経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

11/24の日経

2022年11月24日 | 基本内容
 9月の建設総合指数は、季節調整値にしてみると、住宅が前月比0、公共が-0.1%、企業が+0.2と、小動きにとどまった。これで7-9月期は、住宅が前期比-0.3%、公共が+2.4%、企業が+2.5%となり、住宅は不調だが、公共と企業は、4-6月期に続いて、高めの伸びとなった。今回の補正予算では、公共は、昨年並みの水準が措置されている。ただし、建設資材が高騰しているので、実質では割り引いて見る必要がある。

(図)



(今日までの日経)
 防衛力整備、10年計画に。出産で収入6割減「母の罰」。年金3年ぶり増額改定へ 来年度1.8%増の試算。瀬戸際の介護 需要爆発、備えはあるか。50基金に8.9兆円支出 過去最大、半導体支援など新設。子ども持つ壁「家計苦」7割。

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「人口戦略法案」の難点を解決する

2022年01月30日 | 基本内容
 厚労省のスーパー官僚だった山崎史郎さんが書いた『人口戦略法案』は、いわゆる「こども保険」の構想であり、新たな社会保険の導入により、育児休業給付を大幅に拡充して、少子化を克服しようという内容である。1/1に内閣官房参与に任じられたらしく、これが岸田政権で実現されたらと心から願う。ただ、その最大の難点は、重くなる保険料を、どうやって国民に受け入れてもらうかだ。いかに人口の維持という大義があっても、低成長で生活が苦しい中、負担への納得は容易ではない。

………
 負担が難点なら、無くせば良い。こんなことを言うと、行革でムダを撲滅して財源を捻り出すのかと勘違いされそうだが、そうではない。少子化とは長期的な滅びの道であり、その克服は日本経済を持続可能にするため、必ず大きな金銭的利益が発生する。この関係を制度設計によって上手く結びつければ、更なる保険料負担を課さずとも、給付ができるようになるというわけである。

 具体的には、本コラムの提案のように、老後に受け取る年金の一部を、乳幼児の子育て期に前倒しで受給できるようにする方法がある。前倒しするだけなので、新たな負担が必要ないのは自明だ。解決すべき課題は、「年金は老後にしか使っちゃダメだ」という固い頭をほぐすことに変わる。少子化が緩和されれば、現役世代が多くなり、保険料が伸びるから、むしろ、もらえるものは増えることになる。 

 厚生年金の財政構造は、ざっくり言うと、子世代が7割になる少子化に耐えられるように作ってある。子世代の保険料による支えがない3割は、積立金と税負担が半々で面倒を見る。すなわち、少子化の克服まで行かなくても、8割5分になるだけで税負担は無用になる。これが2022年度は約12兆円なので、本当に『人口戦略法案』で出生率が1.78ぐらいまで上昇するのだったら、これを財源と見込んで、一部を少子化対策に回したら良い。

 その第一の使い先は、1/6の2兆円程で、若い低所得者の保険料負担を軽減し、勤労者皆保険を実現することだ。非正規に前倒し給付をするなら、厚生年金に加入しておいてもらわないといけないのでね。『人口戦略法案』では、柔軟なライフスタイルを選べないという問題が指摘されているが、正規と非正規に社会保険の壁があり、シームレスな労働時間の調節が難しく、特に残業なし8時間が無理なことが根本にあるから、一緒に解決しておこう。

 この2兆円も一時的なもので、出生率が順次向上して5年後に5.5%増の1.52になれば、不要になる。つまり、2022年度の補正予算で、5年分の5兆円を年金特会に繰り入れる一回切りで済み、2025年度の財政再建目標も影響を受けない。若い低所得層への再分配となり、中小企業を助け、労働力供給も増え、生産性も上がるので、月並みな成長戦略よりも優れている。補正は平時でも3~4兆円を打っているわけで、何をするかの問題だ。

(図)


………
 こども保険には、介護保険を実現したときのような「ボケ老人」をどうやって抱えるかといった切実な危機感がなく、人口1億にしないと、大国から転落して経済も衰退するという大義だけでは、負担を覚悟してでも実現しようという後押しには弱い。しかも、介護保険の導入時とは違って、所得が増えないデフレ下にある。他方、少子化の克服には、金銭的利益が期待できるというアドバンテージがある。

 年金は典型だが、賦課方式の部分がある医療、介護、雇用の各保険にも利益はあって、権丈善一教授の基金構想による財源確保は傾聴に値する。そして、最大の受益者は財政なのだ。山崎さんは「勇気を持って投資しよう」と訴えるが、まずは財政が聞くべき道理である。緊縮で滅びの道を歩むのではなく、積極策で日本の持続可能性を取り戻したい。いつものセリフだが、繰り返そう。この国に足りないのは財源ではない、理想である。


(今日までの日経)
 円安の重圧、暮らしに 10年で価格上昇、婦人服13%・エアコン21%。高齢独居、山形が対策先行 3世代同居へ建築費補助 福井・滋賀は60代に婚活支援。米3月利上げへ、市場動揺。いびつな成熟債権国・岩本武和。

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少子化とは経済の問題、意識のせいでなく

2019年01月20日 | 基本内容
 「少子化は意識や文化の問題」とする人がいるのだが、ありていに言えば、カネの問題だ。経済より、意識や文化はゆっくり変化するものなので、意識や文化の遅れが原因に見えてしまう。原因は、経済に発する。意識や文化を経済に適応させるのも大切だが、それに力を入れていると、根本にある経済の解決に行き着かなくなってしまう。世の中、カネで解決のつくことは多い。少なくとも、意識や文化を変えるよりは容易だ。まあ、こんな露悪的なことを言うから、嫌われるのだが。

………
 前田正子先生の新著『無子高齢化』は、少子化の原因に若者の困窮があることを強く指摘していて、共感できる内容だった。むろん、少子化には複合的な要因があるのだが、政策的に解決すべき対象を特定することは、極めて重要だ。「それは十分条件でない」と批判するより、主な必要条件を順につぶしていくべきだ。学術的な真実の追求とは異なり、極端に言えば、若者の困窮にテコ入れして、少子化が大きく改善されなかったとしてもムダではない。真実が証明された時に、人口が崩壊していたのでは意味がない。

 前田先生は、団塊ジュニア世代が就職氷河期に直撃され、非正規化と所得低下が結婚を困難にしたことを指摘する。今も昔も若い女性に結婚の意思はあるが、ふさわしい経済力を持つ男性が足りないのである。結婚は、1人の男性は1人の女性としかできないという強い社会規範があるので、男性の経済力を底上げすることが必要になる。少子化対策は、豊かな者が結婚できれば良いというものではなく、誰もができるよう、経済状況の平等化を図ることが大きく関わる問題である。

 振り返れば、高度成長期に生きた団塊の世代は幸せであった。ほとんどの男性が若いうちに結婚できるだけの働き口にありつけたからである。成長最優先の経済運営は、物価高という弊害を生みつつも、根性さえあれば、誰もが就業できる社会を作り出した。若年失業率の高さに悩む諸外国と比較し、日本のヤングは恵まれていたのである。女性の長期雇用は、看護婦や教員などに限られていたが、野良仕事を背負う農家の嫁にならず、家事・育児を担う専業主婦になる道が開かれていった。

 転機が訪れたのは、1997年だった。度外れた緊縮財政でデフレ経済に陥り、若年雇用が坂を転げ落ちていく。25-34歳の男性就業率を見ると、2002年まで大きく低下し、上向くのは2006年になってからだ。合計特殊出生率が底離れしたのも、この年である。その後、就業率は、リーマンショックで二番底をつけた後、アベノミクス以降、回復を続けてはいるが、水準は2000年頃に戻った程度で、「幸せな時代」とは、まだ差がある。経済政策によって、この差を埋めていくとともに、社会政策で不利を補わなければならない。

(図)



………
 前田先生の新著で、多少、もの足りないのは、具体的な対応策だ。焦点は、乳幼児期である。0~2歳児への支援を厚くすることは、子供を持つ判断に近接しているにもかかわらず、財源確保が困難という理由で置き去りにされる。子ども手当でも、幼児教育の無償化でも、肝心なところが外されたが、避けてはいけない問題である。その解決策は、非正規の女性に育児休業給付を拡大することである。乳幼児期の保育の提供は、高コストで社会的に不効率なため、普遍化には無理があるからだ。

 非正規の女性は、妊娠すると職を失わざるを得ないので、育児休業給付をもらえないし、産んでも保育を受けられない。夫が低所得で乳幼児期を支えられないとなれば、子供を持とうとはならない。これを解決し、誰もが結婚できるようにしなければ、少子化は克服しがたい。必要な財源は、およそ7000億円である。多額にせよ、今回、実施される幼児教育や高等教育の無償化が各々8000億円規模であることを踏まえれば、現実性はある。なお、制度設計は複雑になるが、年金を使えば財源なしでも可能だ。

 実は、今回の無償化は、税の自然増収の範囲に収まり、消費増税は必ずしも必要としない。喫緊に必要な増税は、国債管理の安定化のために、利子課税を25%へ上げるくらいのものだ。つまり、消費増税後に見られた急速な緊縮を緩めれば、少しずつ財政再建を進めながらも、少子化の抜本策を、毎年、一つずつ導入できるということである。しかし、「反緊縮」を掲げる人達でさえ、財政収支の実態を把握せずに主張しているみたいだ。たぶん、この国では、全体的な計測に基づいて穏健な財政をしようとは、誰も考えないらしい。
 

(今日までの日経)
 年金抑制 なお不自由分 2回目のマクロスライド19年度に。株主還元5年で2倍 18年度15兆円。日本電産、一転減益 中国販売低迷で純利益14%減。韓国半導体輸出9%減 中国向け大幅落ち込み。コスト増でも川下デフレ。

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出世払い型の奨学金は公的年金で実現できる

2017年10月29日 | 基本内容
 昔、母に「偉い作家さんが、食糧危機に備えて、米を自宅に蓄えているそうだ」という話をしたことがある。食糧難を経験した母は感心するかと思いきや、「その作家さんは、ご近所に隠れて、ご飯を食べるつもりなのかい?」と返された。なんだか、自分だけが助かれば良いという心根を見透かされたようで、少し恥ずかしく感じた。苦難にあって、どう備えるべきか、その答えは、一人では出せないものだ。

………
 総選挙で与党が2/3を制し、消費増税の使途変更による幼児教育の無償化などの実現は確定的となった。しかし、高等教育での大幅な負担軽減は、財源が足りずに、ほとんどできないだろう。そこで、出世払い型の奨学金が実現できないか考えてみた。むろん、前回と同様、公的年金を活用することになる。結論から言うと、可能なんだけど、連帯する力を日本人がどれだけ持っているか、試されるような気がするね。

 まず、奨学金の額だが、大学4年分の学費を賄うとしよう。具体的には、入学金、授業料、施設費を合計すると、国立なら243万円、私立だと平均的には、文系で386万円、理系で522万円くらいだ。ここで「年金減額で清算するから、追加負担は不要」とできれば簡単だが、国立はともかく、私立は額が大き過ぎる。そこで、奨学金を受けた場合でも、年金を減らさぬよう、4%の上乗せ保険料を課すことにする。

 この場合、厚生年金における月収の平均は29万円なので、月1.2万円程の上乗せとなる。奨学金で減らした分の年金を取り戻すには、国立で18年、私立文系は28年、理系だと38年はかかる。賃金カーブを考えると、取り戻せる時期はもっと遅い。むろん、取り戻した後は、上乗せ保険料は無用となる。問題は、月収が平均より低い場合である。月収20万円で、月0.8万円の上乗せだと、私立文系では約40年、理系になると40年を軽く超えてしまう。

 私立理系の補い切れない138万円を、年金減額で清算すると、月7.7万円が7.1万円になる。ただし、乳幼児給付を使った人は、既に6.5万円と、最低限保障すべき額まで下がっているので、更に減らすのは困難だ。したがって、これ以上の減額になる場合は免除するものとし、税を入れて国民全体で負担するか、あるいは、保険加入者全体で負担するかを考えるべきだろう。結局、「出世払い」とは、就職後、収入に応じて負担するとともに、不運にも収入が思うに任せなかった場合、無残にならぬよう、みんなで助けるものなのだ。

………
 これには、一体、どういう意味があるのか。貧しい人にお金をあげるという単純な慈善ではない。なぜなら、貧しくなるかどうかは、働き出す頃には分からないからだ。つまり、ある種の保険なのである。何が対象かと言えば、収入に対する保険だ。収入が思うに任せなくても、惨めにならないことが保障される。保険には社会的便益があり、リスクを分散することで厚生を高める。例えば、保険がないと、怖くて車が運転できず、個人的に不便なだけでなく、社会的効率が下がり、経済全体の機会損失にもなる。

 奨学金は、人的投資であり、能力の向上を通じ、個人の所得を向上させる。そうした見込みがあるからこそ、借金をしても進学しようと考える。裏返せば、奨学金がないと、必要な人的投資がなされず、経済成長の足を引っ張ることになる。奨学金を受けるか否かの判断の際、将来の所得に万一の不安があるといって、期待値がプラスなのにリスクを避ければ、それは社会的にも経済的にも損失だ。

 こうして見ると、出世払い型の奨学金は、挑戦を応援するものと言える。合理的判断を促し、社会的効率を高め、経済成長を押し上げるのだ。奨学金の果実が税や保険料の形で還元されるかは制度設計次第だが、少なくとも、経済を大きくすることは確かである。すなわち、収入が思うに任せない場合に一定の免除をするとしても、他方で、国ないし保険者全体でのメリットもあるから、「損」になるとは必ずしも言えないのである。

 奨学金を合理的なものにするには、適切な与信がポイントとなる。その点、公的年金には大きな長所がある。ある大学の卒業生がどの程度の所得を得ているかを、保険料の納付を通じて把握しているからだ。また、保険料の上乗せで天引きするから、回収の能力も高く、低コストである。これらを活かせば、貧しく頼る者なき学生に、4年間で10万円もの保証料を課すという辛い仕打ちをしなくて済み、連帯保証をした資力の乏しい老親に返済を迫る理不尽も解消できるだろう。

………
 保険の難しい理屈は分からなくても、「家が貧乏だからって可能性を捨ててほしくない」、「才能ある仲間の挑戦を助けてあげたい」、そういう想いがあれば、この国はきっと良くなる。出世払い型の奨学金は保険であり、誰かが必ず被る不運を社会連帯で分散し、全体の利益を増やそうとするものだ。格差を予防し、成功できずとも納得できる社会づくりにも寄与する。制度改革の入り口における、「他人を助けるためのお金なんて嫌」、「どこからか財源を持ってきて」という狭い利己主義を超えられるなら、経済合理性の見地から、それは実現できる。繰り返そう、必要なのは理想である。


(今日までの日経)
 介護・保育職員「定数超」多く。建設資材 東京に集中。
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財源なしで大規模な乳幼児給付を行う方法

2017年10月22日 | 基本内容
 欧米で最大の社会問題は、若年失業と就業促進だ。それゆえ、負の所得税やベーシックインカムが提案される。しかし、日本には、雇用の量の問題はない。あるのは非正規労働者への差別的待遇だ。したがって、第一に考えるべきは、いかに社会保険の適用拡大を図り、公平な給付を実現するかになる。例えば、パートは、事実上、育児休業給付を受けることも、乳幼児を保育所に預けることもできない。こうした苦境を、どう変えるのか。この国に財源はある。ないのは現実に根差した理想である。

………
 問題を解決するために、公的年金を財源として、0歳の始めの6か月間は月14万円、その後、2歳になるまで10万円を給付してはどうか。総額では1人264万円になる。老後に受け取る年金の約1割を、前倒しで受給する形を採れば、新たな負担はまったく必要ない。むろん、受給したくない人は、選ばなければ、従来どおりである。この額は、正社員が雇用保険から受け取れる育児休業給付とほぼ同じだ。それを普遍化することになる。

 年間の出生数が約100万人なのに対し、育児休業給付の初回受給者は約30万人にとどまる。つまり、7割の母親には給付がない。その多くがパートなどの非正規労働者である。年金からの乳幼児給付を実現すると、育児休業給付の抜本改革も可能になる。対象者を3倍、額を1/3にすれば、乳幼児給付と合わせて、18.5万円と13.3万円となる。これだけのことが財源なしでやれる。

 十分な所得保障があれば、安心して育児に当たれるだろう。加えて、待機児童問題も一掃される。なぜなら、「保障があるなら、自分で育てたい」という人が増え、保育需要が減るからだ。また、仕事を続けたい人も、支払いの能力を得て、預け先を確保できるようになる。むろん、自治体や企業も、多く得られる保育料で、保育士の確保に全力を挙げる。加えて、2歳児の幼稚園での受入れが実現することで、劇的な効果があるだろう。

 実は、1歳児の預け先を確保するため、望まないのに、先取りで0歳児から預けようとする困った事態も生じている。0歳児保育には、都会だと月50万円近いコストがかかり、簡単には増やせない。湧いてくる需要を冷まさないと、とても待機児童を解消できない。それには、育児の社会的価値を認め、それに見合った所得保障をして、自分で育むことも、預けて働くことも、選べるようにしなければならない。

 そもそも、月収20万円で3年働けば、年金保険料の累計は、男女2人で264万円と、1人目の乳幼児給付の総額に達する。要すれば、乳幼児給付は、貯めていた年金の受給権を払い戻すだけのものだ。自分が貯めていたお金なのに、子供を持つかどうかという、人生の肝心な時に使う自由を認めないのは理不尽だろう。しかも、これで出生率が向上すれば、年金財政も大いに助かるのである。

………
 ここで、多くの人が読み飛ばしそうな数字の話をする。まず、年金から抜いて大丈夫かだ。厚生年金における月収の平均は29万円*なので、保険料率18.3%で40年間加入して得られる受給権の総額は、29×18.3×12×40=2,547万円である。これを65歳から平均寿命の84歳まで19年間受給すると、年金額は月11.2万円になる。乳幼児給付を受けると1割減るので10.0万円になる。夫婦では2倍だから、まあまあのレベルだろう。

 より低所得の月収20万円、夫婦の年収480万円(20×12×2)の場合だと、受給権総額が1,757万円、年金月額7.7万円であり、乳幼児給付264万円を抜くと、年金は6.5万円になる。これがギリギリのラインになる。そのため、更に低所得の場合は、最低限の年金を維持するために補助を出すか、乳幼児給付を1人目に限るかといった工夫が必要だろう。これもあり、本当は、乳幼児給付は、個人の自己責任とせず、全体で受けとめるのが望ましい。

 すなわち、全員の年金額を6%程下げることで賄う方法もある。コンセンサスを得るのに時間がいるかもしれないが、こちらがベストだ。「年金給付は次世代の育成なしに実現しない」という観点から、子供のない人も分担すべきだし、給付の実現で出生率が6%より上がれば、誰の年金も減らさずに済み、全体の年金を増やせる可能性さえある。少なくとも、出生率が向上したら、まずは「投資」した人の年金の補填を優先すべきだ。

 さて、多少、詳しい人は、「全員もらえる基礎年金の国庫負担分3.3万円は、どこへ行った」という疑問があるかもしれない。実は、国庫負担も、年金積立金も、子供のない人の年金給付の穴埋めに費やされる。超長期的な年金給付の財源は、概ね、保険料が2/3、国庫1/6、積立金1/6である。近年の出生率だと、親を支える子の比率は、2/3にしかならないので、子供のない1/3の人の年金は国庫と積立金で支えないといけない。

 裏返せば、出生率を向上させると、国庫分をみんなで分け合って使えるようになる。足下で合計特殊出生率が1.44まで回復しており、1人0.9万円程になる。もし、1.67まで上げられれば、全部使えて3.3万円となる。つまり、子供のない人が全体の2割弱に収まれば、年金積立金だけで支えられるわけだ。国庫負担だって、みんなの税金だから、ここまで漕ぎ着けて、税も含めた意味での「払った分が還ってくる年金」となる。

 国庫負担は、本来、再分配に使うべきものだ。子供のない人の年金の維持に全部使うのではなく、低所得層の年金を底上げしたり、育児によって負担と貢献をする人の助けとしたりすべきである。そうした再分配をすることで、出生率は向上し、全員が救われ、社会も存続できるようになる。せめて、足元で取り戻した「0.9万円分」を使うつもりで、低所得層の乳幼児給付の補助を行い、最低限の年金を維持してはどうかと思う。

* 月収29万円は、厚生年金の標準報酬の年額の平均から導いた。年額だから、イメージ的には、月収25万円、ボーナス2か月だ。その際、女性については、男性より加入者が少ない分を収入ゼロと見なして算出し、男性42万円、女性16万円の平均を取った。

………
 全世代型の社会保障と言うと、高齢者の年金を削り、少子化対策に回すというイメージが強いが、そんな物議を醸すようなことは、まったく必要ない。今の若者が、自分の将来の年金を、目の前の子育てに使うのを許すか否かなのだ。世代間の利害調整の問題ではなく、自分たちの世代がどんな生き方をしたいかである。焦点は選択の自由にあるのに、勘違いをしたまま、打開する道を捨てないでほしい。

 あわせて、若い人には、非正規で厚生年金に入れない同世代の仲間をどうしたいかを考えてほしい。低所得層の保険料を軽減すれば、ほぼ全員が入れるようになる。代わりに、再分配によって、全体の年金水準は数%下がるかもしれないが、このまま貧困な仲間を放置すると、いずれ、税で面倒を見ざるを得なくなる。結局、負担は同じだ。そうであれば、今から容易に入れるようにし、時間の制約なく働けるようにして、能力を活かすべきだ。そうして仲間を助ける方が確実に「得」になる。おまけに、所得や出生率の向上で、年金水準が復元し、上回る希望さえある。

 繰り返そう。この国に希望がないのは、財源がないからではない。理想が欠けているためだ。その理想とは、仲間を切り捨てず、弱いながらも精一杯がんばってもらい、全体として豊かになろうとする道である。雇用が回復した今なら、十分に選び得るはずだ。難しい社会保障の政策論は、分からないかもしれないが、この世の中の仕組みは、目指すべき生き方で決まってくる。その理想の生き方は、単純かつ明快、誰にでも分かるものなのである。

参照:小林未希「待機児童が減らない本当の理由」(wedge infinity 2017/4/10~5/19)


(今日の日経)
 衆院選、きょう投開票。日本の海外資産 初の1000兆円に、5年で5割増。

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21世紀の緊縮レジームを超えて

2016年01月02日 | 基本内容
 2016年は、日本がデフレ経済に転落してから20年目にあたる。この間、同じ失敗を繰り返してきた。金融緩和による円安での緩やかな回復、緊縮財政による好循環の阻害、そうこうするうちに、円高へ弾けて成長が失速し、更なる金融緩和を求めるというパターンである。これは、金融緩和、緊縮財政、規制改革を組み合わせれば経済成長を実現できるというイデオロギーに基づくものである。

 アベノミクスは、異次元緩和の下での回復、消費増税による成長の急停止とたどっており、あとは円高株安への巻き戻しによる破綻を待つ状況となっている。来年度はGDPの1%近い緊縮財政を決定しており、貿易収支の黒字化が進行しているのだから、世界経済の転がり具合で、それはいつ起こってもおかしくない。我々が認識しておくべきは、そうなった時でも、対応する術はあるということだ。

………
 緊縮レジームとは、成長への投資を引き出すのに、金利を下げ、法人減税を行い、社会保障を圧縮して負担を軽くし、企業の収益率さえ高めれば良いとするものだ。当然、金融緩和は必須だし、金利上昇の回避に緊縮財政も付き物である。減税と負担軽減には、小さい政府が都合が良い。これらは、経済界や金融界のみならず、財政当局や中央銀行にも熱烈に支持される。

 残念ながら、これでは、設備や人材への投資は出てこない。増えるのは資産への投資だけである。なぜなら、実物投資は、需要を見ながらなされるからだ。現実の経営者は、収益率より、需要リスクに強く支配される。多少、収益率が高くても、需要が見込みより減退すれば、巨額の投資がムダとなり、大損する恐れがある。ゆえに、アベノミクスの下、「最高益でも設備投資は伸び悩み」という現象が起こる。

 教科書の経済学は、緊縮レジームを崇める司祭でしかない。人は利益を最大化すべく行動するから、収益率に従うはずであり、設備投資にリスクがあるにしても、期待値で決まるとする。しかし、人生は限られ、リスクの時間的分散には制約があるため、実際には、大損を避けようと、期待値がプラスでも、あえて機会利益を捨てる行動を取る。こうした本質への洞察が「人は死せるがゆえに不合理」とする本コラムの核心である。(参照:2013/11/3)

 したがって、経済政策において、リスクを癒す需要の安定は不可欠となる。金融緩和などによって、いかに収益率を高めようと、緊縮財政を並行させ、需要増への期待を打ち砕いては、すべて無効となる。これは、不況だから財政出動をと説くものではない。需要を安定させ、リスクを取り除いて初めて、収益率に従う合理的な行動が現れ、経済は成長する。緊縮レジームを超えるとは、そういう意味である。 

………
 では、どうやって需要を安定させるのか。通常、金融緩和をすれば、通貨安で輸出や外国客が増え、住宅投資が上向き、資産高で贅沢消費が潤い、これらによる需要が設備投資を促す。金利低下が、直接、設備投資に効果を及ぼすのではない。あとは、緊縮財政でわざさわざ需要を相殺しなければ良いだけだ。ただし、こうしたルートが塞がっている場合がある。バブルが弾けた後は、特にそうだ。

 金融緩和と緊縮財政の組み合わせはバブルを生み出す。緊縮がいるのは、消費を削って物価を抑えないと、緩和を続けられなくなるからだ。金融業で手っ取り早く儲けるには、これが最も望ましい経済運営となる。厄介なのは、そうして住宅や資産のバブルが弾けてしまった後である。需要をテコ入れしようにも、住宅と資産のルートは潰れている。結局、残る外需ルートの争奪となって、通貨安競争に墜したり、国際競争力と称される法人減税や福祉削減が蔓延したりする。

 これを癒せるのは、連帯の教えたる社会保障である。もっとも、需要をもたらすだけなら、高速道路や軍備拡張でも構わない。過去には、それらで大不況を克服した悲しい歴史もある。大切なのは、社会保障には、需要の提供だけでなく、資本主義を持続可能にし、効率的にする役割もあることだ。経営者が目指すのは、せいぜい中期に及ぶ利益の最大化であり、次世代の育成といった超長期にまでは目が届かない。(参照:2015/3/8)

 資本主義を持続可能にするには、少子化という名の収奪を防がねばならない。若者を非正規で安使いし、結婚できなくすることは、木を切って植林しないのと同じだ。貪欲に思える企業も、普段は植林に努めるし、経営者は、利益と同時に成長も志向し、設備や人材に投資しようとする。しかし、政府が緊縮財政を敷き、木材価格が低迷すると、植林どころではなく、投資と賃金を最大限に削り、とにかく会社の生き残りを図る。こうして、緊縮財政が執拗に繰り返され、少子化対策が後回しになると、日本のような持続不能な社会が出来上がるのである。

………
 さて、年の初めは、昨年のピケティに続き、今年はアンソニー・B・アトキンソンの『21世紀の不平等』を選んだ。本書で一つもの足りないのは、アトキンソン自身が、不平等の削減に、完全雇用と再分配の両方が必要としながらも、どうすれば成長できるかには触れず、高成長だった1970年代までの再分配の水準を取り戻せと主張していることである。それでは、成長への投資に富の集中が必要だとする主張に対抗し切れないだろう。

 本コラムは、アトキンソンのような、再分配は必ずしも成長を阻害しないというソフトな立場は取らない。成長の方策も具体的に示すとともに、福祉の向上は、倫理的であるだけでなく、経済的にも「儲かる」ことを明らかにする必要がある。とりわけ、我々は、激しい少子化に直面し、生き残りを賭けた企業の行動が人的資本の収奪を起こして、経済活動はおろか、国の存続を不能にしたことを経験しているわけだから。

 再分配によって人的資本への投資を増やし、少子化を解決することは、収益期間を無限にして、大きな経済的メリットをもたらす。すなわち、不合理を正す再分配は、コストを賄えるのである。具体策で示そう。本コラムでは、『雪白の翼』で、年金制度を利用することにより、負担増なしに、0~2歳児に月額8万円という大規模な給付ができることを示した。こうしたマジックが可能なのは、乳幼児への給付で、女性が仕事を辞めなくて済むようになり、出生率が向上して、大きな経済効果が生まれるからである。アトキンソンがどんな国でも再分配の中心となるべきだとする児童手当は、日本では容易に拡張できる。

 また、『ニッポンの理想』で示したように、年金制度を使えば、アトキンソンが求める非正規化への対応も簡単だ。多くの若者や女性を苦境から解放することができる。必要な財源は1.6兆円で、今年の補正予算の半分足らずである。何なら、財源なしでも可能だ。それは、日本の年金制度がマクロ経済スライドという仕組みを持ち、自動的に年金給付から若年期負担への「平等化」が進められるからである。むろん、非正規を救うことによる人的資本への貢献は、お金に代えられないものになるだろう。

………
 多くの人は、アトキンソンの提案を見ても、日本ではとても無理としか思われないだろう。しかし、諸外国に比して大規模な積立金を持つ日本の年金制度を活用すれば、容易に実現できることが並んでいる。難しいのは、年金制度は、一般の人にはなじみがなく、少子化で破綻するくらいのイメージしかないことである。本当は、需要を管理して成長を促しつつ、人への投資不足を解決できる力を秘めている。ここにブレーク・スルーの可能性がある。

 2016年の経済がいかなる展開になるかは誰も分からない。一つ言えるのは、もし、円高株安が緩やかでなかったとしても、対応策はあるということだ。閉塞は、デフレでさえも緊縮財政を渇望するイデオロギーがもたらしているに過ぎない。エリートが焦る財政赤字の管理も、本コラムでは解決済みの課題だ。遼遠に見える社会保険の適用拡大も、母子家庭の貧困を救うという小さな優しさがあれば、糸口がつかめる。緊縮レジームの外には、澄み渡る新春の青空が広がっている。
 

(元日の日経)
 アジア40億人の力。日銀の物価見通し下げへ。出生数5年ぶり増、子育て支援影響か。

※『21世紀の不平等』(我々に何ができるのか)は、彼の15の提言(p.275)を確かめた上で、第Ⅲ部から読んではどうかと思う。ここは経済学徒にとって考えさせられる部分だろう。
※アトキンソンの提案7は、GPIFが株式比率を上げたことで実現しているとも言える。これを知ったら、危うくも大きな成果に驚くかもね。
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非正規の解放、経済の覚醒

2015年11月15日 | 基本内容
 2020年7月、クミコは、オリンピックの女子バレーボールの会場へと急いでいた。女手一つだから、生活は楽ではない。それでも、選手を夢見る高校生の娘を連れて行けるだけの小さな余裕は持てるようになった。5年前、パート掛け持ちで疲れ果てていた頃なら、とても無理だったろう。それどころか、お金がなくて、部活をやめさせていたかもしれない。そんな親子の危機をいくつも乗り越え、ここまで来た。

………
 「理屈はいいから、母子家庭だけは救ってやれ」、時ならぬ怒声が総理執務室に響いた。「財源が、公平が」と言を左右にする役所の幹部を、総理が一喝したのである。その瞬間、5年後のクミコたちの運命が切り替わった。母子家庭については、年収130万円まで、年金保険料を月額500円に引き下げ、130万円を超えた場合も、急に負担がのしかからないよう軽減されることになった。これで彼女らはパートでも社会保険に加入できる。

 総理が怒ったのも無理はない。経済財政諮問会議の民間議員が11/11に「130万円前後で働く場合に、当面の緊急対応として、負担の公平性を踏まえつつ、社会保険料負担が増加する主婦等の負担軽減を検討すべき」と提案したにもかかわらず、役所はさっばり動こうとしなかったからである。「参院選もあるのに、あいつら俺を追い落とすつもりか」、退散する官僚の背中を眺めながら、総理は一人つぶやいた。

………
 クミコは、店長に呼ばれると、「来月から、6時間と言わず、思い切り働いてください」と申し渡され、狐につままれたような感じがした。「保険料負担を渋って、働かせなかったくせに」と、手のひらを返したような態度にとまどいつつも、これで、パート掛け持ちをせずに済ませられるかもと、内心ほっとした。「とにかく、この店で、がんばろう。チャンスをものにして、部活で娘が使うシューズのお金をなんとかしなきゃ」

 世の中は現金なもので、それまでは、「子供の病気ですぐ休む」などと嫌味を言っていたのに、年金保険料の負担がほとんどないとなったら、「母子家庭のおかあさん大歓迎」である。実際、彼女たちは生活がかかっており、必死に働くから、押しなべて成績は良かった。その場を与えれば、すぐに分かることで、お役所の怠慢で放置され続けた社会保険の「壁」さえなければ、本来の持てる力が解放されるのである。

 この成功ぶりを見て、声を上げたのは、独身の若年層だった。「正社員になれずとも、もっと長く働きたい」、「国保や国年から脱して、正社員と同じく安定して社会保険に入りたい」というのは、切実な願いだった。これに押された政権は、ついに年金保険料の軽減を全パートに拡大することを約束するに至る。母子家庭への「情け」が、日本経済を覚醒させる「蟻の一穴」になって行く。

………
 社会保険の適用拡大は、労働力供給を高めて、成長を押し上げただけでなく、意外な効果も生んだ。正社員の長時間労働が減り始めたのである。パートの労働時間を押し込めなければ、正社員が無理をして補う必要がないという、ごく当たり前の理由からだった。そして、パートも正社員も同じ社会保険に入り、労働時間も大差なくなると、「身分」で差別するのが不自然になる。

 そんな中、「全員正社員」を宣言する企業が現れた。人事担当者は不況時の人員調整を思って反対したが、社長は言い放った。「そん時は、全員が短時間労働で我慢すりゃ、ええやないか。苦楽を共にする、そんな経営がしたかったんや」 創業者でなければ、なかなか言えないセリフだったが、ものごとの本質を衝いていた。社会保険の壁なしに、労働時間が調整できるなら、雇用期間を限定する必要性は薄い。

 こうして、日本から非正規への差別が消えていった。掛け声だけの「同一労働、同一待遇」が、まさか、母子家庭への特例から実現するとは、思いもよらぬ展開だった。差別が消えれば、継続雇用の下で、誰でも育児や介護の休業を取れるようにもなる。柔軟な働き方で生産性が向上し、成長は高まり、財政まで改善した。若年層の待遇が向上すると、結婚も増え、出生率は1.8を望むところまで伸びた。日本の未来を危ぶむ者は、もういない。夢の実現は、案外、手に届くものだったのである。

………
 オリンピック女子バレー準決勝の最終セット、日本代表のエースが勝利のスパイクを打ち込み、銀メダル以上が確定すると、場内は地鳴りのような歓声に沸き、総立ちとなった。クミコと娘も飛び上がって喜び、抱き合った。その時、「おかあさん、バレーをありがとう」という言葉が聞こえ、クミコの脳裏に5年間の苦労がよぎった。あの時、チャンスをつかめたから、今がある。頬を伝う涙は、ニッポンの勝利を祝うだけのものではなかった。

※以上はフィクションであり、以下のみがノンフィクションです。
※内容の説明は、11/22の「解題」に記してあります。


(今日の日経)
 パリ同時テロ。配偶者手当見直し就労後押し・経団連。求人なくて働けず失業は解消。
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経済の不合理性と社会保障の効率性

2015年03月08日 | 基本内容
 盛山和夫先生の新著『社会保障が経済を強くする』は、なかなか意欲的なタイトルである。社会保障は単なる消費でなく、自由な経済活動に潜む不合理を正し、効率をもたらすという見方ならば、筆者も賛成だ。ただ、想いは正しくとも、今の世の中には、なかなか受け入れられないのではないかとも思う。

………
 先の立論の証明には、経済が不合理であることと、社会保障が効率をもたらすことの二つが必要になる。直感的には明白かもしれないが、いずれも難題である。常識人は、今の日本では資金がダブつき、労働力がムダになっていると思っているから、素直に受け入れるだろう。他方、経済学の教科書そのままに、利益の追求という、経済に内蔵されるメカニズムが解決すると信じる者に対しては、おいそれと通じない。

 こうした信者は、利益の追求を邪魔している規制の緩和や、利益を厚くする法人減税や金融緩和を、とことん進めれば良いと主張するだけである。社会保障は、企業に保険料負担をかけたり、財政の拡大で金利上昇を招きかねないものだから、小さければ小さいほど良いとなる。このような既に固められた信念を、説得によって、あとで覆そうというのは、至難の業である。

 現実には、収益性で経済は動かず、需要動向が設備投資の判断を左右することで決まる。設備投資には大きなリスクが伴うため、死せる存在である人間は、限られた時間で十分にリスクを薄めることができず、期待値に従う合理的な行動を取れないからである。こうして見送られる資源が、余資や失業の正体である。

 この解決には、命に制約のない政府が需要を安定させる役割を果たせば良いのだが、財政赤字を毛嫌いするために、手詰まりとなってしまう。こうした振る舞いには、「需要より金利が効果を持つ」という思想も絡むから、解きほぐすのは、なかなか厄介である。実際、日本は、1997年以来、景気が回復しかけては、緊縮して芽を摘むことを繰り返しており、失われた時代を続けているのである。

………
 こうした不合理を経済が持つとすると、社会保障は、需要を供給する経路となり得るので、有効に働くことになる。ただし、それは、社会保障だけのものではない。公共事業で需要を創ることも可能だし、戦争の軍需が解決することだってある。実は、社会保障には、需要の源にとどまらない大切な役割がある。福祉的価値を言うのではない。経済を効率的に作動させるのに、なくてはならない存在なのだ。

 経済は、利益の追求を原動力にしているため、どうしても収奪を起こしてしまう。例えば、魚を取れるだけ取ったり、森を切れるだけ切ったりすれば、さしあたり、大きな利益を得られるが、資源を枯渇させ、早晩、破綻に至る。経済合理性に従って行動しているようで、そうではない。このことは、人的資源にも言える。若者を安使いし、子供を持てぬほど精力を吸い上げ、病老で効率が落ちたら放り出すというのが、利益最大化のコツだが、これは、社会の破壊になる。社会保障には、これを防ぎ、経済を持続可能にする役割がある。

 病気や老後への備えは、働く側も、普段は意識しがたいから、それらを踏まえない過少な対価でも受け入れがちになる。これに企業が乗じないよう、制度を整える必要がある。また、労働力を再生産し、企業活動を長期に渡って可能にするには、子育て支援の社会保障も欠かせない。少子化を起こすほど、若者を浪費するのは、魚や森の収奪と変わりがない。日本は、この機能が不十分である。

 不十分さの根底には、二つ理由がある。一つは、乳幼児期にコストの山があることだ。保育所を開き、分業体制を整えれば、アダム・スミスの言うとおり、生産性向上の利益が得られ、儲かるはずである。ところが、こうした子育ての社会化は、市場に任せて自然に整うものではない。乳幼児は、分業しても、なお高価だからだ。特に、ゼロ歳児は、女性がパートで働くくらいでは払えないくらいのコストがかかる。コストを均すためには、社会保険の機能が求められる。

 もう一つの理由は、若者にとって、子育ての投資財としての価値が認識されがたいことである。子育ては、直面する価格は高く思えても、生産に貢献するという投資的価値があるために、長い目ではリターンが大きく、本当は安い買い物である。こうした高収益の人的投資に、手持ちのカネがないからと言って投資しない不合理な行動を防ぐよう、社会保障は機能しなければならない。

………
 産業化される以前の農村社会では、子世代の育成が死活問題であることは自明であった。イエの跡継ぎを育てなければ、生業が途切れて、衰えが飢えに直結する。今は、社会保障によって、不幸にも健康上の問題で子供を持てなくても、老後を心配せずに済むが、子世代が親世代を支えるという本質は同じだ。社会保障は、それを集団化しただけだから、保障に慢心し、多くの人が子世代の育成を怠ってしまうと、制度が成り立たなくなる。

 企業にとっても、産業化によって、経済活動の存続にヒトの再生産が必要なことが見えなくなり、募集すれば済むような勘違いをしている。もし、誰もが、将来の人材はよその会社の従業員が産み育ててくれるから、自分の会社では使い倒して儲けを最大にしようとしたら、経済は立ち行かなくなる。どの会社も一定の負担をするようにしなければ、良心的な会社が競争に敗れかねない。

 このように、短期的、近視眼的には一見合理的に見えるが、長期的、大域的には不合理な行動を是正する役割が社会保障にはある。経済を持続可能にするのであるから、社会保障による是正は、収益を高めることにもなる。その意味で、「社会保障は経済を強くする」のである。本コラムでは、『雪白の翼』において、負担増なしに大規模な少子化対策が可能なことを示したが、これはマジックでも何でもない。社会保障には、経済合理性を発揮させる機能が備わっているがゆえに、設計さえ工夫すれば、原理的に可能なことなのだ。

………
 日本のデフレや少子化という困難に見える課題は、合理性の発揮を促せば、容易に解決がつくものである。企業が需要に「期待」を形成できず、設備投資をためらっているのに、超低金利にもかかわらず、財政再建を最優先し、率先して需要を抜くという不合理なことをするから、デフレになる。変な理屈をこねず、低金利下であれば、政府もまた、これに従い社会的な投資をするという、経済学の基本に忠実に、穏健な経済運営をすれば良い。

 少子化については、人々は、目先の負担の重さに躊躇して、長期的絶滅という不合理な行動を選択しているのだから、目先と長期の利益がズレないよう、制度を整えれば済むことである。国のエリートが、国民経済を長期的、全体的に考えず、ひたすら、自分の担務の財政赤字を減らすとか、自分の会社の税引き後利益を大きくするとかばかりを画策するから、この国は、おかしくなる。

 本コラムでは、原理的な経済の持続可能性を訴えるだけでなく、『雪白の翼』で負担増なしの少子化対策を、『二兆円の理想』で若者・女性を対象にした需要創出策を示してきた。果ては、『均衡管理』で資産課税による金利上昇の対策まで作らされるハメになった。いずれも、現実の再認識というハードルはあるものの、改革の「痛み」が少ないのは、経済合理性に沿っているからである。(各献策は「基本内容」に掲載)

………
 社会保障の擁護者は、福祉的価値を強調することで説得を試みるきらいがあるが、それだけでは、福祉の価値観に共感できる者に範囲が限られる。こう見えても、筆者は、ウォームハートの持ち主だと思っているが、損得論のクールヘッドも用いなければ、経済全盛の現代社会における説得は、適わないと感じている。月並みだが、理念も損得も両方が必要だ。

 他方、経済学を悪用する者は、「自由が効率をもたらす」との命題を利用こそすれ、その実、制約や負担のなさが自分たちの個別的、短期的な利益に役立つからに過ぎない。攻め手としては、自由の原理を論難するより、全体的、長期的な利益に外れた道であることを衝くのが早い。そして、「策がないから、とにかく自由に」と原理へ逃避しようとするから、献策の用意まで必要になる。経済学徒とは、何かと手間のかかる人達なのである。


(今日の日経)
 短時間勤務で人材確保、1日2時間パート、週20時間正社員。

 ※今週の日経では、川口大司先生の経済教室(3/6)が良かったね。成長しないと賃金も伸びないということかな。
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金融資産課税と国債利払いの均衡管理

2015年01月25日 | 基本内容
 「消費増税を見送ったら、国債金利が急騰し、財政が破綻してしまう」と脅されたら、マイナス成長を覚悟で、消費増税も仕方がないという気分になる。しかし、金利が心配なら、消費増税でなく、金融資産に課税すべきではないのか。国債のほとんどは国内で消化されており、利払いが増えれば、利子課税による税収も伸びる構造にある。財政再建=消費増税という図式は、当局による刷り込みでしかない。

 そもそも、政府の借金が大きいのは、企業が資金を滞留させているからである。企業は物的にも人的にも十分な投資をしておらず、これで生じる需要不足を、財政赤字で埋め合わせている。借金は必然的に誰かの貸金であり、双方を同時に解決しなければ、増税しても経済を縮小させるだけである。ところが、日本では、景気が回復しそうになるやいなや、緊縮で需要を抜き始め、企業が需要に従って投資をしたくても、できなくしてしまう。

 これを、どうすべきか。緊縮にはやる原因である「利払いへの不安」を払拭しておくことが肝要だろう。それには、金融資産への課税強化により、金利の上昇で利払いが増えても、連動して税収も伸びるように設計して、利払いと税収が均衡する構造にしておけば良い。これは、別段、難しい改革ではなく、現在の税率20%を25%に引き上げるくらいで、十分、安心できるようになる。

………
 日本の金融資産の状況は、日銀の資金循環統計で分かる。参考図表の「部門別の金融資産・負債残高」を、しげしげと眺めてみよう。これによると、2014年9月末における家計の金融資産の残高は1,654兆円、民間非金融法人は972兆円である。仮に、これらに1%の利回りがあるとして、20%の課税をすると、税収は5.3兆円になる。 

 他方、一般政府は1,177兆円の負債を抱えている。ただし、541兆円の金融資産も持っているから、差し引きの純資産は636兆円のマイナスである。これに必要な利払いは、金利が1%なら、6.4兆円になる。こうしてみると、もう少し税率が高かったら、税収と利払いが均衡することが分かるだろう。

 国債の利払いの問題で、案外、見落とされているのは、利子課税の存在だ。日本は需要不足の経済であるから、国債のほとんどは国内で消化される。したがって、それらには20%の利子課税がなされ、国債の利払いの20%は、税収として政府に戻って来る。いわば、政府は2割引の金利で借金ができるようなものである。

 そして、国債金利の上昇に連れ、それ以外の金融資産の利回りも上昇して行くとすると、当然、そこからも税収は揚がって来る。政府の純資産の-636兆円は、家計と企業の金融資産の合計額2,626兆円の24%に相当するから、もし、税率が24%であれば、利払いの増と税収の増はバランスし、金利が上昇しても、まったく困らないようになる。

 現実には、すべての金融資産に一律に課税ができるのか、すべての金融資産が国債金利と同様に利回りが上昇するのかといった問題があるので、ここまで単純な話にはならないが、利払いが心配なのであれば、念仏のように消費増税を唱えるより、金融資産への課税の強化が極めて重要であることは理解できると思う。

(表1) 金融資産の状況



………
 ここからは、もう少し現実に照らした議論をしていこう。まず、表を見て、思い浮かぶ疑問は、家計や企業が持つ、預金、証券、保険・年金には課税が可能だとしても、「その他」に課税ができるのかである。特に、企業では「その他」が金融資産の4割を占める。そのため、表では、「その他」を除いた数字も示してある。

 「その他」の中身は、企業間・貿易信用と、対外投資・債権が大半を占める。前者は、金融商品のように課税はできないし、後者は、海外子会社からの配当の95%が益金不算入となっていることを踏まえれば、課税になじまないようにも思える。ただ、現状はともかく、制度として、いろいろ考えることは可能だ。

 前者は、帳簿にある数字なので、年間平均残高について、国債金利並みの利回りがあったとみなし、いわば、外形的に課税する道もなくはない。法人税は外形標準化が図られているが、給与を課税標準にするのでは、所得税や社会保険料に似たような性格になってしまう。むしろ、資金の有効利用に結びつくような課税がふさわしい。

 後者の益金不算入は、高い法人税率をかけてしまうと、日本に還流せず、現地にとどめてしまうことが理由だ。そうであれば、金融資産として低い税率を用い、現状より課税を強化することには検討の余地があろう。実は、これら二つの論点が示すように、企業の持つ金融資産への課税は、法人税の在り方と一体のものになっている。

 法人税は、言うまでもなく、利益に課税するものではあるが、実態的には、企業の持つ金融資産や実物資産を運用した結果の利回りに課税していると見ることもできる。ある意味で、金融資産への課税なのだ。したがって、金利上昇を心配しているであれば、消費増税と引き換えに法人減税をしてしまうのは、矛盾した政策になる。

 法人税率を下げるにしても、企業の持つ金融資産に対しては課税を強化したり、利子や配当への課税強化を並行して行うべきである。実際、財政当局も努力はしているようで、2014年度は、証券優遇税制で10%となっていた税率を、NISAを導入する代わりに、20%にしたり、2015年度の法人減税の財源では、持ち株比率25%未満や5%未満の場合の配当課税のベースを拡大したりしている。

 おそらく、次の課題は、利子・配当課税の税率の引き上げになるだろう。日本の税率20%は、他の主要国は累進的に税率を課していることもあって、概して低い。その際、理念的なものではあるにせよ、利払いと金融資産からの税収とのバランスも念頭に置き、25%程度の税率は、是非、確保したいものである。

………
 続いて、一般政府に目を転じよう。ここでの問題は、利払いの対象となる負債の大きさである。一般政府の資産では、社会保障基金が226兆円を持つ。この大部分は公的年金の積立金である。これを負債から差し引き、利払いが無用のように見なすのはどうかという点だ。これについては、成長率に準じた正常な利回りは必要にしても、望外の利回りの上昇で高収益が得られた場合は、それで年金水準を上げる必要はないと考える。

 また、一般政府の資産には、中央政府の対外証券投資125兆円が含まれる。これは、過去の為替介入の結果として、ドル建ての米国国債が積み上がったものである。現在の円安局面で差益が出ているうちに、少しずつ減らして、日本国債を償却しておきたいところだ。それはともかく、金利が上昇する際には、案外、円安ドル高になり、利払いを助けてくれるかもしれない。

 そして、一般政府で最重要の問題は、異次元緩和に伴い、日銀が国債を229兆円も保有するようになったことである。日銀への利払いは、納付金として政府に戻って来るから、事実上、無いのと同じである。この分を一般政府の純資産から差し引くと、家計と企業の「その他」の金融資産を除いた場合でも、税率は19%でバランスする。これを踏まえれば、主要国並みに税率を25%に上げておけば、課税の対象が狭かったり、利払いの対象が広がったりしても、安心であろう。

 もっとも、金利が上昇する場面では、日銀の保有する国債と言えども、完全に無利子では済まないかもしれない。国債保有の反面で日銀当座には資金が積み上がっており、これを安易に引き出させないため、ある程度、付利をする必要が生じ、それで納付金が減る事態も考えられるからだ。結局のところ、短期金利程度の政府からの事実上の利払いは、必要となる可能性が高い。

………
 国債の利払いの問題については、上昇を無闇に恐れて、一気の消費増税に突っ走ったり、「いざとなれば年金カットだ」と息巻いたりするのではなく、金利上昇時の利払いの推移をシミュレーションしておくのは当然として、金利上昇が金融資産にどのように波及し、どの程度の税収増に結びつくかも検証しておくべきだろう。それで税収が十分でないとなれぱ、金融資産への課税強化をどういう手順で進めるかの計画を練っておく必要がある。いわば、国家版の資産負債総合管理(ALM)というところだ。

 それも念頭に、ここで、金融資産からの税収が、現状、どのくらいあるのかを押さえておこう。国税庁の統計年報をめくると、所得税の源泉徴収分における、利子所得、配当所得、株式等譲渡所得からの税収額が出てくる。2013年度は、計3.5兆円である。利子所得の地方税分を加えると3.7兆円ほどになるだろう。

 申告分については、総合課税であるから、所得の種類別には税収額が分からない。そのため、「申告により納税額がある者」の種類別の所得額に、20%を乗じることで推定した。これが、0.9兆円である。こうして、源泉分と申告分を合わせれば、金融資産からは、およそ4.5兆円の税収があったものと考えられる。

 いかがだろうか。意外に税収は揚がっているという印象ではないか。日銀保有分の国債を抜いた一般政府の純資産額は407兆円のマイナスだから、これに必要な利払いは、2013年度末の普通国債の利率加重平均の1.15%を乗じると、4.7兆円になる。これに先ほどの税収4.5兆円を対比させると、税収と利払いのバランスを取ることが、さほど難しくないと分かる。

 2013年度は、アベノミクスで株価が上がったり、税制改正に伴う駆け込みの益出しがあったりと、税収が膨らむ要素はあったが、これだけの税収が得られるのなら、現状においても、それなりに金利上昇に耐えられる税収構造になっていると言える。これを更に強化し、税率を25%に引き上げておけば、十分、安心が得られるのではないか。

(表2) 金融資産からの税収



………
 日本の財政当局のすることは、消費増税の一本槍で、極めて単調である。優れているのは、税の自然増収を隠匿し、財政破綻の脅威を言い募り、経済界と法人減税で取引するといった政治的な能力ばかりである。正直に言って、経済全体を見て需要管理をせよとか、金融資産の税収「債権」と債務の総合管理をせよとか、日本にとって「高級」なことを並べても、虚しい気はする。

 需要を追加する方法についても、社会保険が国の財政に匹敵する規模となり、低所得層への「減税」は、社会保険料を軽減するしか道がなくなっているにもかかわらず、旧態依然とした公共事業の追加か、地方財政を通じたバラマキに頼っている。米国では幻想とまで言われる法人減税への「信仰」も未だに猖獗を極めており、時代に則した新たな方法の開発が必要だという発想すらないのが現実だ。

 財政破綻は、通例、金利上昇やインフレの発生として理解されるが、前者については、金融資産への課税を強化して均衡を取っておけば、利払い不安で金利上昇が加速する事態は避けられる。後者は、福祉財源論と切り離し、機動的に消費税を引き上げるマンデートを国民から得ておけば、物価を冷やす抜群の効果を発揮しよう。これらの安全装置を用意した上で、健全なる積極財政によって、適切な需要管理をすれば、おのずと経済は成長する。

 需要が足りなければ、若者や女性が多く含まれる低所得層の社会保険料を軽減することで対応したり、年金給付を子育て時に前倒しで給付したりすれば良い。これらは、少子化の緩和にも役立ち、潜在成長力も高める。このような再分配を行えば、成長に伴う雇用の底上げと相まって、格差も縮小に向かう。日本が本当に必要としている政策は、こうしたものではないか。別段、痛みはいらんのだがね。

 ビケティ先生は、格差是正のために、資産への累進的課税を提言しているが、今回、見て来たように、金融資産に的を絞って、果実へ一律に課税するのを構想するだけでも、大変な作業になる。「21世紀の資本」に対応できる政策は遥かかなただ。まあ、それでも、一歩ずつである。若い人たちには、日本が蔑まれるような前時代的な政策から脱し、手本として世界が敬意を払うような政策を編み出せるよう、奮起してくれることを期待しているよ。


(今日の日経)
 米国産コメ輸入拡大、TPP歩み寄り。読書・運命の選択1940-1941、最低生活保障と社会扶助基準。
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ニッポンの理想・2兆円でできる社会

2014年01月12日 | 基本内容
はじめに
 1964年の東京オリンピックは高度成長を象徴するものとして知られるが、戦後、開催地に初めて立候補したのは1954年であり、高度成長が始まる以前のことであった。戦災からの復興を世界に示すというものではあっても、成長ぶりを誇ろうとするものではなかった。それは、オリンピックの開催を決意してから、ニッポンがつかみ取ったものである。

 2020年の東京オリンピックは、東日本大震災からの復興がテーマになるのは間違いない。しかし、それにとどまらない日本の姿を世界に知らせることだってできる。高度成長を実現した時には「奇跡」と称された。その戦略は、いまや多くの国の手本となり、続々と人々に豊かさという「希望」を与えている。再び世界を驚かせないと誰が言えようか。

 あと6年半、試練を超えて、その時に何が実現されているかは、我々が目指す理想による。1957年、石橋・岸内閣の蔵相池田勇人は、復興一巡後は成長が低下するだろうという悲観を排し、官僚が隠し持つ税の自然増収を吐き出させ、「健全なる積極財政」を掲げて、高度成長の道へ踏み出した。すべては、ここから始まった。

1.消費増税後
 2014年の日本経済は、4月の消費増税以降、消費が落ち込み、その後も底をはう展開となろう。輸出は、米国の成長が意外に緩慢なため、円安にも関わらず、伸び悩むと見る。更なる金融緩和は、円安が輸入購買力を落とすだけだと、望まれもすまい。住宅は駆け込みの反動、公共事業は経済対策の峠越えで、成長の足を引っ張る側となる。こうした状況で、設備投資は、大規模な企業減税の期待に反し、極めて緩やかに推移しよう。

 こうして、秋口ともなると、次の消費増税どころか、早急な景気テコ入れに迫られることになろう。そうした折に問題になるのが、2.2兆円に及ぶ前年度の税収上ブレである。これほどの増収が見込まれるのに、なぜ一気の消費増税という無理をせねばならなかったのか、怨嗟の的となろうが、その一方で、どう使うかも考えねばならない。

 なぜなら、定番の公共事業を積み増すとなると、またぞろ人手不足や資材高を招きかねず、企業減税はやり尽くして、無為に終わった状態である。あとは、麻生内閣当時の定額給付金のようなバラマキでもするかとなろう。財政当局は、一度限りで後腐れないのが好みかもしれないが、場当たり的な施策では、後に残るのは徒労感だけだ。

2.ボトルネックと活力
 蔵相池田が打ち出した施策は、インフラを整えて成長のボトルネックを除くとともに、所得減税によって国民負担を軽減し、活力を引き出すものだった。今の日本において、活かさねばならぬのは、矛盾に押し込められる「若い力」である。これを解放することが、日本の明日を拓き、世界に新たなモデルを示すことになる。

 平成25年度の最低賃金は764円。1日8時間、月22日働いて、年収161万円である。これに労使で43.4万円も社会保険料がかかり、生活保護より大して多くないレベルになる。その上、消費税が10%かかってくる。これでは、若者や女性の多くが保険料逃れの非正規労働に押し込められ、将来に不安を覚えるようになるのも当然だ。それは、少子化ももたらし、一層、税と保険料を重くしてしまう。

 この矛盾を解決するには、2兆円もあれば十分だ。自然増収を無闇にバラ撒かず、低収入の人たちの社会保険料を軽減し、還元するなら、「20時間働けば、希望が開ける社会」にできる。自然増収は、前年度の実績によるものだから「恒久財源」だし、当局が伏せていたがゆえに、財政再建の予定外のものでもある。だから、使って構わないはずだ。隠匿を逆手に取ってやれば良い。

3.年金保険料の軽減
 まず、低収入者の保険料を大幅に軽くして自立を促す。具体的には、年収138万円未満の者について、厚生年金の保険料を、労使とも、ほぼゼロの月額500円まで下げ、事実上、健康保険のみの負担にする。これで、年収により16.8~22.9万円もの負担が軽減され、本人負担の保険料率は年収の5%程度まで低下する。これに要する財源は、わずか4000億円である。

 そして、この4000億円が、パートへの社会保険適用の拡大を一挙に可能にする。現在は、労働時間が30時間未満のパートは、厚生年金に加入できず、ほぼ倍の国民年金の負担をせざるを得ない。それが20時間以上に拡大されるなら、重い負担から解放される。なぜ、この実現が難渋しているかと言えば、経済界が会社側の保険料負担の増大を嫌うからである。

 ところが、低収入者の年金保険料をワンコインにすれば、当然、会社側の負担は、ほぼゼロとなるから、問題の半分は解消される。そして、新たに負担しなければならない健康保険料についても、これは2000億円を要するのだが、先ほどの年金保険料のゼロ化による会社負担分2000億円の軽減で相殺されるのである。

 つまり、会社によってデコボコはあるものの、会社側全体としては、保険料の負担増なしで適用拡大ができるということだ。これで最大のボトルネックが突破される。こういう構図を作れば、会社ごとに損得があっても、激変緩和措置や税などの支援策を用意すれば、合意に至ることは十分に可能であろう。

 むろん、新たに加入する20時間以上のパートの年金保険料をゼロ化する財源も用意しなければならない。これが6400億円である。先ほどの4000億円と合わせ、約1兆円である。これで、「20時間働けば、約5%の負担で、健保に入れ、厚年も受けられる社会」になる。法人減税で9000億円を軽減し、賃上げを要請するより、遥かに効果があるとは思わんかね。

4.年金の引出制度
 ここで、一つ仕掛けを創る。厚年と健保に1年間加入して、きちんと保険料を納めた者には、医療費と学費に使途を限り、払った保険料を引き出せるようにする。例えば、年収100万円の者なら、年金保険料は年間で16.8万円たまるので、これを使えるようにする。代わりに将来の年金給付が減るので、必ずしも返済する必要はない。

 これによって得られる安心感は大きいだろう。いわば、まじめに働けば、万一の医療費や子供の学費を社会保険が助けてくれるということである。もちろん、あまり引き出すと将来の年金が乏しくなるから、80万円以内とか、5年分以内とかの限度は必要だろう。この制度はパートに限る必要もないから、夫婦共に使えば、160万円程度のお金は融通できよう。

5.壁から階段へ
 次に、主婦パートを低収入に押し込める130万円の壁を打ち壊す。言うまでもなく、パート収入が130万円を超えると、扶養されている立場(3号被保険者)から外れ、いきなり36.3万円もの保険料がかかってくる。これでは、思い切り働きたい、地位を上げたいという気持ちにならない。そんじょそこらの「規制」より、遥かに人の可能性と経済の活力を奪う一大欠陥だ。

 ところが、先ほどの年収138万円未満の年金保険料がゼロ化されていると、130万円を超えても、健康保険しかかからなくなる。概ね8万円年収が増えるに対して、6.7万円の本人負担の増だから、我慢できる範囲ではないか。また、年金の引出制度が使えることを考えれば、取られる保険料よりも大きな「貯金」ができるわけで、十分に魅力的だと考える。

 ただし、このままでは、「壁」は138万円へ動いただけである。これを超えるとフルの年金保険料がかかってくる。そこで、「壁」を「階段」に変えることにする。例えば、年収が8万円増えても、保険料の増は4万円という具合に、半分以下に収まるよう保険料を軽減する。年収142万円なら17.1万円、150万円なら11.3万円、160万円なら4万円の軽減だ。これに必要な財源は2500億円である。むろん、「壁」の「階段」化は、主婦パートだけでなく、扶養には無縁の単身や母子家庭のパートにも恩恵となる。

6.主婦パートへの適用
 これで一大欠陥は、とりあえず解消だが、筆者は、主婦パートも一定の収入があるなら、扶養に安住せず、社会保険料を負担すべきだと考える。「負担をして、権利も得よ」と訴えたい。そこで、3号被保険者の範囲を年収130万円未満から94万円未満に引き下げることを提案する。健康保険の本人負担(月額4100円~5300円)は必要だが、月額500円で将来の年金は大きく積み増される。むろん、主婦パートも厚生年金に加入させると、別途、年金保険料のゼロ化の財源が必要となる。これが約3000億円である。

 格差拡大によって、専業主婦は、誰でもなれるものから、憧れへと変わりつつあり、「特権」の改革は避けられまい。なお、主婦パートの加入で、健康保険の企業負担が約900億円増すが、これは実質的な負担増にならない。主婦は既に夫の健康保険をタダで使っているので、加入しても保険者の医療費支出は膨らまない。ゆえに、新たに負担する分だけ、既存の負担を軽くできるからだ。ただし、これは基本であって、実際には様々な調整が必要となる。

 以上のような社会の「構造改革」に必要な財源は、しめて1.6兆円である。簡単化のために介護保険や公務員共済などを捨象しているが、大筋では変わるまい。自然増収は2.2兆円もあるから、おつりが来るだろう。さらに、通常は適用拡大の議論の対象にならない学生パートや高齢パートまで広げても、1.75兆円くらいであろう。他方、自然増収は、国のほか、地方にも1.7兆円ある。社会を変えるのに、足りないのは財源ではない。アイデアであり、理想である。

7.専門的な論点
 ここで、多少、専門的な話をしよう。低収入者について、年金保険料を免除するのではなく、国が肩代わりして受給権を与えることは、保険の原理に反するため、正直、「どうか」と思う部分はある。それでも、生活保護水準並みの年収の者から、老後に備える「お金」を取り立てるのは無理という現実を視ざるを得ない。徴収された年に医療給付として消費される健康保険の保険料とは違うのである。

 しかも、年金の保険料率は、あと1.18%上げることが確定しているし、40歳以上は1.55%の介護保険料がかかり、健康保険の料率の上昇も予想される。加えて消費増税である。これでは、生活保護水準並みの年収でも、一律に4割近い負担になりかねない。バラバラに進めて来た税と保険料の負担増のいずれかを、緩めねばならない時期に来ている。

 なお、低収入者の年金保険料の軽減は、ある種の「給付つき税額控除」と見ることもできる。給付となると、税や社会保険料、公的サービスの代金を払わない人の扱いが問題となるが、「社会保険料軽減型」なら弊害は少ない。また、10%の消費増税の際に導入するとされる、食料品等への軽減税率の導入より、はるかに効率的でもある。

 次に、年金制度の整合性だ。厚生年金の低収入者の保険料を、国が肩代わりすることは、国民年金の加入者に対して不公平という批判があろう。それは筆者も分かっている。しかし、時代の流れとして、国民年金から厚生年金に、加入者をできる限り移し、一元化に近づけるべきではないかと考える。

 前述の改革によって、国民年金の加入者の3割弱を占める臨時・パートの大半が厚生年金に移り、1割弱の個人事業所の常用雇用も、有利さから次第に任意加入で移って行くだろう。残される自営と無職・不詳に対しては、経済状況の明確な証明を条件として、別途、国が保険料を肩代わりする制度を作るというのが、在るべき方向ではないか。

 もう一つの論点として、負担の軽減ならば、年金保険料を減免する方法もあろう。だが、それでは、将来、基礎年金の半額といった低年金者を大量に生み出しかねない。これは問題の先送りであって、その時には、やはり国が何らかの負担をせざるを得なくなる。今のうちに、まじめに働く人には最低限の年金を保証して予防しつつ、働く意欲を高めて減らすことが肝要と思う。

 今後の年金給付は、マクロ経済スライドの発動によって、基礎年金も含め、2割近く目減りすると予想される。できるだけ厚生年金に加入させ、上乗せ部分を持たせないと、決して高いと言えない今の基礎年金の水準を大きく下回ることになる。それに驚いて、あとで一律に底上げの定額給付などをするより、働きに応じて保険料を補う方がベターと考える。

8.「共有地」への改革
 社会の「構造改革」には、まだやるべきことがある。少子化対策については、「雪白の翼」で示したように、年金制度を活用すれば、負担増なしに、0~2歳の3年間、毎月8万円を給付することができる。これだけの支払能力があれば、十分な保育サービスも出て来よう。若者の希望を叶えることで可能になるとされる出生率1.75への回復も夢ではない。

 また、若者のために、大学や専門学校へ進学する際に受けた奨学金の一部を年金で返す制度を作ることも検討に値しよう。そうすれば、若い時分の返済を少なくし、結婚や子育てにも余裕が持てる。その後は、夫婦で大いに働き、年金を回復できるよう頑張れば良い。こうして、年金制度は、高齢者に給付をするだけではなく、若者が人生の欠かせぬ場面でサポートを引き出せる「共有地」へと変わる。

 実は、パートは医療介護分野にも多い。ソーシャル・ビジネスのような、あまり稼げないが、社会に喜ばれる仕事を志す人にとっても、広く厚生年金が適用される社会は、支えとなるはずだ。世の中には、働けない人もいるから、すべての人を社会保険で救うことはできないが、「20時間」という目標は、働けずにいる人の勇気を奮い立たせるだろう。

おわりに
 改革によって実現するのは、「働けば、希望が開ける社会」である。誰でも、20時間働けば、約5%の負担で、健保に入れ、厚年も受けられ、大学での勉学も、結婚や子育ても容易にできるようになる。オリンピックに参加する若きアスリートも、プロは一握りで、パートで働きながら鍛錬に励む者は少なくない。そうした若者が将来に希望を持てない社会で、どうして2020年を迎えられよう。

 ニッポンが目指すのは、「強い国家」か、はたまた「財政再建」か。どちらも世界が羨むようなものではない。高度成長のキャッチフレーズは、「所得倍増」だったが、未だ国民の栄養状態が必要水準に達せず、鍋に肉でもあれば大喜びするような時代にあって、働けば、みんな腹いっぱい食えるという切実な「希望」が込められていた。そして、高度成長という前代未聞の独自戦略を現実から編み出し、遥かに超えて豊かさと平等を実現して、世界のモデルとなった。

 これから消費増税に苦しむ中にあって、それでも「希望の国」となり得る可能性が残っていることを思い起こしてほしい。金融緩和・緊縮財政・規制改革の観念的戦略論から覚め、自分たちの現実に根ざすなら、果たすべき理想が見つかり、社会を変えることができるだろう。そうして、6年半後、梅雨明けの夏空の下、若者の祭典・東京オリンピックを開き、ここにそれが実現されていることを、再び世界に示そうではないか。

(今日の日経)
 ネット通販後払いで。家電量販店の販売統計を公表。中国金利指標の揺らぐ信頼性。半導体・技術開発に覇者の驕り。東南アのクルマ三国志。

※新春から、えらいものを書かされたよ。老眼にエクセル作業は厳しいのう。若手も、世代間の不公平を正すとか、財政再建に必要な消費税率を計算するとか、くだらないことをやめて、社会改革のアイデアを出しておくれ。
コメント (2)
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