてを一連の演技とする。
○ 「待つ、立つ、歩く、走る」これらの運動や姿が美しくできるようにする。このことにより主運動の演技が生きてくる。
○ しっかり教えたら、先生はだんだん手を退いて、子どもたちだけでできるようにする。 先生はいつまでも子どもにくっついて小言をいわない。
※ 運動会が近づいてきて、はじめてバタバタと演技の練習をさせる。これでは、運動会での教育的な意義はない。教師が子どもを引きづり回している。子どもは受け身になり、やらされているだけである。
時間がないのでただ形だけができればよいということになる。腕をいっぱい伸ばす、足腰を十分に曲げる、つま先まで神経を入れる、目線を指先に向ける、リズムに合わせる、笑顔で表現するなどの追求をしなければならない。これらは、運動会の練習を見ていて強く感じることである。