花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「NHK八重の桜、西郷隆盛・鹿児島の城山で死す」

2013年09月26日 15時23分00秒 | ちょっと気になること
9月22日(日)のNHK「八重の桜」で西郷隆盛が故郷・鹿児島の城山で側近の別府晋介に介錯を命じ、最期を遂げました。八重の桜は毎回楽しみにしていますが、最近、なんとなく違和感を感じ始めています。

新島襄は男女は平等であるとして、自分を「ジョー」と呼ぶように八重に申し付けますが、妻の八重に向かって「八重さん」と“さん”付けしています。自分の妻に、”さん”付けするのは果たして、史実なのでしょうか? 幕末にアメリカに密航して、女性を尊重する白人の文化に新島襄が感化(洗脳?)されたからとしてドラマで創作したものでしょうか? 

「八重の桜」では、西南戦争は会津が賊軍という汚名を注ぐ絶好の機会であり、佐川官兵衛(会津藩家老)や山川浩ら旧会津藩士の奮戦が描かれています。今まで、このような考えをしたことが無かったのですが、さもありなんと思う半面、八重の桜の描写は、どこまで事実か、と気になっています。ドラマとして割り切ればよいのですが。。。。

ところで、西郷隆盛は明治維新の最大の功労者でありながら、西南戦争を起こし新政府に反逆したということで、靖国神社に祭られていません。西郷が新政府と袂を分かったのは、「征韓論」に敗れたからと言われています。然し、西郷の主張は、軍を朝鮮国に派遣するというものではなく、「まず特命全権大使として自分が一人で護衛も付けずに朝鮮国に赴き、国王の実父である大院君と意を尽くして話し合うべきだ。それでも応じなければ、議を世界に明らかにして出兵すべきだ」と太政大臣代行の岩倉具視に意見しましたが、結局入れられずに鹿児島に帰ったというのが事実です。

歴史に“もしも”はありえませんが、あえて“もしも西郷が朝鮮国に赴き大院君と腹を割って話しあい”が出来ておれば、その後の東アジアの情勢は今とは全く異なっていたかもしれません。日韓両国はロシア、イギリスなど西欧列強に、友好国として共に立ち向かい、その後も、日本による朝鮮半島領有なども無かったかも知れません。 西郷さんのような大きなビジョンを持った平和主義者が現れて欲しいものです。

(2013年9月26日 花熟里)
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