ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

母の事

2005-11-22 | いろんな人
母は 東北の出身、農家の出。

私が小さい頃には
「世界中、は どうかわかんないけど、
 日本一綺麗なお母さん。」
と信じていた。

(小学校に入る頃に 
 そうではないことが判明。)


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昔 父が 無秩序に植えたたくさんの植木。

今 それなりに成長して 綺麗な色に染まって
楽しませてくれている。

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小さい頃の 母の記憶。

朝ご飯が終わって お茶を飲み終わると、
「は~~で! はだづど!」(=さて、始めるわよ?)
と叫び、

立ち上がると
朝食の後片付けを始める。

家中にハタキをかける。

家中を掃き掃除。
ゴミやホコリは 家の外に掃き出す。

このころは まだ 雨戸を開けたてしていた。



雑巾で 家中の板の部分を拭き掃除。

終わると、洗濯。
当然、
昔は タライに固形の洗濯石鹸に洗濯板!

軒下を掃く。
かやぶき屋根だから、
軒下の犬走りの幅は 80センチくらいはあった。

軒先に吊るした竹竿を 雑巾で拭いて
洗濯物を干す。

ここまで、大汗をかきながら
ハアハアいいながら
大車輪で働く。



それが終わると
嫁入り道具の三面鏡の前に座り、

それまで 後ろで束ねて一本マゲにしていた髪を解き、
逆毛をたてて 器用にアップに結い上げる。

それが終わると、お化粧の開始。
いろんなのを 次々と顔に塗り、
パタパタおしろい、
最後に口紅。

その 変身の過程を
そばにいて 見つめているのが好きだった。

最近の電車の中の若い女性のは 
好きじゃない。

(だから、電車の中でのオバサンの化粧は 
 もっと見たくない!)



今回 私が泊まると聞いた母は
翌日さっそく布団を干して
待っていてくれた。

これは 予想できたので
天気を見て 電話したのだが。



「おらい(=我が家)は 寒いがら。」
(注:「が」は鼻濁音ではない。)
と言って
電気毛布に掛け布団に毛布に、
何枚重ねてあったろう。

確かに、実家は 寒かった。



夜寝る時に

「首、寒いがら、タオル巻いておっけっせ。」

と、タオルをよこし、

「耳、冷たぐなっしゃーがら、
 これ巻いで。」

と、アクリルかウールのスカーフで
ほっかむりをすることを強要。

確かに、ないと寒かった。



私が更年期症状がある、と聞いて
「大豆がいい」と教えてくれた。

(知ってるけどサ、そんなの。)

黄粉がいい、これと すり胡麻を
スプーンに一杯ずつ
毎日のみそ汁に入れて飲むといい、
とも 教えてくれた。

(そうね、黄粉は やってないわ。)

そして、
ゴマは すりゴマではなくて、
炒りゴマを買ってきて
すり鉢で摺らないといけない、
とも 教えてくれた。

(私は、炒るところから やってるけど。)

それから 母は
炒りゴマと すり鉢・すりこ木を持ってきて
ゴリゴリと摺り始めた。

そうして摺ったゴマの一袋ぶんを
お茶の空き缶に移して、

「ゴマは 2週間 酸化しねんだど。」

どこかのテレビで聞いたような知識を
披露してくれる。

黄粉を一袋と 
汗をかきかき、摺ってくれた黒ゴマを一缶、

「明日 忘れねで 持ってがせ。」

とよこす。



愛情深いのも 押し付けがましいのも
昔と変わらない、母だった。

その愛は その夜の布団と同じくらい重く、
身動きがとりにくかった。