今日の日経は良い記事を書いてくれたね。年金の「積立金6.4兆円取り崩し」という記事だ。筆者の場合、「この情報は、誰がどういう意図で流したか」を、つい考えてしまうのだが、まあ、年金の国庫負担の財源2.5兆円を震災対策に流用されたことへの、厚生労働官僚のささやかな抵抗ということにしておこうか。
さて、この数字、どう解釈すべきだろうか。2011年度は、公的年金の給付増で6.4兆円、震災への流用で2.5兆円、合わせて8.9兆円も取り崩されて、120兆円の積立金は、その分だけ減ることになる。将来の年金給付が減ることにならないかと心配したり、年金を支える若年層の負担が重くならないか不安に感じる人もいるのではないか。
「カネは貯めるだけでなく、生かして使うべし」とは、よく言われる人生訓だが、これは年金の積立金にも言える。実は、積立金のような巨大なものは、個人の貯金のように、自由に出し入れできないのだ。例えば、将来、高齢化が進んで、積立金を取り崩して給付に充てたくなったとしよう。もし、そのとき、インフレ気味であるとすると、これは若年層が減って供給力が限られる高齢社会ではありそうなことだが、不思議なことが起こる。
積立金を取り崩して年金を給付すると、それだけ需要過多になり、物価が上昇して、思うような購買力が得られなくなるのだ。そうならないようにするには、増税を行って、所得を削減しなければならない。つまり、将来の負担増を避けようと積立金を用意したはずなのに、やっぱり増税は必要になってしまうのである。
結局、積立金を意味ある形で取り崩せるかどうかは、その時の経済状況次第ということになる。積立金というのは、インフレ気味の時に所得を吸い上げて積み増すことには意味があるが、デフレを我慢してまでする価値はない。そうして苦労して用意しても、将来がインフレ気味なら、必要なときに役立たない。むしろ、デフレを我慢することは、成長を抑制して、供給力を低くするため、むしろ、将来のインフレの素にすらなりかねない。
そういう観点からすれば、今、復興のために用いるのは、生きた使い方になる。すべてが生産的なものに使われるわけではないにしても、三陸の漁業施設に使われれば、末長く海の幸をもたらしてくれるだろうし、被災者用に公営住宅を建てれば家賃収入として還元される。風力や太陽光発電に投じて電力不足を補えば電気料が入り、道路などの公共施設も便益をもたらす。
ただし、これは積立金の取り崩しでなくても、赤字国債の発行でもできることである。両者は、経済的にまったく同質のものだからである。今は、デフレ気味であり、失業率が高く、低金利にある。したがって、震災対策のために財政を拡大することは十分可能だし、それが資源をムダにしないことにもなる。国債残高の大きさを無闇に恐れ、デフレ下で緊縮財政をする方が不合理なのである。
年金積立金は、少子化によって発生する「支える子のない人」の年金給付のために必要になるものだから、本当は、出生率の回復のために使いたいところだが、健全なマクロ経済運営のために役立てられるのなら、次善の策として容認できる。赤字国債も、積立金の取り崩しに代表される「埋蔵金」の利用も、あるいは、かつて行われていた決算剰余金の操作による作りも、マクロ経済的には同じことだが、それで、震災ショックの中で増税をするような愚が避けられるなら結構だ。
さて、今日の積立金の記事は、もう一つ大事なことを教えてくれる。それは、09年度の取り崩しが4兆円で、10年度は6~7兆円、11年度もほぼ同じという数字だ。つまり、昨年度は消費税1%に相当する2.5兆円程度の所得追加の効果があったが、今年度は、それが消えるということである。
昨年度、財政は、補正後で比較して、約5兆円の緊縮財政を行った。そのため、年度後半に景気対策が次々に期限を迎え、回復の動きが鈍ることになった。その中でも、年金は2.5兆円分だけ景気を押し上げていたことになる。それが無くなるというのは、相対的に2.5兆円のデフレ圧力がかかることである。そして、財政は、一次補正後でも、未だデフレ予算である。
すなわち、日本経済は、震災ショックだけでなく、年金の推進力の喪失、デフレ予算の継続と三つの重荷を背負わなければならない。それにもかかわらず、社会保障や財政の動向をろくに把握もしないで、復興税なんてのに、うつつを抜かすトップリーダーの様子を見ると、日本の国民は本当に救われないなあと思えてくる。
(今日の日経)
被災工場再開相次ぐ、素材は遅れ。JX最終純利益は落ち込まず。復興会議、農地漁港の国有化を。賃上げ率1.8%前年並み、一時金は4.7%増も、危機前なお下回る。積立金6.4兆円取り崩しGPIF計画。風見鶏・やせ我慢・伊奈久喜。インドネシア新車月8万台。ミサワホーム社長、資材高で見直し。謎・セシウムの生物学的半減期は110日。読書・三井財閥とその時代。次代を担う3000人の小中学生は生きていた。
さて、この数字、どう解釈すべきだろうか。2011年度は、公的年金の給付増で6.4兆円、震災への流用で2.5兆円、合わせて8.9兆円も取り崩されて、120兆円の積立金は、その分だけ減ることになる。将来の年金給付が減ることにならないかと心配したり、年金を支える若年層の負担が重くならないか不安に感じる人もいるのではないか。
「カネは貯めるだけでなく、生かして使うべし」とは、よく言われる人生訓だが、これは年金の積立金にも言える。実は、積立金のような巨大なものは、個人の貯金のように、自由に出し入れできないのだ。例えば、将来、高齢化が進んで、積立金を取り崩して給付に充てたくなったとしよう。もし、そのとき、インフレ気味であるとすると、これは若年層が減って供給力が限られる高齢社会ではありそうなことだが、不思議なことが起こる。
積立金を取り崩して年金を給付すると、それだけ需要過多になり、物価が上昇して、思うような購買力が得られなくなるのだ。そうならないようにするには、増税を行って、所得を削減しなければならない。つまり、将来の負担増を避けようと積立金を用意したはずなのに、やっぱり増税は必要になってしまうのである。
結局、積立金を意味ある形で取り崩せるかどうかは、その時の経済状況次第ということになる。積立金というのは、インフレ気味の時に所得を吸い上げて積み増すことには意味があるが、デフレを我慢してまでする価値はない。そうして苦労して用意しても、将来がインフレ気味なら、必要なときに役立たない。むしろ、デフレを我慢することは、成長を抑制して、供給力を低くするため、むしろ、将来のインフレの素にすらなりかねない。
そういう観点からすれば、今、復興のために用いるのは、生きた使い方になる。すべてが生産的なものに使われるわけではないにしても、三陸の漁業施設に使われれば、末長く海の幸をもたらしてくれるだろうし、被災者用に公営住宅を建てれば家賃収入として還元される。風力や太陽光発電に投じて電力不足を補えば電気料が入り、道路などの公共施設も便益をもたらす。
ただし、これは積立金の取り崩しでなくても、赤字国債の発行でもできることである。両者は、経済的にまったく同質のものだからである。今は、デフレ気味であり、失業率が高く、低金利にある。したがって、震災対策のために財政を拡大することは十分可能だし、それが資源をムダにしないことにもなる。国債残高の大きさを無闇に恐れ、デフレ下で緊縮財政をする方が不合理なのである。
年金積立金は、少子化によって発生する「支える子のない人」の年金給付のために必要になるものだから、本当は、出生率の回復のために使いたいところだが、健全なマクロ経済運営のために役立てられるのなら、次善の策として容認できる。赤字国債も、積立金の取り崩しに代表される「埋蔵金」の利用も、あるいは、かつて行われていた決算剰余金の操作による作りも、マクロ経済的には同じことだが、それで、震災ショックの中で増税をするような愚が避けられるなら結構だ。
さて、今日の積立金の記事は、もう一つ大事なことを教えてくれる。それは、09年度の取り崩しが4兆円で、10年度は6~7兆円、11年度もほぼ同じという数字だ。つまり、昨年度は消費税1%に相当する2.5兆円程度の所得追加の効果があったが、今年度は、それが消えるということである。
昨年度、財政は、補正後で比較して、約5兆円の緊縮財政を行った。そのため、年度後半に景気対策が次々に期限を迎え、回復の動きが鈍ることになった。その中でも、年金は2.5兆円分だけ景気を押し上げていたことになる。それが無くなるというのは、相対的に2.5兆円のデフレ圧力がかかることである。そして、財政は、一次補正後でも、未だデフレ予算である。
すなわち、日本経済は、震災ショックだけでなく、年金の推進力の喪失、デフレ予算の継続と三つの重荷を背負わなければならない。それにもかかわらず、社会保障や財政の動向をろくに把握もしないで、復興税なんてのに、うつつを抜かすトップリーダーの様子を見ると、日本の国民は本当に救われないなあと思えてくる。
(今日の日経)
被災工場再開相次ぐ、素材は遅れ。JX最終純利益は落ち込まず。復興会議、農地漁港の国有化を。賃上げ率1.8%前年並み、一時金は4.7%増も、危機前なお下回る。積立金6.4兆円取り崩しGPIF計画。風見鶏・やせ我慢・伊奈久喜。インドネシア新車月8万台。ミサワホーム社長、資材高で見直し。謎・セシウムの生物学的半減期は110日。読書・三井財閥とその時代。次代を担う3000人の小中学生は生きていた。
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