ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

蚕と地蔵盆

2005-08-24 | 明るい農村
これは、お散歩コースから見た、
隣りムラの 農家。

当地の古い農家の造りは、
総二階作りで、
みんなこんなふう。



腰の曲がったタアちゃんちは
この3倍くらい、

私の好きな石仏のある
ようちゃんちも、

定年後 夫婦で無農薬栽培をしている
みっちゃんちも、
6倍くらいある。



今は米も作らず
畑作一辺倒の当地の農家だが

以前は
一面の桑畑で、

養蚕が盛んだったという。

カイコの卵(タネ)を売買する
タネ屋もあったとか。

生糸の相場の大暴落などのせいか、
今では一軒も残っていないが、

農家の造りに名残がある。



その造りでは
二階がだだっ広い。

カイコを飼育するカイコ棚を
二階に作っていたのだそうだ。

竹で編んだ通気性のよい棚板に
カイコがワサワサと居て、

そのカイコに餌となる桑の葉を与える。

相手は生き物、
カイコの期間中は
農家はどこへも出かけられず、
朝に夕に カイコに桑の葉を与える。

大きな農家では
二階に設けた蚕室を行き来するのに
歩いていては間に合わないと、

なんと、二階を 
自転車で行き来していたのだそうだ。

すげえ!



イバラキの実家のそばにも
カイコ(お子様と呼んでいた)を
飼っている家があった。

可愛いから、可愛そうだから、と
農耕牛を 最後まで飼っていた家だった。

お爺さんとお婆さんが健在だったので
カイコに回せる手があったのだろう。



私はその家の縁側で
お婆さんが
繭を熱湯につけたり(残酷!)

カラカラと糸車(?)を回して
糸を紡いでいる所を見せてもらった記憶がある。

年寄りの稼ぎとしては
かなりいい小遣いになったらしい。

カイコが一段落すると、
爺ちゃんと婆ちゃんは 
どこかへ泊まりで遊びに行き、

母ちゃんは母ちゃんで
舅・姑がいない数日で
ホット一息。

農家だろうが サリーマンだろうが、
みな 働き者だった頃の話。



このカイコの飼育が、
7月のお盆や8月のお盆では
忙しい時期にあたるので、

当地のお盆行事は
そのころ 地蔵盆にあわせていた、
と聞いた。

今日は8月24日、
月遅れの地蔵盆。

お地蔵さまは 四の日が縁日らしい。

「お婆ちゃんの原宿」として有名になった
巣鴨のとげ抜き地蔵尊では、

きょうも 
いや、いつにも増して(笑)
お年寄り達で賑わうのに違いない。

2 コメント

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2005-08-24 20:22:09
私が小学生の頃飼っていましたね。(昭和30年代)でも段々飼うのも止めて、桑畑は、柚子畑に変わってしまいました。

それにしてもそちらの農家の大きさは凄いですね。自転車で行き来するなんて考えられない。



桑の葉摘み、コクソを変えると言った蚕の糞を変える作業は、両方で網端を持って、新しいえびらに置いて、古いえびらの分を捨てていました。日に何度していたのだろうか。桑の葉を食べる音がざわざわとしていました。蚕が糸を吐くようになると、「まぶし」に蚕を移していました。それは藁で編んだ、蚕の寝床?その繭を集めて、町の製糸会社に持って行っていたようで、私は家での糸クリは記憶にないけど、クズ繭?は家で使っていたようですね。

機織屋という名残が有り、そこには使ってないけど、機織り機がありました。

何事も手作りの時代でしたが、急激に安くて便利で、丈夫なものが出てきてしまい、廃れてしまいましたね。
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ああ、‘えびら’と言うのでしたね。 (ジョルジュ)
2005-08-24 20:49:51
私も 滅多にカイコを見に行ったりしなかったので、

あのザワザワという音は印象的だったらしく、記憶にあります。



くず糸を集めて織った布地の味わいも捨てがたいもの。

廃れてしまって、惜しいなあ、と思いますが、

何事も効率優先の時代、

お金にならなけりゃ 何にも残っていませんね。

それはそれで 仕方のないことですが、

残念です。

羊毛を紡いだり染色したりする方は ‘かっこいい’とされて 

スローライフの象徴のように ところどころで 半分観光地化されて続いていますが

日本の古いものは 跡形もありません。

博物館にでも行かなけりゃ。寂しい事です。



自転車で二階を行き来するのは 限られた豪農だけだったろうと思います。
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