ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

なかなか書けない

2016-09-29 | なんでもないこと
記事の更新ができない。

次は、あの記事だ! と思っているせいか?

小難しい事を書かなきゃいけない、と思っているのか?

状況が ブログを始めた頃と 
少しは変わってきているのは、確かだが。

所詮、ブログは、ブログ、
匿名で、好き勝手気ままに書き散らして、
それでいいじゃん! と思っていたはずなんだけど。



書かないでいるのも 欲求不満になるので、
なんでもない事を書く。

カテゴリーにも「なんでもない事」があって、
それが一番多いはずなんだけど、
何考えてんだかなー、私。








娘のお土産のTシャツが、きつかった。

肌触りは悪くないので、
棄てるのもなんだし、と思い、
運転席に着せる事にした。

今なら、きつくなく、着られそうな気がする。。。





雨の多い夏から、雨の多い秋になった。

毎日、花に水遣りをしなくて済むが、
土建屋の社長の息子は、
仕事が進まなくて、参っていた。

     
     スイフヨウは 毎年 思い切り切り詰めるのに、よく咲いている。


     
     一重の方が 形が単純で美しいと思い、
     八重咲きを買った事を後悔していたが、
     これはこれで、やっぱり、キレイ。


   金木犀が ムラじゅうに香りを広げる季節になった。


コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

『男のおばあさん』

2016-08-06 | 読書
以前、おすぎとピーコに
「男のオバサン」と呼ばれた人がいた。

永六輔氏だ。

「男のオバサン」。

う~~ん、そう言われてみれば、なんとなく、わかる(微笑)。

でも、住井すゑさんには
「あんた、男にしておくのが惜しい」
と言われていたそうです(笑)。(大晩年 p.142)

その「男のオバサン」が、年をとって、「男のおばあさん」になった。

83歳、「男のおばあさん」が亡くなった。










とうとう亡くなったか、という感じで受け止めた。

数冊、永氏の本を読んでいたので。

パーキンソン病という病気の事を、それとなく知っていたので。



2014年4月に『大晩年』という本を出している。

               

上の写真にはないが、真っ赤な帯がついており、

「『大往生』から20年――死ぬのが怖くなくなった」とある。

裏表紙側には、

「妻や友を見送り今だからわかること――若い頃は、
 死ぬのは怖い、寂しいことだと思っていました。

 『大往生』を書いた頃も、
 最期が近づくと怖くなるのかな、と思っていました。

 でも、実際にその時が近づくと、
 不思議なことにちっとも怖くありません。

 親しい人が亡くなっていくごとに、
 皆さんが先に行っているというだけの話なんだ、
 後から行けばいいんだ、
 と感じるようになったのです。」


という、本文(p.147)からの文章がある。



これは私の普段の考え方と同じだ。

ただ、私はまだ娑婆に居たいので、
怖いわけではないが、
我欲がたっぷりで、そんなに悟り澄ましてはいないのだけれど。

「先に逝ったのね。私はもっと後から逝くわ」
という感じなのだけれど。



2冊とも、パーキンソン病に関しては、
医師の説明部分を含めて、患者の心情がよくわかる名著だと思う。

『大晩年』(中央公論社、2014.4.25、1300円)

『男のおばあさん』(大和書房、2013.6.25、1400円)






永氏は、作詞家としても活躍し、
ラジオやテレビ、映画にも出演していたうえに
『大往生』などの著作も盛んにしていて、
かなり多忙だったろうと思う。

私も亭主も 若い頃からかなり影響を受け、
著書もかなり読んでてきた。

私たちは 日本に住んでいる限り、
必ず 氏の音楽を聴き、氏の影響を受けて 生きて来た
と言っても 決して大げさではないはずだ。



永氏が作詞した曲を書き連ねれば、
「それも そうだったのか?!」
と思う曲が、山ほどある!

それは、これまでもいつもそう思ってきたけれど、
今回、さらに その思いを強くした。

その中に、「いい湯だな」がある。

ね? 驚かない?(笑)



7月12日の朝刊24面に、作曲家小林亜星の言葉がある。

ドリフの「8時だョ!全員集合」についた触れたた部分がある。

「この番組を、俗悪なバラエティーだという人がいたけれど違います。

 戦争で心の傷を受けた僕たちにとって、
 他人と勝ち負けをつけるのではなく、
 楽しく時間を過ごし、子どもたちを幸せに育てることは 
 切実な願いでした。」

「いい湯だな」は、「楽しく、生きることを肯定している」
と小林氏は伝えてくれている。

番組を見て育ったけど、それは、知らなかったなぁ!(笑)






多彩な氏の才能は、多様な分野で花開いてきた。

鯨尺を復活させよう、とか(実際に復活した。快哉!)。

米穀配給通帳のような、全く不要なものを法律で定めたままでいる
怠慢を改めよう、とか(米穀通帳は、廃止になった)。

さまざまに 私たちの目の届かない、気の付かない所に
目をやり、気づき、
ラジオなどで訴え続けてくれた人だった。

そして 卓越したユーモアには 真似できないものがあった。



あ、「天皇に和服を着ていただこう(天着連)」という運動は、
まだ結果がでてないな。

退位なさったら、お着物を召してくださるのかな(笑)。






永さん、さみしいよぉ。








小沢昭一という人がいた。

永氏と同様、古くからラジオ・テレビで、
また映画でも活躍した、面白い教養人だった。

永氏のラジオ番組同様、テレビを持たないアパート時代から
小沢氏のラジオからの<語り>に耳を傾けながら、
アパートの隣人に気兼ねして 小さな声で笑ったものだった。

「~の、こころだぁ!」というそのダミ声は、
今でも耳に残っている(苦笑)。

貴重な研究もなさっており、私はその死を悼んだ。

小沢昭一氏は 先に(2012年)亡くなっている。

親交の長かった永氏は、そうとうに、寂しかったろう。





大橋巨泉氏も亡くなった。

2月4日放送の「徹子の部屋」に
永六輔氏と共に出演したのを最後に、
治療に専念していたそうだ。

82歳だった。

徹子さんも 寂しいだろう。


コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

はじめまして

2016-03-29 | なんでもないこと
はじめまして、ジョルジュの孫1号です。

          



1号ですが、外孫です。

オトコです。

名前もつきました。

間もなく 産院を出て ジョルジュ家に行く事になってます。



ママがパソコンを占領していて パソコンに触れなかったと、
バアチャンは ブログの更新ができなかった事を
ママのせいにしています。

ママが入院してからは
毎日 ボクに会いに 病院に来てたから
やっぱりパソコンに触れなかったと
ボクのせいにもしています。

これからは もっと パソコンに触れないかもよ!?


コメント (12)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

肋骨の痛み 2016 つづき

2016-02-01 | 更年期
結論としては、とは言っても 私の推論なのだが、

“鬱滞(うったい)”

というのは、ビョーキである。

と、いう事なのだと思う。



鬱滞とは、ウィキペディアによると、
「血流などが静脈内などに停滞した状態を示す」
ということになっている。

また、
「東洋医学では 気のうっ滞のことを気滞、血のうっ滞を血滞といい、
 病の一つとされている」
のだそうで、

「血流など」の「など」の部分には
目に見える血液の他に 「気」をも含むようだ。

また、胆汁や静脈血などの滞りも含むらしい。

そして、リンパの流れの滞りも。






健康運動指導士の先生は、主目的である亭主の治療をし、
次に 私の番になった。

この日はお会いするのが3度目で、
先生は 私の乳がんをご承知だ。

どんな順番で施術してくださったのか、
もう覚えていないのだが、

それは 私の記憶力の粗末さだけではなく、
ありとあらゆる治療を施されたので
覚えきれなかった、
というのも理由のひとつだった。

そして、とにかく、
何番目の施術だったか、
先生は 私の肋骨をさすって、
「ここは?」と聞いた。

「ここは?」

「ここは?」

「こっちは?」

「こっちは、どう?」

「こっちは?」

そのどれもが、痛かった!

しかも、ハッキリとした痛みだった!

「な、なにすんの?!アンタ?!」

と叫んでもいいくらい、痛かった。

「ギャ~~~~!!!!!」と叫ぶほどでは、なかったが。






肋骨。

それをさするとすると、乳房が邪魔をするので、
大きく分けて 首に近い方、
乳房の下の、へそに近い方とがある。

そして、私はしばしば 肋骨と肋骨の間をさすっては、
痛みを感じていたのだったが、
今回は 骨と骨の間と、肋骨の上との、
どちらも、とても痛かった!



そこで先生は
「これは、全身をやってからの方がいいかな。」
とか何とか ゴニョゴニョ言いながら、
全身を動かさせたり動かしたり。

「? ? ?」なまんまで、
ただただ素直に いう事を聞く私。

それからまた 肋骨の辺りをさする。

上の方の部分は、身体の真ん中から、脇の方へ。

流す、という感じ。



下の方は、やはり脇の方へ、流す。

こちらは、そうしておいてから、
脇の下の方ではなく、ウエストの方へ向けて、流す。

優しく、丁寧に、しかし、しっかりと流す感じ。

人の手のひらは 不快な感覚はない。

まして、尊敬する方が、
ご好意で こんな田舎まで「行きます!」と言って
来てくれた。

外がどんどん暗くなるなか、
先生は せっせと私を動かし、
また 動かさせた。

そうして、私の肋骨の痛みは、
骨の上の痛みも、骨と骨の間の痛みも、
いつの間にか 霧消してしまっていた。





つまり、私の身体は
その時 特に肋骨周辺において
何かが(おそらくは、リンパが)鬱滞しており、

人は 鬱滞している状態においては
そこここが痛みや不快な症状を感じるようにできている、

のでは ないだろうか。



とにかく、その頃の私は ひどく疲れていて
身体のどこが悪いのか、わからないくらいだった。

治療を受ければ気持ちが良いだろう、
という程度で受けた治療で、

「人は 健康ならば こんなに心地良くいられるものなのか!」
という思いをした。

それは、衝撃的なほどだった。






もちろん、その後もしばしば 気になるからこそ、
胸に手をやり、さすってみたりしていた。

肋骨の辺りだ。

すると、痛い時がある。

おっと、イカン、イカン。

せっかく快適な状態にしてもらったのに。

で、せっせと、さする。

手のひら、手の指で、ナデナデ。

ヾ(・ω・*)なでなで。



力を入れると、また別の部分が不具合を起こす。

力をあまり入れずに、優しく、しかし しっかりと。

それで痛みがなくなるのだから、不思議でたまらない。






ただし、これをやると、
翌日、左(術側)の脇の下が痛む。

しなければ、痛くないのだから、
原因は この ヾ(・ω・*)なでなで である事は確実。

そして 反対側の脇の下が痛む事はないので、
やはりこれは リンパ節の有無が関与しているのではないだろうか。

すみません、推論です。





血液の循環を良くすれば、身体は温まる。

温かければ、それだけで不調は改善するだろう。

リンパ球の循環を良くすれば、
やはり 余計なモノを取り除くように 体は反応するだろう。

それを 人は 「免疫力」と呼ぶはずだ。



痛む所、不快を感じる部分を
人の手は 自然になでているものだ。

その手を ちょっとだけ意識的に使えば
効果は すごく上がるはず!

おまけに、自分の手のひらは どれだけ使ってもタダ!

だから、肋骨周辺に痛みを感じる人は、
優しくさすってあげてほしい。

ついでにもうひとつ、
これを 誰か 他の人の手のひらでやってもらうと、
極楽~~~!

でも、誰もやってくれない!(怒)






雑誌で ちょっとした記事を見つけたので、
オマケにつづく。


コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

肋骨の痛み 2016

2016-01-26 | 更年期
私のこの窓の記事の中で
一番読まれているのは、いつもの、アレ(苦笑)だが、

「肋骨の痛み」という記事も、
意外と多いようだ。

書いたのは、2007年の1月。

9年も前の記事だけど。

肋間神経痛かとも言われていたが、
この肋骨の痛みに
新たな展開があったので、追加記事を。






と、いうわけで(笑):2005-06-07


脇の下の痛み:2012-03-12



母は 更年期と呼ばれる時期に
胸の肋骨の辺りが痛む、と訴えていた。

私のこの肋骨の痛みも
ハッキリと認識したのは
というか、ハッキリした痛みがあったのは、
乳がんのホルモン療法で 女性ホルモンの分泌を止めてからだった。

だから、「肋骨の痛み」は「更年期」のカテゴリーだった。

「と、いうわけで(笑)」と  「脇の下の痛み」」は 
「乳がん」のカテゴリー。

どれもみんな、乳がんになったから、の 痛みなんだけどね。





年末に 左手の指先を怪我した私は 
バランスをくずした。

全身の、バランスを。



左手の人差し指に負担をかけないように。

左手の人差し指を使わないように。

左手の人差し指を濡らさないように。

とにかく、
左手の人差し指では 何も触らないように、
他の部分が 代わりを務めていた。

左の、親指、中指、手首、ひじ。

右手の全部。

それは、感じていたし、理解できたし、
予想もできた。



ところが、バランスを崩したのは、全身だった!

肩や 背中や 腰が痛んだ。

なんだ!? これは?!





癌以外の生活習慣病のデパートと化していた亭主の体調も
年末は最悪状態。

そんな時に
運動療法指導士の治療を受ける事ができたのは、
奇跡に近かった!

「運動療法指導士」というのは、
「運動療法」を「指導」する人なので、
治療を施したりする事はない。

が、ご好意で 個人的に治療をしに来てくださったので、
恐縮だったが 喜んで受けた。

それは、長年の経験と
科学的な裏付けと
それから なにやら怪しげなものと
全部がごちゃ混ぜになったような治療だった。

                      つづく


コメント
この記事をはてなブックマークに追加