花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「海外日本人慰霊碑と“日本人の心”」

2013年04月10日 17時11分51秒 | ちょっと気になること
今年に入って、産経新聞に海外日本人慰霊碑に関する記事が3回掲載されました。いずれも、日本人として深刻に受けとめなければならない問題を提起している記事です。
1月24日付:『日本人の心は残っていますか」海外の慰霊碑のありようを嘆く』
4月4日付:『日本慰霊碑に「×印」落書き 米サイパンなど、中国語で「打倒日本」表記も』
4月9日付『サイパン島「バンザイクリフ」でピースサイン 日本人のモラルは…』

1月24日の記事では、鹿児島の陶芸家・第14代の沈壽官氏が、「海外の慰霊碑はどうなっていますか。日本人の心は、ちゃんと残っていますか」と訪問してきたジャーナリストの笹幸恵氏に問いかけていますが、心にグサリと来ました。私は沈壽官窯のある“鹿児島県日置市東市来町”に近いところで青春時代を過ごしましたが、朝鮮半島から連れてこられた人々の末裔は、高い陶芸文化を伝える高尚な人々であり、藩主・島津家から士分を与えられるなど手厚い処遇を受けていたこともあり、地域の人たちからは、尊敬されることはもちろんのこと、別格の存在とみなされていたと、母を始め、地域の皆さんから聞かされていました。朝鮮半島に祖先をもつ沈壽官氏が、日本人が“日本人の心”を失っていることを憂えているのです。

4月9日の記事では、なんと、日本人の観光者がサイパンの「バンザイクリフ」で、ピースサインをして写真撮影をしていることが報じられています。まさに、沈壽官氏の「日本人の心を失った日本人」という指摘が如実に示されているのです。電車の中などでの飲食やごみ出しなど、携帯電話をしながらの自動車や自転車運転など、日常の多くの場面で、モラルの低下が指摘されています。
安倍総理が、義務教育で道徳教育の教科化を進めようとしていますが、戦後の誤った教育によって「日本人の心」および「人間としてのモラル」を失ってしまった国民があまりにも多く、こちらの対策も早く進めてほしいと願っています。

4月4日の記事では、マリアナ諸島の米領サイパン、テニアン両島にある日本政府建立の慰霊碑や旧日本軍の施設跡で、中国語の落書き被害が相次いでいる、と報じられています。
記事の概要は次の通り。
<サイパン>
島北部の「中部太平洋戦没者の碑」の「日本国政府」と刻まれた上に2つの×印。
慰霊碑に隣接する旧日本軍施設の壁面に、中国語で「尖閣諸島は中国の領土」。
<テニアン>
島北部の日本海軍第1航空艦隊司令部跡の柱に「中国万歳」「打倒日本帝国主義」。
沖縄県出身者の慰霊碑に、日本人を豚に例える中国語の蔑称「日本猪」。
島南部の「スーサイドクリフ」で、慰霊碑にガムがつけられたり、碑が動かされた。

海外の地で尊い命を失った多くの日本人の慰霊碑の建立の経緯は様々だと思いますが、日本政府はもとより、慰霊碑のある地の「日本大使館・領事館」さらには「日本人会」などに慰霊碑保存に本腰を入れていただきたいと切に思うようになりました。
私がインドネシアに駐在していた時に、わずか、3箇所ですが、日本人慰霊碑・日本人墓地を訪れたことがありました。 当時は日本人慰霊碑について深く考えることはかったのですが、今になって、反省しています。


『日本人の心は残っていますか」海外の慰霊碑のありようを嘆く』
(産経新聞:2013.1.24)
http://sankei.jp.msn.com/life/print/130124/art13012408130002-c.htm
【40×40】笹幸恵
 芸術に疎く、美的センスも持ち合わせていない私だが、先日縁あって鹿児島の沈壽官(ちんじゅかん)窯を尋ねた。数々の万博や展覧会で世界的にも高い評価を得ている薩摩焼の宗家で、15代続いている。
 薩摩焼は、1598年、慶長の役(朝鮮出兵)に参加した薩摩藩主・島津義弘が朝鮮から連れてきた陶工たちが祖である。彼らは国を思いながら薩摩の地で技術を磨き、島津家の庇護もあって薩摩焼を発展させていった。大正15年生まれ、すでに一線を退いている十四代沈壽官氏は、司馬遼太郎が著した『故郷忘じがたく候』の主人公だ。
 その十四代から、司馬氏との交流の日々を聞かせてもらった。人間味あふれる2人のやりとりはじつに魅力的で、時を忘れた。自らを「茶碗(ちゃわん)屋」と言う。若い頃は、朝鮮征伐などと言ってケンカを吹っかけてくる連中と渡り合った。戦時中は予科練に志願したいと親に頼みこんだこともあった。軽妙な語り口とは裏腹に、時折、鋭い眼光がメガネの奥から覗(のぞ)く。私は自己紹介代わりに、拙著『女ひとり玉砕の島を行く』を手渡した。海外の慰霊巡拝のルポルタージュだと知ると、彼は静かにこう言った。
 「海外の慰霊碑はどうなっていますか。日本人の心は、ちゃんと残っていますか」
いきなり本質をついた問いに一瞬たじろいだ。残念ながら、慰霊碑の多くは落書きされ、銘板は剥がされ、草むらに埋もれてしまっている。そこに「日本人の心」が残っているとは言い難い。いや、この現状こそ「日本人の心」であるならば、一体どれほど地に落ちたことか。自身にまとう歴史的運命を受け入れ、その伝統とともに誇り高く生きてきた十四代を前に、私はただ恥じ入るばかりだった。
 かつての将兵たちは、まさに故郷忘じがたく、今も日本の行く末を見守っているに違いないのだ。その足元を忘れ、目先の出来事についてごちゃごちゃと勇ましいことばかり言う日本人の何と多いことだろう。海外の慰霊碑のありようを思うにつけ、その薄っぺらさが情けない。(ジャーナリスト)


『日本慰霊碑に「×印」落書き 米サイパンなど、中国語で「打倒日本」表記も』
(産経新聞:2013.4.4)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130404/chn13040408020003-n1.htm

『サイパン島「バンザイクリフ」でピースサイン 日本人のモラルは…』
(産経新聞:2013.4.9)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130409/trd13040920430016-n1.htm

【2013年4月10日  花熟里】
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