経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の心

「愚行」の後日談

2012年08月15日 | 特別版
 最近になって、リンクを付ける技を覚えたところ、「壮大なる愚行」の閲覧が増えていた。こんなことなら、ちゃんと手直しをしておけば良かった。「愚行」には、後日談があり、「貯蓄(純)」を使うより、「純貸出/純借入」が適当ではないかという御指摘をいただいていた。それで、今更ながら、若干の手直しをし、その趣旨について、普通の人には「何のことやら」というオタクな話を記しておく。

………
 実は、どちらの数字を使うか、筆者も少し迷ったのである。それゆえ、「良い質問ですねぇ」とばかり、ウンチクを語ると、次のとおりになる。まず、「貯蓄(純)」とは、何なのか。ごく簡単に言うと、税金や保険料を集め、それを行政サービスや給付に使った残りである。集めた以上に使うと、むろん赤字ということになる。

 ここで留意すべきは、「貯蓄(純)」には、固定資本形成という名の公共事業への支出がカウントされていないことである。他方、「純貸出/純借入」には、公共事業がカウントされている。だから、財政の姿により近い数字として、「純貸出/純借入」を使うのが適当ではないかという意見も出てくるわけである。

 とは言え、「純貸出/純借入」にも短所がある。カウントされているのは、公共事業への支出そのものではなく、固定資本減耗という減価償却分を差し引いたものだ。これは社会資本の蓄積につれて増すから、年を経るごとに増えるバイアスがかかる。また、「純貸出/純借入」は、資本移転が加味される問題もある。そのため、いわゆる「埋蔵金」の発掘があったりすると、大きくフラついてしまう。この特殊要因によって、最近6年ほどのデータは、傾向が読み難くなっている。

 こうしたことがあるので、「純貸出/純借入」を加工し、「減耗」を除くなどして数字を作ることも考えたが、それでは、恣意性を疑われてしまう。「愚行」の意図は、「GDP統計という基本データに関心を持ってもらうこと」にあるので、在りのままの数字を使って説明したかった。こうした諸々について考えを巡らした上で、「貯蓄(純)」という最も基礎的な数字を選んだ次第である。

………
 それでは、「貯蓄(純)」を使うと見えなくなる、公共事業と財政赤字の関係については、どう考えたら良いか。それは、GDP統計が公的な固定資本形成を別立てにしている趣旨にも関わるものである。つまり、同じ財政赤字を出し、借金をして支出することには変わりはないけれども、公共事業は、社会資本という資産を残す「投資」であって、他の行政サービスのように、その時限りでなくなる政府消費とは違いがある。

 こうしたこともあって、昔は、財政赤字について、資産を残す建設国債は良いが、借金しか残らない赤字国債は問題だという議論もなされていた。もし、国の財政赤字が公共事業への投資のみを理由としたものであったとしたら、財政赤字に対する危機感はまったく違ったものになっていただろう。むろん、公共事業を膨らませることでも、金利上昇やインフレといった財政赤字の弊害は起こり得るのだが、社会福祉を削減するのとは違い、遥かに調整はしやすいのである。

 というわけで、数字には一長一短があるから、興味のある人は、いろいろと加工を試みるのも良かろうと思う。もちろん、固定資本形成を加えれば、赤字は大きくなるが、日本の財政当局が、公的年金の大規模な黒字をわきまえず、赤字と黒字を並行させるという不思議な経済運営をしてきたことに間違いはないし、また、実態以上の危機感を持ち、1997年に、ハイリスクの急進的な緊縮財政を行って、却って政府部門全体の収支構造を悪化させ、ひいては日本経済を破壊するような愚行をしでかしたことにも変わりはない。

………
 蛇足だが、海外では、国・地方の財政に社会保障も連結したものを見ながら、経済運営をすることは当たり前になっている。連結したら別の姿が見えると驚くこと自体、いかに日本が前時代的なままにあるかの証拠である。「愚行」で伝えたかったことは、経済運営は全体を見てしなさいという、ごく平凡なものである。

 ところで、先日、厚労省から厚生年金の収支決算の概要が発表された。歳入歳出の差引残は3400億円、積立金受入を除くと1.1兆円の収支改善である。今、これを聞いて、どう思ったかな。「収支改善」は、年金財政には結構だろうが、震災による経済ショックの中で、家計にはデフレ圧力が加えられていたことも意味する。そうした視点に気がついたかね? 全体を見るとは、こういうことなのである。

(今日の日経)
 ソニーのテレビ販売2割減。超小型車の半額を補助。伸びる百貨店。けん引役の独仏も減速、ユーロ圏マイナス成長。消費増税・強まる歳出膨張圧力。概算要求基準17日閣議決定へ。米の原発新設に核廃棄物で冷や水。トルコ・高まる購買力。海上の高速通信を全船で。4-6月期決算・非製造業の経常利益7%増。経済教室・民意のゲーム理論・坂井豊貴。

※ユーロ圏はどうやって財政赤字を減らすつもりなのかね。2014年4月までに破綻が明らかになってほしいな。※基礎年金分の1%にしておけばこんなことには。※社会保障費の自然増が少ない理由を知りたいものだ。※輸出主導の中国モデルが挫折して、トルコやインドネシアの内需モデルが注目されるだろう。インフレ対策に増税は良。※売上、利益とも好調。成長が期待できる。むろん税収増も。

※坂井先生の論考も良かったんだが、世代格差論を引くとは。あちこちの若手研究者に誤謬が広がっているのは胸が痛む。まあ、2011/11/28でも読んでくれ。政治学者にも経済政策の良し悪しが分かるセンスが必要だと思う。
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「愚行」のポイント

2011年03月01日 | 特別版
 「壮大なる愚行」は、いかがだったかな。話し言葉なので、どうしても冗長になりかちだが、そこは御容赦いただきたい。30年分の日本経済の流れが、これだけの分量で追えると思って、我慢してもらえるとありがたい。

 「愚行」のポイントはシンプルで、「経済運営をするなら、政府部門全体の状況を見ながらしなければダメ」というもので、正直、こういう主張を否定するような人はいないと思う。「一部だけ見ていれば十分だ」という主張は考え難いからね。

 おそらく、多くの人にとって驚きだったのは、地方政府や社会保障の黒字の大きさだろう。地方財政と社会保障給付は、ともに国の財政に匹敵する規模がある。ここまでは分かっている人もいると思うが、それが国の財政とは違う方向になっていて、特に、社会保障の黒字が中央政府の赤字を超えていたという事実は、「発見」だったのではないだろうか。

 なんとなく、地方や社会保障も国の財政に集約されているように思いがちだが、それは単なる先入観に過ぎない。しかも、地方政府や社会保障の黒字は、中央政府の赤字をオーバーライドするぐらい大きいのだから、これを見ないで経済運営をするなど、「ありえない」ことなのである。高度計を見ずに飛行機を操縦するようなものなのだ。

 日本にいると、こういう「無謀運転」が当たり前だから、危険なことにも平然としていて、不可欠なデータを集めようともしない。「憂えなければ、備えなし」である。国の財政赤字には過剰なほど反応するのに、地方財政となると、かなり関心が下がる。それでも、地方は「地方財政計画」が公表されるから、まだ良いほうである。

 社会保障になると、翌年の収支見通しの発表なんてないから、筆者もトレンドで判断するしかない状態だ。そのベースとなるデータ、これは社人研の社会保障給付費の発表を待たなくてはならないが、その発表時期の遅いこと。社人研のホームページには、最新で2年前のものになるので、探す人を惑わせないように、「これが最新」という趣旨の注意書きが付されているほどだ。

 こういう有り様なので、社会保障も視野に入れた経済運営なんて、日本では想像を絶した「高度」技術なのである。ちまたでは、税と社会保障の一体改革が掲げられ、将来の高齢化に備えて増税が必要なんて言うが、足元のデータ一つ把握してないお粗末さである。しょせん、スローガンだけで、闇雲に消費増税をするためのネタでしかないからだ。

 筆者は、経済史を語るのに、軸となる経済データを据えるのをスタイルとしている。その時々で「語られていたこと」、これは往々にして「財政当局の思い」でしかないのだが、こうしたものを集めても、真実は見えない。大事なのは、時代を貫くファクツ&フィギュアスなのである。

 日本の経済運営は、本当にレベルが低い。「愚行」は、それを完膚なきまでに晒したものである。若い人たちには、レベルの低さにまみれて、「負担増を嫌がる政治家」といった下らない観点で経済運営を語ってほしくない。もっと高く広い世界があるのである。若い人たちがそういう議論を日本でできるようにすること、それが筆者の夢である。

(今日の日経)
 車載電池、家庭で再利用。インド8.2%成長。中東・二重基準はオバマ政権にはない。主婦の年金救済どこまで。日銀の成長貸出制度、成果乏しく。もたつく育児支援策、保育拡充、既得権が壁に。年金未加入の法人、国税庁情報で確認。インド、公共投資増額。米個人消費0.2%増で予測に届かず。鋼材2万円値上げ。一目均衡・蘇るかシャウプ税制・土屋直也。大機・大きいことはいいことか・渾沌。経済教室・地方の乱・佐々木信夫。前日夕刊/ベトナム通貨大幅切り下げ・岩本陽一。

※インドは公共投資もいいが、インフレ対策に増税も必要では。不公平論は相対的なもの、サラリーマンの主婦はタダで、自営業の主婦がタダでないこと自体は問題ではないのか。幼稚園の保守性を批判するだけでなく、投資リスクを除く政策が必要。国税庁がもったいぶるなら、徴収自体をやってもらおうよ。久しぶり流れに逆らう大機かな。

※ベトナムの優れた経済運営をリポートするとは、岩本さんはセンスが良い。前にも良い記事を書いていたね。ここは物価高を恐れていいけない局面。「国のために輸出を伸ばそう」と国民に言える政府であるのは得難いことだ。
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壮大なる愚行

2011年02月27日 | 特別版
【未定稿】

はじめに
 皆さんは、財政赤字を心配にするし、省庁の縦割りも批判しますよね。それで、国、地方、社会保障の三つを連結した政府部門の財政収支って見たことがありますか。これはSNAと呼ばれるGDPの統計表で集計されているもので、見ようと思えば、簡単に見られます。自分の手で、全体を眺めてみようとは思いませんかね。

 困ったことに、日本の財政当局は、政府部門の全体を見回した経済運営をしていません。整合性がない運営のために、日本経済は大変な苦難に見舞われています。彼らは、自分の領分である国の財政にしか関心がないため、それを問題とすら思っていません。本来は、そうならないように調整するのが政治家の役割かも知れませんが、そうした能力を持った人は、今では枯渇しています。

 こうなってしまった責任の一端は、皆さんが全体について関心を持たず、各省がバラバラに出してくる情報に流されるがままの現状に満足しているからです。政治家は、国民や各界のリーダーが無関心なことに関わろうとするはずがありません。結局、日本経済がこんな悲惨なことになっているのは、日本では、誰も全体を見ようとしないという、ちょっと信じがたい状況にあるからです。

 それでは、全体は一体どうなっているのか、日本人らしくないと言われる私が、御案内することにしましょう。

1 数字は語る
 お手元の資料は、内閣府の国民経済計算確報の平成21年度版の数字を切り出したものです。具体的には、フロー編の付表「一般政府の部門別勘定」というものです。「確報」は、分厚くてとっつきがたく、過去の数字なので、マスコミが注目することもありません。しかし、政府部門全体、SNAでは「一般政府」と言う用語になりますが、それを統一的に把握するには、これを見る必要があります。

 この中で、「18.貯蓄(純)」という項目を見ます。これを見ると各部門の収支状況が分かります。これは、ごく簡単に言うと、税金や保険料を集め、それを行政サービスや給付に使った残りを示すもので、集めた以上に使うと、むろん赤字になります。ただし、これにはインフラを形成する公共投資は入りません。数字は、1980年度以降の中央政府、地方政府、社会保障の3部門とそれらの合計額が並んでいます。これを見ると不思議なことが分かります。
 ※このパラグラフには手直しを加えました(2011/8/15)。

 中央政府は、皆さんが予想していたとおり、バブル景気の一時期を除いて、ずっと赤字です。ところが、3部門を連結してみると、1997年まで黒字が続いています。その理由は、地方政府が黒字基調にあることと、社会保障が大幅な黒字になっているためです。これは、公的年金が整備され、大規模な積み立てを行ってきたことが理由です。

表 一般政府の純貯蓄 


2 財政赤字の1980年代
 財政赤字は、既に1980年代には大きな政治問題になっていました。初めて「消費税」が唱えられたのは、1979年の大平内閣の時ですし、臨調・行革路線がスタートするのは1981年の鈴木内閣のことです。ところが、皮肉なことに、中央政府の赤字は、社会保障の黒字に見合う大きさだったのです。

 当時は、需要不足に対応するため、景気対策として盛んに公共事業が行われました。これが財政赤字の原因だったわけです。しかし、全体を見ると、何のことはない、家計から年金保険料と言う形で所得を吸い上げ、それで積立金を造成する一方、その積立金を用いて国債を引き受けて、これを基に公共事業をしていたわけです。おそらく、保険料による吸い上げを一時的にでも緩めていれば、消費の拡大によって景気が回復し、財政赤字を出して公共事業を行う必要はなかったでしょう。

 しかし、当時の財政当局は、国の財政しか視野にありませんでした。経済的に理にかなった政策を取るのではなく、増税と行革という政治的な解決策に訴えます。経済運営の中心にある財政当局が、政府部門全体も見ずに、経済的にではなく、政治的に行動するというのは、恐ろしいものがあります。これは今も変わらない傾向ではないでしょうか。

 こうした結果、財政赤字が積み上がる一方、年金積立金も増えていきました。つまり、財政赤字という「借金」は巨大になったのですが、年金積立金という「貯金」も膨らんでおり、差し引きした純粋な借金は、国際的に見ても大したことがないという状況でした。しかし、財政当局は、国民経済的な見識を持ち合わせませんから、巨大な財政赤字に「筋違い」の不満を抱きました。これが後の悲劇の伏線になります。

3 バブル景気
 1980年代の終わりから1990年代のはじめにかけて、日本はバブル景気に沸きます。このときに不思議がられたのは、資産価格が高騰したにも関わらず、物価が極めて安定していたことです。高成長と物価安定という理想的な組み合わせであったわけですが、政府部門全体の状況を分かっていれば、謎ときは簡単です。

 一つの理由は、消費税の導入によって、物価が冷やされたことです。1990年の中央政府の黒字は5兆円を超えました。そして、もう一つの理由は、地方政府と社会保障の黒字は、その2倍以上にも達していたことです。全体ではGDPの6%程度に上りました。これだけの所得の吸い上げをしていれば、物価が安定するのも当然でしょう。

 他方、失敗だったのは、財政当局が日銀にプレッシャーをかけ、低金利を長引かせて、資産バブルを招いてしまったことです。政府部門での強力な需要抑制と、行き過ぎた金融緩和というバランスの悪い組み合わせを、何も知らずに行っていたわけです。まあ、好景気にありましたから、バブルの予防という高度なパフォーマンスまで求めるのは、贅沢なのかもしれませんが。

4 バブル崩壊
 バブルが崩壊すると、中央政府は、翌年の1992年度には赤字に変わりました。ところが、地方政府と社会保障は相変わらず黒字でした。その後、地方政府は次第に黒字幅を縮小していきますが、社会保障は、ハシモトデフレを始める1997年度まで、9兆円前後、GDPで言えば2%もの黒字を出し続けます。

 中央政府の赤字は、坂を転がるように増えていき、1997年度の頃には、GDPで2%近くに拡大しました。国の財政しか見ない日本の財政当局は、強い危機感を抱きましたが、政府部門全体では、まだ黒字だったんですね。地方政府はトントンで、社会保障が中央政府を上回る黒字を出していたのです。

 むしろ、大きな財政赤字は、経済のバランス上、欠かせないものでした。もし、大きな財政赤字を出していなかったら、社会保障の所得の吸い上げによって、経済は収縮していたでしょう。大きな財政赤字と言っても、政府部門全体では黒字なのですから、マクロ経済上は、何の問題もありません。

 もし、どうしても財政赤字が嫌ならば、社会保障の所得の吸い上げをやめるべきでした。この頃になると、財政赤字によって実施される公共事業は、かなり評判を落としていました。社会資本が蓄積が進んで、有効なプロジェクトが減っていたからです。それでも、経済のバランスを崩すよりはマシです。ムダと批判されつつも、地方の社会資本整備を進めることは、地方経済を支え、地方政府の税収の確保にも貢献していました。

 こういう状況ですから、日本の財政赤字は「深刻」とされてきましたが、それに伴う弊害、インフレだとか、長期金利の高騰だとかは生じませんでした。「必ずそうなるはずだ」と叫んで、国民の不安を煽る人も多かったですが、いつまで経っても、兆候すらありません。不思議がられたものですが、政府部門全体が黒字なのですから、弊害が生じるわけがありません。

 この頃には、一部の有識者から、「見た目の財政赤字の残高は大きくても、社会保障の貯蓄と差し引きのネットでは大したことがない」、「ネットの財政赤字は国際的に見てもも低いくらいだ」という、まっとうな指摘がなされるようになります。もちろん、私も、その一人でした。

5 経済に無知な財政当局
 ところが、財政当局は、まったく聞く耳を持たないんですね。政治には長けていても、経済をわきまえていないのだから仕方ありません。「社会保障の貯蓄は、将来の高齢化に備えて必要だからカウントしてはいけない」というような、経済的な観点からは「珍妙」なことが唱えられたりしました。

 経済的にみれば、国の財政赤字を詰めたいのなら、国の財政が引き受けている社会保障の黒字を誰かが引き受けねばなりません。しかし、黒字を消化するために、設備投資をGDP比で2%も伸ばすなんて、とても無理ですし、貿易黒字として、積み増そうとしたら、日米間で紛争が起こってしまいます。現実的な解決策は、唯一、保険料を下げて消費を増やすことでしたが、「将来の高齢化に備えることを考えればできない」と言われたら、もう打つ手がありません。

 ちょっと難しかったですか。マクロ経済の基本というのは、貯蓄=投資です。これは経済学の恒等式ですから、常に成立します。ただし、個々がバラバラにしている貯蓄と投資が結果的に一致するというのは、なかなか想像できないものです。それゆえ、経済学部に入学してきた学生は、まず、これを叩き込まれるわけですね。

 社会保障が集めた貯蓄は、そのままお札で置くわけにはいきません。ここがミクロとマクロの違いです。必ず何かに投資されないといけない。財政赤字というのは、それで公共事業をしていることをイメージしてもらえは分かりが早いのですが、投資の一種なんですよ。だから、財政赤字を減らしたいなら、代わりの投資先を見つけてやらなければならない。それをしないと、おカネを集めておいて、使わないことになりますから、需要が不足して、経済が収縮することになってしまう。平たく言えば、不況になるわけです。

 経済学では、貯蓄が余ると金利が下がり、これが設備投資を刺激してバランスが取れる方へ向かうことになっていますが、現実的には、急には増えない。だから、急激な緊縮財政をして、一気に貯蓄を余らせるのは禁物なんです。これは経済運営の基本中の基本です。更に言えば、使える労働力には限度がありますから、いくらでも設備投資を増やすことができるというものでもありません。

 また、金利が下がると、円安になり、輸出が増えることで、貯蓄が使われるという道もあります。輸出を増やすことは、代わりに輸入を増やすのでなければ、相手先におカネを貸して、それで買ってもらうことになります。ですから、貿易黒字を出すことも貯蓄になります。社会保障の貯蓄を、こうして処理する方法もあるということです。もちろん、これも、すぐには増やせません。また、米国などの相手国からみれば、借金になるのですから、嫌がられたりもします。

 日本の財政当局は、こういう経済の基本が分かっていません。だから、財政赤字を減らすことによって、自分たちが引き受けていた貯蓄が余ってしまうことを心配したりしないのです。何となく誰かが引き受けてくれるとか、金利のメカニズムで市場が均衡させてくれるとか思っているわけです。だから、急激に財政赤字を減らすという危険なことを平然とやります。その極端な例が1997年のハシモトデフレです。ここで、日本経済は、大きく構造が悪化することになります。確かに「構造改革」ではありました。

6 ハシモトデフレ
 日本経済の転機は、一般には1991年のバブル崩壊と言われたりしますが、本当の転機は、1997年のハシモトデフレです。ここでは、あまたの経済社会統計が屈曲しているのですから、後世の経済史家は、必ずそういう判断をするはずです。

 今の若い人は体験がないから分からないと思いますが、バブル崩壊後も、1997年になるまでは、それなりの大変さはあるものの、悲惨な感じはありませんでした。「バブル紳士が破綻するのは自業自得」くらいの雰囲気です。本当に悲惨なことになったのは、自殺が急増したことに表れるように、1998年以降のことです。

 バブル崩壊後、日本経済は、ゼロ%台の成長に落ちてしまったのですけれども、意外にも、家計の所得と消費は伸び続けました。バブル期の生活水準が維持・拡大され、剥落したのは過剰な投資だったのですから、幸福度からすれば、増していたと言えるかもしれません。同じ低成長でも、家計の所得も消費も減っている最近の10年とは様相が異なります。

 このように、経済状況も悪くはなく、政府部門も社会保障も含めた全体で見れば、まだ黒字だったにも関わらず、ここで過激な緊縮財政が取られます。これが1997年のハシモトデフレです。消費税増税で5兆円、所得減税廃止で2兆円、公共事業削減で4兆円、社会保険料の負担増が2兆円、あわせて13兆円と言われるデフレ予算が組まれます。

 こうした急激な緊縮財政の危険性は、財政当局以外は分かっていました。民間のエコノミストは強い批判を浴びせましたし、米国政府からもやめるように箴言を受けます。そして、予算案が決まった途端、株価が下落を始めます。迫りくるリスクから皆が逃げ出していったのです。したがって、財政当局が「思わぬ結果」と弁明することはできません。

 もっとも、ハシモトデフレは日本経済を奈落へ放り込むことになったのですが、財政当局は過ちを認めませんでした。アジア通貨危機や金融機関の破綻のせいにしたのです。これらも急激な緊縮財政が遠因になっていたものなのですが、なりふり構わずです。そして、消費税が消費を落とした証拠はないという、都合の良い統計だけを引いた論陣を張ったりしました。

 もし、それらが正しかったとしても、ハイリスクの緊縮財政を取るべき理由にはなりません。経済に不測の事態はあり得ることです。それに遭遇しても困らないように、緩やかにするというのがセオリーだからです。

 ところが、財政当局には、それだけの心の余裕はありませんでした。自分たちが担当し、責任を持っている国の財政は「危機的な状況」にあると信じ込んでいました。政府部門全体の収支が黒字にあるなんて関係ないのです。本当の問題は、そういう経済に無知な人たちに、大きな権力を与え、思うがままにさせたことにあるのではないでしょうか。
 
7 笑えない財政危機
 ハシモトデフレ後、日本経済は悲惨なことになりました。経済を壊してしまい、財政を再建をするどころか、本当の危機を作ってしまいました。増税をしたのに、税収が上がらなかったという皮肉な結果は、良く知られていますが、問題はそれに止まりません。国の財政が大赤字になっただけでなく、変調は社会保障の収支にまで及んだのです。

 社会保障は、1998年度以降、黒字が急速に縮小し、2002年には赤字に転落します。その理由は、高齢化によって給付が増えたこともありますが、それだけでは説明がつきません。これは、ハシモトデフレによる経済破壊によって、雇用者の所得の増加が止まり、保険料収入が伸びなくなったためです。

 バブル崩壊後、国の財政赤字は急速に悪化しましたが、それと引き換えの景気対策によって、日本経済は小康を保っていました。GDPこそ伸びませんでしたが、家計所得と消費は伸びていたのです。そして、1996年頃には、バブル時代の過剰な設備投資も元の水準に復して、これから経済成長を再開しようというところまで漕ぎ着けていました。

 ハシモトデフレは、経済成長の芽を摘んだだけでなく、雇用を極端に悪化させ、家計所得を減らしたことで、「財政は赤字、社会保障は黒字」という政府部門の健全だった構造まで壊してしまいました。1998年度には政府部門全体で赤字になり、2002年度には、中央政府、地方政府、社会保障の3部門がそろって赤字になってしまいます。

 つまり、日本の財政当局は、政府部門全体では黒字であり、健全であったものを、ハシモトデフレによって赤字に転落させてしまいます。国の財政しか見ていないために、いらぬ危機感を抱き、無謀な緊縮財政をして、政府部門全体における本当の財政危機を作ってしまったわけです。「財政再建」こそが財政危機の原因とは、その犠牲の大きさを思えば、皮肉を笑うことすらできません。

8 無謀は続くどこまでも
 ハシモトデフレ後、小渕政権の必死の経済対策で、日本経済は辛うじて崩壊を免れました。しかし、財政当局は、経済に無知なので、自分たちがこの危機を招いたとは思いませんでした。それどころか、なんとか危機を食い止めるために必要だった大規模な財政出動を恨みに思うようになります。そして、日本経済がデフレから浮かび上がれない早い段階から、緊縮財政を仕掛けるようになりました。これでは日本経済が低迷を続けるのも当然です。

 ここでお手元の表に戻って、2000年代の政府部門の純貯蓄の状況を見てみましょう。2000年代は、マイナスの符号ばかりになって、変化が分かりにくいので、前年との差を計算した表も用意しました。この表では、マイナスは前年よりも緊縮財政になったことを示し、プラスは拡張財政になったことを示しています。

 この表から分かるのは、ハシモトデフレが癒え切らない2000年度には、かなりの緊縮財政へ戻っていることです。森内閣の頃ですかね。その後、小泉政権に代わり、米国のITバブルの崩壊への対応で、2002年度には拡張財政が取られますが、2003年度以降は、また緊縮財政へと戻ります。

 よく誤解されるのですが、緊縮か拡張かは、前年度からの変化で見るべきものです。例えば、財政が10兆円の赤字から7兆円の赤字になった場合、3兆円の緊縮財政が行われたと判断します。まだ赤字にあると言って、拡張財政が続いていると考えるのは誤りです。しかし、小泉首相は、こういう主張を平然としていました。これを財政当局が言わせていると思うと、私は、驚くよりも、怖くなりました。

 私は保守派の人間なのですが、小泉政権が国民の歓呼の中で登場したときには、「これは大変なことになる」と思いました。国債発行30兆円枠の主張に見られるように、緊縮財政を志向していたからです。経済誌に、「このままでは、大規模な輸出でも発生しない限りは、悲惨なことになる」と予言したことを覚えています。

 しかし、幸いにも、予言は外れました。米国でバブルが発生し、大規模な輸出が発生するという「神風」が吹いたのです。そうでなければ、小泉政権は早いうちに行き詰まっていたと思います。これは、日本経済にとってみると、千載一遇のチャンスでした。ところが、日本はこれを棒に振ってしまいます。

 日本経済の歴史を振り返ると、輸出が伸び、それが設備投資から所得増へとつながって、景気が回復するというのが、いつものパターンです。小泉政権から安倍政権にかけては、それは起こりませんでした。輸出の伸びは大きかったのですが、そこで緊縮財政を取ってしまい、内需への波及を断ち切ってしまったからです。むろん、デフレから脱することもできませんでした。

 そのため、新興国を中心に世界的な好景気のブームにあったのに、ひとり日本だけがデフレに苦しむという奇妙な現象が起こります。その原因として、当時、最も強く主張されたのは、日銀の金融緩和が足りないという説です。ほとんど金利はゼロだったのですが、まだ他にも緩和の方法はあると言われたものです。

 こうして、日銀は攻撃にさらされたのですが、GDP統計をみれば、デフレの本当の理由は明らかです。2004年度から2006年度にかけて、政府部門全体で見て、平均して毎年5兆円近くの緊縮財政を行っていたのです。これでは、いくらゼロ金利にしたところで、デフレになるのは当たり前です。

 経済政策は、少しの違いで、パフォーマンスに大きな差がでます。緊縮財政を1年だけ待って、物価上昇率がプラスになってからにしていれば、結果は大きく違っていたでしょう。「政府と日銀は協力してデフレ脱却を図る」というのは言葉だけで、実際には、政府は、デフレ脱却よりも財政再建を優先していたのです。

9 リーマンショックと今
 大規模な輸出と緊縮財政の組み合わせをすれば、成長率が高まっても、内需が拡大せず、雇用が広がらないで、所得も伸びないというのは当然です。日本経済は、政策どおりの結果を出しています。どうしてデフレなのか、なぜ雇用の回復が鈍いのか、何ゆえ企業収益ばかりが高まるのか、随分と疑問が呈されましたが、何の不思議もありません。不思議に思えるのは、政府部門全体の収支の動きを把握せず、自分たちが何をしているかを知らないだけだったのです。

 そうこうしているうちに、頼りの大規模な輸出が、米国のサブプライムローンによる住宅バブルの崩壊とリーマンショックによって失われます。輸出を内需に波及させていなかったのですから、日本経済が大きな打撃を受けるのも当然でした。政策課題は、2000年代始めの「神風」が吹く前に逆戻りしてしまいます。

 この経済危機に対して、麻生政権は大規模な財政出動に踏み切ります。バラマキとも言われましたが、背に腹は代えられません。いろいろと批判もあるでしょうが、脆弱になっていた日本経済を、とにかく持ちこたえさせたのですから、それなりの評価は必要でしょう。問題は、その後です。

 ここから先は、GDP統計が未発表なので、私の推定ということになりますが、2010年度は、前年度に比べて、補正後でも5兆円の緊縮財政が敷かれました。また、2011年度は、更に5兆円の緊縮財政ですね。日本の財政当局は、2004年度から2006年度にかけてと同様のことをしているのです。ですから、デフレが続くというのも道理でしょう。

 ハシモトデフレ前と違って、政府部門全体が赤字という状況ですから、安易な拡張財政は行えません。しかし、緊縮財政を1年ほど待って、デフレが収まってから始めることもできないほどなのでしょうか。本当の問題は、こういう普通の議論がされないで、足元の緊縮財政の状況も知らず、闇雲に緊縮財政や消費増税を渇望していることです。そこには、需要を適正なものに調節するという平凡で冷静な考え方は欠落しているのです。

おわりに
 短い時間でしたが、この30年ほどの日本経済の謎や不思議に思われていることを解いて見せました。タネ明かしをすれば、GDP統計の政府部門全体の数字を見るというだけのことです。そんな基本的なことも踏まえないで、経済運営をしている日本の現状の方が、むしろ驚きでしょう。

 最近の財政当局は、税の増収を分かりにくいように予算案を説明したり、税収を意図的に低く見積もったりして、財政再建の進捗ぶりを隠すようにしています。彼らは、悪意からではなく、それを知られたら、政治が緩んでしまい、ひいては国民のためにならないと思っているのでしょう。ところが、これが正確な日本経済の状況認識を妨げ、適正な経済運営を難しくしているのです。まさに、「地獄への道は善意で固められている」のです。

 もちろん、財政当局の無知の罪は重いものがあります。しかし、それを各界のリーダーは、誰も批判しません。日本人は、全体を見たり、戦略的に考えたりすることが本当に苦手なのですね。それぞれの専門分野や現場仕事での質の高さとは対照的です。いや、むしろ、そういう志向性が邪魔をしているのかも知れません。

 今回、お話を聞いてもらえた皆さんは、すんなり納得できたのではないかと思います。一度聞けば、誰でも分かるようなシンプルな事実なのです。しかし、こうして話を聞いてもらえる機会には限りがあります。日本を動かせるほど、たくさんの人に話す力なんて、とても私にはありません。

 日本は、これからも、全体状況を見ずに、度外れた経済運営を続けてゆくことでしょう。衰亡の未来が見えるようで、私にはとても辛いです。ときどき、真実を知らずに、皆といっしょに財政再建に興奮していたら楽だったろうなと思うことさえあります。「知る悲しみ」というやつですかね。

 国家が天災や戦争によって衰亡してしまうのなら、悲劇の叙事詩にもなるでしょう。しかし、全体状況に無関心で、勘違いから財政再建をやって、それで本物の財政危機を作り出してしまい、経済まで破壊しましたなんて、とても歴史に書けません。

 もっとも、まだ歴史が決したわけではありません。偶然が奇跡を生み出すこともあります。時代の流れの中で我々ができることは、その可能性を高めるよう努力は続けることでしょう。何事も「終わり良ければすべて良し」です。どんな失敗も、最後に成功を収めれば、それに必要な経験だったと語れます。最後に日本経済を復活させれば、「壮大な愚行」の汚名をそそぐことになるでしょう。希望というのは、小さくはあっても、確かに在るものなのです。



 

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