松尾芭蕉が神田川沿いの「竜隠庵」という庵に住んだと伝えられているが、確かな証拠は残されていないらしい。その、言い伝えを元に18世紀半ばに芭蕉を偲んで建てられた建物が、芭蕉庵の起源だそうだ。
目白台地から細川家縁の永青文庫の脇の急坂を神田川まで下ると、川に向かって芭蕉庵の正門がある。見学客の出入りは、坂道に面した木戸から行う。木戸近くにはそれらしい建物もあるが、お休み処となっている。戦後の建物だそうだ。
建物の奥にはひょうたん池と呼ばれる池がある。園路に使われる石も昔のスタイルで置かれており、ちょっと歩きにくいがそれらしい雰囲気を醸している。
神田川の対岸から芭蕉庵を望む。公開されているのは手前の落葉樹の部分までで、奥の常緑樹の生えている部分は敷地はつながっているが、一般の客は入れない。
跡で調べてみたら、芭蕉庵の奥は松平丹後の守の屋敷だったようだ。目白台への急坂を登るとそれらしい門があった。 現在では芭蕉庵とともにN家の所有のようだ。
目白台地から細川家縁の永青文庫の脇の急坂を神田川まで下ると、川に向かって芭蕉庵の正門がある。見学客の出入りは、坂道に面した木戸から行う。木戸近くにはそれらしい建物もあるが、お休み処となっている。戦後の建物だそうだ。
建物の奥にはひょうたん池と呼ばれる池がある。園路に使われる石も昔のスタイルで置かれており、ちょっと歩きにくいがそれらしい雰囲気を醸している。
神田川の対岸から芭蕉庵を望む。公開されているのは手前の落葉樹の部分までで、奥の常緑樹の生えている部分は敷地はつながっているが、一般の客は入れない。
跡で調べてみたら、芭蕉庵の奥は松平丹後の守の屋敷だったようだ。目白台への急坂を登るとそれらしい門があった。 現在では芭蕉庵とともにN家の所有のようだ。
芭蕉絡みの建物が、
あったように思うのですが…。
ほんとに、芭蕉と関係があるか、
ちょっと疑わしいですけど…。
こちらは椿山荘のお隣です。神田上水への音羽からの関口よりは少し上流ですが、江戸の絵地図にも登場する芭蕉縁の庵のようです。