日銀が国債を保有すると、政府から利払いを受けるが、それは、納付金として、政府に還元される。つまり、政府は、実質的に無利子で歳出を増やせる。こんな財政でインフレにならないのは、供給力に比して、需要が足りないからである。お金は、企業がたくさん持っているけれども、貯め込むばかりで使おうとしない。供給力が在るのに利用しないという不合理な行動を取っている。だから、問題なく可能なのだ。
それでは、政府が国債発行を嫌がり、企業の貯蓄を使わなかったら、どうなるか。これは、政府まで不合理な行動を取ることを意味する。使われない供給力にはお金が払われないから、失業が発生し、貯蓄を取り崩して消費に充てざるを得ない人が続出する。こうして、家計から企業に貯蓄が移る形で、経済の全体調整がなされる。失業で人的資本の蓄積は阻害され、設備投資も不足するから、供給力の構築には至らず、経済成長が失われる。
結局、国債を増やすのと、成長を失うのと、どちらを取るかである。国債を増やすのは嫌かもしれないが、それを避けるには代償がいる。金融経済を膨らませないのと、実体経済を構築するのと、どちらが良いかの選択でもある。普通なら、膨らんだマネーの管理は面倒でも、国民生活を優先しようとするだろう。財政至上主義とは、代償が目に入らない人たちの主張でしかない。
………
1/25に「中長期の経済財政に関する試算」が公表され、2020年度に基礎的財政収支を黒字化する財政再建目標の達成は困難なことが示された。しかし、「だから何なのだ」である。日経は、1/27社説で「社会保障費を軸とする歳出の削減・抑制が急務」とし、「目標の堅持は当然」とするが、ただでさえ、2019年に消費増税をする予定なのに、更なる緊縮をしたら、成長どころか、経済を壊しかねない。
興味深いのは、現場の記者の方が現実を分かっていて、特集記事で法人減税が失敗だったことを明らかにし、利払いの管理の重要性も指摘している。これらから導かれるのは、消費増税や社会保障削減ではなく、法人税を含む資産課税の強化である。特に、利子課税の税率を25%に引き上げ、利払い増と税収増が自動的に均衡するようにする措置は緊要だ。
今後の政治課題は、どんな形で2020年度目標を先送りするかだ。第一生命研の星野卓也さんが1/27にレポートしているように、「中長期試算」には、それを暗示する文言が新たに記されている。日経の論説が政権以上に財政タカ派である必要もなかろう。「中長期試算」から読み取るべきは、今の延長線上で公債残高のGDP比は安定するし、2025年度まで待てば黒字化するということだ。早期達成を焦り、危険な緊縮を試みる必要性がどこにあるのか。
実は、国・地方の財政に、社会保障基金を加えた、政府部門全体では、2020年度に黒字化を達成できそうなのである。そういうことだから、もう十分ではないか。下図は、「中長期試算」に、日銀の資金循環統計を使い、社会保障基金分を算入した収支を簡易的に計算して、紫線で加えたものだ。2016年度は、前半実績を基に社会保障基金の収支のGDP比を1.2%の黒字とし、やや安易だが、それ以降も続くとした。
社会保障基金をカウントすると、中心となる厚生年金の収支改善を背景に、国・地方の財政以上に急速な回復を見せたことが分かる。社保の単独では、2014年度には収支がほぼ均衡しており、2015年度はむろん、財政が凹んだ2016年度も黒字を拡大中だ。将来については、単に1.2%分をスライドさせただけだが、都合の良いことに、2020年度の赤字が概ね埋まる。説明ぶりとしては、「社保の堅調さを踏まえると、財政のみの黒字化に遅れがあっても容認できる」でどうかね。
(図)
………
需要不足、すなわち、デフレ経済の下での緊縮財政は、供給力構築の放棄という代償を伴う。他方、膨らむ債務の後始末は面倒ではあるが、いろいろと方法はある。今日の日経でシムズ先生が示唆するように、基本的には、安定的な財政運営をして、2%程度の緩やかな物価上昇を実現し、実体経済を大きくする一方、日銀の金融抑圧や法人・利子配当課税を組み合わせ、徐々に債務のGDP比を下げていくことになろう。
大切なのは、道具立てをしっかり整えることで、インフレが心配なら、「2%物価目標が達成されないうちは、消費増税はしない」としつつも、「達成されたら、3年おきに1%ずつ上げる」といったコンセンサスを作る。金融抑圧についても、金融経済が実体経済に比して膨張した事実を受け止め、毛嫌いせずに、景気拡大後における準備預金の引き上げや限定的付利などの穏当な方法を多角的に開発していかねばならない。
シムズ先生の理論は難しいけれども、少なくとも、景気が底入れすると、待ってましたとばかりに緊縮財政を打って需要を抜き、企業の成長への「期待」を叩き壊すようなことをしてはいけない。インフレを予感させる奇策を誇示して、業界人の「期待」を煽る必要はなく、まずは、安定した財政によって、需要は増えていくだろうという「期待」を一般の人に与えることだ。その意味で、財政至上主義の呪縛による焦りから脱せるなら、政策的には難しくないのである。
(今日までの日経)
脱デフレ 金融政策では限界だ シムズ氏。米成長率、1.9%に減速。NY株、初の2万ドル。外国人労働者、初の100万人。社説・25年度より後の財政・社会保障の姿示せ。8.3兆円の衝撃、かすむ財政健全化。大機・現在負担による消費抑制・和悦。基礎財政収支、20年度黒字化は困難に。
(おまけ)
1/27の大機小機で、和悦さんは、「高齢化に伴う「将来」の負担を懸念して消費が萎縮しているというより、着々と増加する「現在」の社会保険負担が可処分所得を圧迫し、消費を抑えている」と的確に分析しておられる。それで、社会保障の効率化に取り組めとなっているのだが、単純に負担と給付を軽くすれば良いというものではない。具体策を描けば、次のようなものになる。
0-2歳の乳幼児を抱え、保育所に預けていない親に、月額8万円を支給する。これで、超過需要で生じている保育所不足は解消されるはずだ。財源は、受給者が将来もらう年金である。要するに、年金を前倒しで支給するだけのことである。今もらえば、将来もらう年金は、いったん減るが、子供が3歳になって働けるようになったら、十分に取り返せる。つまり、社会保障を「将来」から「現在」にシフトさせるわけだ。
それでは、政府が国債発行を嫌がり、企業の貯蓄を使わなかったら、どうなるか。これは、政府まで不合理な行動を取ることを意味する。使われない供給力にはお金が払われないから、失業が発生し、貯蓄を取り崩して消費に充てざるを得ない人が続出する。こうして、家計から企業に貯蓄が移る形で、経済の全体調整がなされる。失業で人的資本の蓄積は阻害され、設備投資も不足するから、供給力の構築には至らず、経済成長が失われる。
結局、国債を増やすのと、成長を失うのと、どちらを取るかである。国債を増やすのは嫌かもしれないが、それを避けるには代償がいる。金融経済を膨らませないのと、実体経済を構築するのと、どちらが良いかの選択でもある。普通なら、膨らんだマネーの管理は面倒でも、国民生活を優先しようとするだろう。財政至上主義とは、代償が目に入らない人たちの主張でしかない。
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1/25に「中長期の経済財政に関する試算」が公表され、2020年度に基礎的財政収支を黒字化する財政再建目標の達成は困難なことが示された。しかし、「だから何なのだ」である。日経は、1/27社説で「社会保障費を軸とする歳出の削減・抑制が急務」とし、「目標の堅持は当然」とするが、ただでさえ、2019年に消費増税をする予定なのに、更なる緊縮をしたら、成長どころか、経済を壊しかねない。
興味深いのは、現場の記者の方が現実を分かっていて、特集記事で法人減税が失敗だったことを明らかにし、利払いの管理の重要性も指摘している。これらから導かれるのは、消費増税や社会保障削減ではなく、法人税を含む資産課税の強化である。特に、利子課税の税率を25%に引き上げ、利払い増と税収増が自動的に均衡するようにする措置は緊要だ。
今後の政治課題は、どんな形で2020年度目標を先送りするかだ。第一生命研の星野卓也さんが1/27にレポートしているように、「中長期試算」には、それを暗示する文言が新たに記されている。日経の論説が政権以上に財政タカ派である必要もなかろう。「中長期試算」から読み取るべきは、今の延長線上で公債残高のGDP比は安定するし、2025年度まで待てば黒字化するということだ。早期達成を焦り、危険な緊縮を試みる必要性がどこにあるのか。
実は、国・地方の財政に、社会保障基金を加えた、政府部門全体では、2020年度に黒字化を達成できそうなのである。そういうことだから、もう十分ではないか。下図は、「中長期試算」に、日銀の資金循環統計を使い、社会保障基金分を算入した収支を簡易的に計算して、紫線で加えたものだ。2016年度は、前半実績を基に社会保障基金の収支のGDP比を1.2%の黒字とし、やや安易だが、それ以降も続くとした。
社会保障基金をカウントすると、中心となる厚生年金の収支改善を背景に、国・地方の財政以上に急速な回復を見せたことが分かる。社保の単独では、2014年度には収支がほぼ均衡しており、2015年度はむろん、財政が凹んだ2016年度も黒字を拡大中だ。将来については、単に1.2%分をスライドさせただけだが、都合の良いことに、2020年度の赤字が概ね埋まる。説明ぶりとしては、「社保の堅調さを踏まえると、財政のみの黒字化に遅れがあっても容認できる」でどうかね。
(図)
………
需要不足、すなわち、デフレ経済の下での緊縮財政は、供給力構築の放棄という代償を伴う。他方、膨らむ債務の後始末は面倒ではあるが、いろいろと方法はある。今日の日経でシムズ先生が示唆するように、基本的には、安定的な財政運営をして、2%程度の緩やかな物価上昇を実現し、実体経済を大きくする一方、日銀の金融抑圧や法人・利子配当課税を組み合わせ、徐々に債務のGDP比を下げていくことになろう。
大切なのは、道具立てをしっかり整えることで、インフレが心配なら、「2%物価目標が達成されないうちは、消費増税はしない」としつつも、「達成されたら、3年おきに1%ずつ上げる」といったコンセンサスを作る。金融抑圧についても、金融経済が実体経済に比して膨張した事実を受け止め、毛嫌いせずに、景気拡大後における準備預金の引き上げや限定的付利などの穏当な方法を多角的に開発していかねばならない。
シムズ先生の理論は難しいけれども、少なくとも、景気が底入れすると、待ってましたとばかりに緊縮財政を打って需要を抜き、企業の成長への「期待」を叩き壊すようなことをしてはいけない。インフレを予感させる奇策を誇示して、業界人の「期待」を煽る必要はなく、まずは、安定した財政によって、需要は増えていくだろうという「期待」を一般の人に与えることだ。その意味で、財政至上主義の呪縛による焦りから脱せるなら、政策的には難しくないのである。
(今日までの日経)
脱デフレ 金融政策では限界だ シムズ氏。米成長率、1.9%に減速。NY株、初の2万ドル。外国人労働者、初の100万人。社説・25年度より後の財政・社会保障の姿示せ。8.3兆円の衝撃、かすむ財政健全化。大機・現在負担による消費抑制・和悦。基礎財政収支、20年度黒字化は困難に。
(おまけ)
1/27の大機小機で、和悦さんは、「高齢化に伴う「将来」の負担を懸念して消費が萎縮しているというより、着々と増加する「現在」の社会保険負担が可処分所得を圧迫し、消費を抑えている」と的確に分析しておられる。それで、社会保障の効率化に取り組めとなっているのだが、単純に負担と給付を軽くすれば良いというものではない。具体策を描けば、次のようなものになる。
0-2歳の乳幼児を抱え、保育所に預けていない親に、月額8万円を支給する。これで、超過需要で生じている保育所不足は解消されるはずだ。財源は、受給者が将来もらう年金である。要するに、年金を前倒しで支給するだけのことである。今もらえば、将来もらう年金は、いったん減るが、子供が3歳になって働けるようになったら、十分に取り返せる。つまり、社会保障を「将来」から「現在」にシフトさせるわけだ。