ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ある女性

2005-08-26 | 乳がん
その女性が亡くなったことは、
「風のうわさ」という形で
我が家にもたらされた。

亭主は半信半疑だった。

それを確認したのは 私だった。

ご主人が 責任ある立場の方だったので、
その妻の訃報として
新聞に載っているのを
見つけたのだった。



その女性は
亭主の同級生。

と言っても、
年齢はいくつも上、
大学院でご一緒させていただいた方で、
私も名前は知っていた。

最近では
大事業を成し遂げて
亭主もお祝いの会に行ったはず。

死因が何であるかは 新聞に書いてなくて、
とにかく行ってくる、と
亭主は出かけた。

2005年1月の 下旬のことだった。



予想より早く葬儀から帰ってきた亭主も
一緒に夕餉の食卓につき、

淡々と 今日の様子を語る。

その 何でもないような様子に
少し安心して

私は 不用意に
「なんで亡くなったの?」
と聞いた。

一瞬、亭主が息を止めた。

その一瞬で、私にはわかった。



「それがね。

 乳がんだったんだよ。」



頭脳明晰で 
亭主の事を可愛がってくれた女性。

夫を 超一流の人間に仕立てた女性。

子供ふたりを 一人前に育てた女性。

求める事を止めず、
近年では
著書を一冊ものしている。

一大事業を成し遂げて、
盛大なお祝いの会が催されたのも、
つい数年前。

今回は
後継者としても不足のないように育てた
ふたりの子供が
紹介されたという。



亭主が 
あの女性には 最後までかなわなかった、
と言った。

本まで書いて出版したし。

普通なら あれだけの立場の夫をもったら
内助の功だけでも 手一杯だろうに。



私は。

私は、
どうして自分は生きているのだろう、
と思った。



どうして、
彼女は死んで、
私は死なないで生きているのだろう。



考えても 答えが出るわけもなく。



私と同じように、
癌が大きくなるまで
検診に行かなかったのだろうか。

忙しさにかまけて、
「そのうちに」で 
何年も過ぎてしまったのだろうか。

本も出し、
子供も育てあげ、
大事業を成し、

もう ‘死んでもいい’状態だったのだろうか。



そうは思えない。

死んでもいい、なんてことは
生きている限り、
ないはずだ。

人は 生きていたい、という欲がある。

だから、生きていける。

本能が、生きろ、と教えてくれる。

だから、人類は滅びずにいる。



乳がんは 
(炎症性などの特に悪性のものは
 どうかわからないが)

ほんのわずかずつしか
大きくならないらしい。

私の乳がんも
十何年かかって ここまで大きくなった、
と言われた。



ならば、
あの時の 彼女は
もう 乳がんに冒されていたのだ、
などと 亭主も一緒に考える。

お祝いのセレモニーで 
あいさつをした頃、

もしかしたら 
もう 乳がんとわかっていたかも知れない。

子供たちの様子を見ると、
もう 長くないとわかって

急に後継者として仕立てたらしい感じも
見受けられる。

癌とわかって

そして

長くないと知って

どんな日々を

彼女は

彼女の夫は

彼女の子らは

送ってきたのだろう。



そして。

彼女が死んで。

どうして

私は

ここに

こうして

生きているのだろう。



きっと 
やり残している事が いっぱいあるんだね。

きっと 
私が 癌になったことにも
こうして生きている事にも
何か
意味があるんだね。

でも
それって
なんだろう。