花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「山岡鉄舟  伝統を重んじ、無私と清貧の生きざま」

2013年10月10日 12時05分58秒 | ちょっと気になること
6月末~8月上旬に骨折で入院したときに、集英社文庫「命もいらず 名もいらず(上・下)」(山本兼一著)を読みました。 改めて、山岡鉄舟の無私の人間性にふれ、鉄舟がいなかったら、明治維新は違った姿になったであろうと認識しました。

西郷隆盛は鉄舟に向かって「生命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困りもす。 そういう始末に困る人物でなければ艱難を共にして国家の大業は為せぬということでございもす」と言っています。(下巻141頁。これは、『南洲翁遺訓』にあるあまりにも有名な言葉です)
全く私心のない西郷と山岡という二人だったからこそ初対面であるにもかかわらず、お互いに信頼感を抱いたのです。 同じ幕臣でも政治センスに抜きん出、型破りで派手な言動の勝海舟に比べて鉄舟は知名度では大幅に劣りますが、江戸城総攻撃中止の幕府側の実質的な功労者です。後日、西郷が宮内省侍従職(実質明治天皇の教育係)に山岡鉄舟を推挙していることでも、信頼の厚さがわかります。

山岡鉄舟については、TVドラマ「最後の仇討ち」(2011年:テレビ朝日)で、武士の誇りを持ち続けた人物として登場します。 この、「最後の仇討ち」をご覧になった方も多いと思います。筑前・福岡藩の支藩である秋月藩で明治元年(1868)に、攘夷派による開明派で藩執政であった臼井亘理(六郎の父)、さらに母と妹が惨殺されたので、長男の六郎(10歳)は仇討ちを決意し、遂に、明治13年(1880年)に父を惨殺した同じ旧秋月藩士の一瀬直久(東京上等裁判所判事)を殺害した事件が「日本で最後の仇討ち」として取り上げられています。

父の敵の一瀬が東京にいるらしいとの情報を得た臼井六郎は上京し、北辰一刀流の山岡鉄舟の家に住み込んで剣の腕を磨き機会を窺っていました。明治6年に「仇討禁止令」
(復讐禁止令)が発布されており、仇討ちは単なる“殺人”で死罪になる可能性があります。 山岡鉄舟は六郎の仇討ちの意思を察して厳しい剣の指導を行います。 六郎は首尾よく一瀬を斃し自首します。山岡鉄舟は快挙を讃え獄中に何度も差し入れをしたと伝えられています。

東京上等裁判所上席判事・中江正嗣は、「自首するといえども本来ならば死罪を申しつくるところ、士族たるにつき、罪一等を減じ、終身禁固刑に処す」と判決を読み上げます。 山岡鉄舟は中江に「士族たるにつき、という言葉で十分で御座います。有難う御座いました」といって、深々と頭を下げます。
また、廃藩置県後ひっそりと長屋暮らしをしている秋月藩の元城代家老・吉田悟助(開明派の虐殺を命じた人物)は中江判事に、「臼井六郎の行為は立派な仇討ちであり、殺人ではない。開国だ、近代化だと言いながら、お前たちは日本人の誇りまでドブへ捨てようとしている」と語気を荒げます。
(帝国憲法発布による大赦で臼井六郎は明治24年に釈放されています。)

TVドラマ「“必殺仕掛人”を始め多くの“必殺シリーズ”」は“晴らせぬ恨みを闇で晴らす”という特異なテーマでしたが、法律では悪を裁ききれない現実に憤りを感じている庶民の絶大な人気を得、20年以上も放送されました。  平成の現在でも、明白な証拠が無いばかりに法律をすり抜けることを許される者がいる一方、加害者の罪の軽さに対して憤りを覚えている被害者の遺族が多くいること、などなど、法律や裁判結果が必ずしも法の下の平等になっておらず、現実の庶民感情とはかけ離れている場合が多いのです。
「最後の仇討ち」が発生したのは、明治になって僅かに13年、社会の仕組みは変わりつつありますが、人の思考は急には変わるものではないことが、このドラマの中でも度々語られています。判決は、仇討ち禁止令を前提としつつも、当時の世間の人々の感情を慮り、「士族たるにつき」と特例を認めて終身禁固刑として妥当なものになっています。

ところで、先般最高裁判所で婚外子に対する相続を嫡出子の1/2とする民法の規定が憲法違反との判断が示されました。子供が親を選べないというのが理由です。東日本大震災で家族の絆が重要なことが言われましたが、家族とは何か?、法的に平等になる婚外子と嫡出子との現実の関係は? など深く考えるべき課題が突きつけられている現在、最高裁判所の判断は時期尚早だったと思っています。
山岡鉄舟は日本人に脈々として受け継がれてきた古きよき伝統を一挙に捨て去ることの危険さを憂えています。秋月藩元家老・秋田悟助が中江判事に投げつけた痛烈な言葉が山岡の気持ちをよく表しています。

太平洋戦後、占領軍を解放軍として見なして、それまでの文化を全て悪しきものとして安易に否定してしまい、古事記・日本書紀は“皇国史観に繋がる神話”として学校教育から除外され、マスコミなどでも冷淡な扱いをされてきました。 しかし、伊勢神宮の20年に一度行われる式年遷宮が、1300年も続いていることは世界に誇るべきことですが、TV各局では内宮、外宮の「遷御の儀」の模様は、神聖な儀式ということもあり中継はされず、冒頭の一部が放送されたのみで、後日、BSフジのみで映像放送されました。 多分、全国ネットで「遷御の儀」の全貌を放映したところはBSフジ以外に無いのではないでしょうか。 特に、国民の受信料で運営されているNHKが式年遷宮に冷淡であるように見えるのは、私だけでしょうか? 20年に一度という厳粛な行事を多くの人が見たかったのです。 NHKには日本の伝統行事をタタイムリーに国民に伝える義務があるのではないでしょうか。安倍総理が”私人“として10月2日の内宮の遷御の儀に参列しましたが、堂々と”日本国総理“として出席できるようにする時期に来ています。

他方、幕末明治維新を生きた英傑の中で、山岡鉄舟、西郷隆盛、西郷の竹馬の友・大久保利通などは私心が全く無く、清貧の生活を送っています。 今や、『井戸塀政治家(私財をなげうっても国民のために政治に没頭したため、家・屋敷が「井戸と塀」しか残らなかった政治家)』という言葉は全くの死語になってしまいました。 政治に金がかかることを理由に、国民の血税から政党助成金が当たり前のように支払われています。 政党助成金の精神など理解もすることなく、国民・国家のことなどどこ吹く風で、自分の権力欲と金銭欲を満足させるためだけに政治家になった輩ばかりのようです。 政界を浄化するには、粘り強く日本人の民度が上がるのを待つしかないのでしょうか。

(2013年10月10日 花熟里)



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