板野家は、江戸中期に新田開発の頭取となり、それ以来豪農としての地位を確立したようだ。
越後の豪農だけではなく関東の豪農も、新田開発は莫大な富を蓄えるためのよいチャンスだったようだ。
表門をくぐると総茅葺の母屋がどっしりと構えているのが目に入る。建坪120坪の堂々たる屋敷だが、複雑な屋根の形が繊細な味わいを出している。
正面左には式台玄関があり、その左手奥が幕府の役人を接待する座敷スペースになっている。
座敷の中でも一の間は、流石の格式の高い造り。天井は高く、床の間や違い棚も規模の大きなものが設置されている。
確かに座敷は風格があり、歴史もついているのだが、この家の本当の見どころは別に存在する。
正面左側の座敷のさらに奥に内庭があり、それに面して書院が建てられいる。
建築年代は大正9年と比較的新しいが、それを補って余りあるものがある。
江戸末から大正にかけて、板野家の当主は多くの文人墨客と交わりをもち、そのサロンとして書院が建てられた。
その当時の文人たちの手による掛け軸や、襖絵など、その時代の文化を現わす装飾品が多数展示されている。
書院の二階。一階同様、豪華で工夫が尽くされた造りであるが、少しだけ簡素な感じである。
しかし、窓から外を眺めればそれこそ箱根の山奥にでも来てしまった感じを受ける。
越後の豪農だけではなく関東の豪農も、新田開発は莫大な富を蓄えるためのよいチャンスだったようだ。
表門をくぐると総茅葺の母屋がどっしりと構えているのが目に入る。建坪120坪の堂々たる屋敷だが、複雑な屋根の形が繊細な味わいを出している。
正面左には式台玄関があり、その左手奥が幕府の役人を接待する座敷スペースになっている。
座敷の中でも一の間は、流石の格式の高い造り。天井は高く、床の間や違い棚も規模の大きなものが設置されている。
確かに座敷は風格があり、歴史もついているのだが、この家の本当の見どころは別に存在する。
正面左側の座敷のさらに奥に内庭があり、それに面して書院が建てられいる。
建築年代は大正9年と比較的新しいが、それを補って余りあるものがある。
江戸末から大正にかけて、板野家の当主は多くの文人墨客と交わりをもち、そのサロンとして書院が建てられた。
その当時の文人たちの手による掛け軸や、襖絵など、その時代の文化を現わす装飾品が多数展示されている。
書院の二階。一階同様、豪華で工夫が尽くされた造りであるが、少しだけ簡素な感じである。
しかし、窓から外を眺めればそれこそ箱根の山奥にでも来てしまった感じを受ける。