よく司馬史観とか、城山史観というようなことが言われる。あえて題すれば、「どうすれば史観」ということかな。筆者は、ひねくれ者でね、日本の近代は、原敬なかりせば、明治維新を起こした軍事革命政権が、植民地主義にのめり込み、最後は無謀な対米戦争で破滅したという極めて分かりやすいものになったと言って冷やかしたりするわけだ。近代史家が、政党政治の崩壊や協調外交の破綻という「美しいテーマ」を選べるのも、たまたま現れた傑物が、それを一度は形作ってくれたからだよと。
原敬の評価は、海外では極めて高いが、日本では今一つである。政府に代わり得る現実主義の政党を育て上げ、軍事政権から平和裏に政権を譲り受け、経済主義を据えて対米協調路線を打ち立てたのだから、もし、現代中国に、そんな政治家がいたら、ノーベル平和賞ものだろう。一方、日本では、原のリアリズムが嫌われるのである。
例えば、原敬は、普通選挙制に消極的で、漸進主義的だった。原没後、普選による大衆化の下で金権腐敗の問題が生じ、政党政治を危うくすることになる。リアリストの原は、それがよく分かっていたのである。原は清廉な政治家としても知られているが、それは価値観だけではない。また、検察勢力を政党に取り込むことにも意を用いている。岩手の後輩政治家・小沢一郎なぞ及びもつかない脇の堅さだ。
日本では、理想主義の政治家が評価されがちだ。普選などの民主化を高らかに叫ぶことが大切なのだ。おそらく、その流れなのだろう、緊縮財政も高唱される。民主化にまつわる腐敗や迷走の側面、緊縮財政に伴う国民の痛みや危険性は軽く見られがちだ。原敬政権も、積極財政でインフレ気味であったから、評価は下がってしまう。これを蔵相として担った、名高い財政家の高橋是清も、この時はダメだったとされがちだ。
原敬の積極財政は、政党地盤の養成、軍備充実による懐柔、経済力による植民地支配と、経済政策だけでは語れない、政治・外交上の重要な要素を含んでいる。逆に言うと、緊縮財政によって不況を呼び込んでしまうと、これらをすべて失うことになる。実際、浜口雄幸が金解禁で失敗してから、日本は転落の道を歩むことになる。
一般に、経済政策の失敗にも関わらず、浜口の評価は高い。金解禁に向けたデフレ政策は正しかったが、「不運」にも大不況に遭遇したというものだ。しかし、経済が外的ショックに襲われることは往々にしてあるもので、不運に遭遇したら経済が危殆に瀕するような政策を取ること自体が誤りなのである。経済政策に性急さは禁物なのだ。
時代は下って、1997年のハシモトデフレへの評価にも似たところがある。財政再建は正しかったが、隠れた不良債権やアジア通貨危機に足元をすくわれたという話である。これも運のせいにしてはならないだろう。財政再建は緩やかに進めておけば良かっただけのことである。焦る必要がなかったことは、その後の経済が証明している。
おそらく、日本人の財政への見方、「目標が正しければ、過激なことをしても構わない」という価値基準が反映されているように思う。逆に言えば、日本人の財政観が変われば、橋本、浜口、そして、原への評価も変わるだろう。それは、日本人が経済のリアリズムを理解するということなのである。
残念ながら、日本人は、まだ、そこに到達していない。震災で経済ショックがあり、日銀は今年の成長率を大幅に下方修正した。復興予算を組んで、経済の浮揚を図らなければならない。しかし、復興の中身より先に、増税や歳出削減の議論をしている。子ども手当の廃止も、公務員給与の下げも結構だが、それを実行する秋頃に、果たして十分に成長が回復している保障はあるのか。
そうなのだ、日本人は、またしても、「復興の勢いが弱い」、「米中の成長低下で輸出が伸び悩む」といった「不運」はないものと思い込んでいる。だから、復興と財政再建を一度に進めようとする。筆者は、増税や歳出削減に反対ではない。成長の回復を確認した後にすべきものなのだ。せめて、今年秋でなく、来年秋の実施で十分ではないか。日本人の懲りない悪癖がまた始まったのである。
(つづく)
(今日の日経)
国家公務員給与1割下げ復興財源に。人民元6.5元を突破。中国、夏の電力不足警告・石炭高で。内閣参与が原発対応批判し辞表。公的資金回収利益1.5兆円。ドーハラウンド白紙撤回の懸念。シリア混乱でパレスチナ和解。検証その時・原発対応。家庭自然エネで自給自足。東北新幹線が全線開通。
※中国は着実に成長力が殺がれている。 ※迷走の原発対応の背景には、今の体制を作った2001年の省庁再編がある。これもハシモトがしたこと。なんと罪作りな。 ※太陽光発電を有効利用するには、10戸以上が共同で蓄電池を備えるのが有効。マンションにはピッタリだが、かつての電力会社の反対で、ここが政策の穴になっている。
原敬の評価は、海外では極めて高いが、日本では今一つである。政府に代わり得る現実主義の政党を育て上げ、軍事政権から平和裏に政権を譲り受け、経済主義を据えて対米協調路線を打ち立てたのだから、もし、現代中国に、そんな政治家がいたら、ノーベル平和賞ものだろう。一方、日本では、原のリアリズムが嫌われるのである。
例えば、原敬は、普通選挙制に消極的で、漸進主義的だった。原没後、普選による大衆化の下で金権腐敗の問題が生じ、政党政治を危うくすることになる。リアリストの原は、それがよく分かっていたのである。原は清廉な政治家としても知られているが、それは価値観だけではない。また、検察勢力を政党に取り込むことにも意を用いている。岩手の後輩政治家・小沢一郎なぞ及びもつかない脇の堅さだ。
日本では、理想主義の政治家が評価されがちだ。普選などの民主化を高らかに叫ぶことが大切なのだ。おそらく、その流れなのだろう、緊縮財政も高唱される。民主化にまつわる腐敗や迷走の側面、緊縮財政に伴う国民の痛みや危険性は軽く見られがちだ。原敬政権も、積極財政でインフレ気味であったから、評価は下がってしまう。これを蔵相として担った、名高い財政家の高橋是清も、この時はダメだったとされがちだ。
原敬の積極財政は、政党地盤の養成、軍備充実による懐柔、経済力による植民地支配と、経済政策だけでは語れない、政治・外交上の重要な要素を含んでいる。逆に言うと、緊縮財政によって不況を呼び込んでしまうと、これらをすべて失うことになる。実際、浜口雄幸が金解禁で失敗してから、日本は転落の道を歩むことになる。
一般に、経済政策の失敗にも関わらず、浜口の評価は高い。金解禁に向けたデフレ政策は正しかったが、「不運」にも大不況に遭遇したというものだ。しかし、経済が外的ショックに襲われることは往々にしてあるもので、不運に遭遇したら経済が危殆に瀕するような政策を取ること自体が誤りなのである。経済政策に性急さは禁物なのだ。
時代は下って、1997年のハシモトデフレへの評価にも似たところがある。財政再建は正しかったが、隠れた不良債権やアジア通貨危機に足元をすくわれたという話である。これも運のせいにしてはならないだろう。財政再建は緩やかに進めておけば良かっただけのことである。焦る必要がなかったことは、その後の経済が証明している。
おそらく、日本人の財政への見方、「目標が正しければ、過激なことをしても構わない」という価値基準が反映されているように思う。逆に言えば、日本人の財政観が変われば、橋本、浜口、そして、原への評価も変わるだろう。それは、日本人が経済のリアリズムを理解するということなのである。
残念ながら、日本人は、まだ、そこに到達していない。震災で経済ショックがあり、日銀は今年の成長率を大幅に下方修正した。復興予算を組んで、経済の浮揚を図らなければならない。しかし、復興の中身より先に、増税や歳出削減の議論をしている。子ども手当の廃止も、公務員給与の下げも結構だが、それを実行する秋頃に、果たして十分に成長が回復している保障はあるのか。
そうなのだ、日本人は、またしても、「復興の勢いが弱い」、「米中の成長低下で輸出が伸び悩む」といった「不運」はないものと思い込んでいる。だから、復興と財政再建を一度に進めようとする。筆者は、増税や歳出削減に反対ではない。成長の回復を確認した後にすべきものなのだ。せめて、今年秋でなく、来年秋の実施で十分ではないか。日本人の懲りない悪癖がまた始まったのである。
(つづく)
(今日の日経)
国家公務員給与1割下げ復興財源に。人民元6.5元を突破。中国、夏の電力不足警告・石炭高で。内閣参与が原発対応批判し辞表。公的資金回収利益1.5兆円。ドーハラウンド白紙撤回の懸念。シリア混乱でパレスチナ和解。検証その時・原発対応。家庭自然エネで自給自足。東北新幹線が全線開通。
※中国は着実に成長力が殺がれている。 ※迷走の原発対応の背景には、今の体制を作った2001年の省庁再編がある。これもハシモトがしたこと。なんと罪作りな。 ※太陽光発電を有効利用するには、10戸以上が共同で蓄電池を備えるのが有効。マンションにはピッタリだが、かつての電力会社の反対で、ここが政策の穴になっている。