ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

四十九日

2006-09-19 | 考えたこと
義母の四十九日は 2006年4月の半ばだった。

葬儀の時に導師を勤めてくださった住職に
亭主の実家に来ていただき、
ごく内輪の法要になった。

内輪と言っても 
我が家も家族全員行ったし
(娘はまたまた付け爪をはずして)、

義弟の一家もいるし、
義父と合わせてそれだけでも9人、

親戚の者も皆来てくれて、にぎやか。



足がしびれて歩けなくて、
お焼香するのに 
自分の席から焼香台のところまで行って
また自分の席まで、
全行程を手とひざですすんだ従兄弟の子も。

それでも真面目にお焼香してくれて。

別の従兄弟のまだ幼い子は 
お母さんがきっちり押さえつけて 
暴れないようにしていた。

終わった後で「偉かったね」と褒めておいた。



みな 普段は忙しくて 集まろうと言っても集まれない人ばかり。

義母のおかげで顔を合わせることができる。

特に義母の方の親戚は 朗らかな人が多く、
みんなが集まると 和やかでいい雰囲気。

こんな場所に義母が存在していないなんて、
残念としか言いようがない。



法要が終わったあとは
マチの結婚式場まで 式場の専用バスで向かい、
お清めの席に。

テーブル席、万歳!(笑)。

坂の下のお寺のご住職は お話の中で
「私のことを 私の昔の名前で呼んでくれる人が
 またひとり いなくなってしまった。」
とおっしゃっていた。

そういえば義父も
「あいつは、小さい頃は なかなかのキカン坊でな・・・。」
と言っていたっけ。

そんなかかわりがあったんだ。



私は普段 ‘ごあいさつ’というものは大嫌いなのだが
どの方の挨拶も みな意味があって
しかも可能な限り手短で(笑)、

‘じっくり聞いてもいいあいさつ’というのが
この世にあったんだ、と思った。



今回、義父からみなさんへの‘引き出物’は、
色紙と色紙立て(写真)。

色紙立ては 花台としてカタログに載っていたもの。

紫檀(または、紫檀色)。

これに義母のちぎり絵の作品をつけて
もらっていただいた。



義母の作品は 
私が全部数えたのだが
この普通の色紙の大きさのものが 
確か135枚。

それから ちょっと小さいもの、
手のひらサイズのもの、
ぐっと大きいもの、特大のもの、
それに 扇面形、短冊、うちわ、箸袋などがあった。



我が家にもひとついただいてきて、
どんな作品が入っているかと楽しみにしていた。

枚数を数えている時に
人様に差し上げていいかどうか迷うような、
まだ未熟な頃の作品がいくつかあったが

開けてみたら 我が家の一枚は
そのうちの
「これは、どうかな」
と私が思った、その一枚だった(苦笑)。

もちろん、もっとたくさん以前にいただいたのがあるし
これからもいただけるけれど
なんで、これかなあ、と思った。

きっと我が家に来る運命にあったんだろう。。。



この日に合わせて
亭主は 我が家の分の 義母のお位牌も用意して
お魂を入れていただいた。



我が家にはすでに
小ぶりだけれど私の父の位牌があり、
その位牌とほぼ同じ高さのもの。

ちょこっと出窓に出して撮影。



四十九日を無事に済ませると
またまた一安心。

そうして
本当の寂しさは これから始まる。