経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

常識と非常識の政治

2011年04月03日 | 経済
 19世紀的な均衡財政主義に、愚にもつかない政治の思いつきを加えたものが、日本の経済運営の特徴と言えるのではないか。復興の補正予算を財源の用意できる範囲にとどめ、日銀の引き受けといった無用かつ危険な策に熱を上げる。どうして、常識的なことができないのかね。

 「補正予算は、第二弾、第三弾と続けます」という反論もあるだろうが、今は、強い同情が集まるにしても、感情の高まりは次第に鎮まり、そうこうするうちに、「増税してまでするのはどうか」という声も出るようになるだろう。筆者は冷徹すぎるかね? 財政当局が補正予算を小出しにするのには、こういう狙いもあると思わなければならない。

 デフレで超低金利であるから、野放図なことさえしなければ、国債による資金調達は難なくできる。しかし、日本の財政当局は、そういう現実に則したことであっても、歳出が膨らむ方向の「知恵」は出さないから、政治は、無用な手詰まり感を抱き、突飛なことを打ち出すようになる。不幸なことだ。

 日経によれば、野田財務相は、被災者生活支援制度の支給額増額について、「他の災害の被災者のバランスも考えねばならない」と述べたようだが、こういうことを言い出したら、今回の大震災も、既存の災害対策の枠組で対応すべしということになる。それなら、官僚だけでできることで、政治の役割は不要ということにならないか。

 とかく、財政当局というのは、「公平」を楯にして「できない」理由を作るのが得意である。まあ、それは御役目ではあるのだが、「では、どうする? 放っておくのか?」と、問い返さなければならない。それが政治の役割である。ここで焦れて、外部から変な「知恵」を持ってくるようでは、官僚の思うツボである。突飛な案は簡単に潰せるからだ。

 実は、筆者は、住宅再建の給付金を拡大することには、あまり賛成ではない。代わりに、希望するすべての人に公営住宅を供給することを約束し、資力の差は家賃で調整すれば良いと考える。宅地が使用不能になり、生産基盤を失い、高齢の被災者が多い今回の大震災では、そうした方法がマッチしていると思われる。

 政治の役割は、すべての被災者に住宅を用意する、立て直す力のない人には、公営住宅を用意して必ず入居させると宣言することだ。そのための予算は十分に用意すると。「復興に全力を挙げる」といった抽象的な言葉では足りない。そうして初めて、財政当局のくびきを脱した官僚が「知恵」を出してくれるだろう。 

 もともと、日本はセーフティネットとしての住宅政策が弱い。市場主義の米国ですら、住宅政策には力を入れている。高齢者専用賃貸住宅と併せて、少々やり過ぎでもよいくらいだ。「知恵」を搾り出させて、そこに大胆に予算をつけていく、これが本来の政治主導の在り方であろう。

(今日の日経)
 震災、投資にブレーキ。被災者医療を国が全額負担1000億円。印刷可能な太陽電池を2012年に商品化。復興策具体化手探り。選挙改革で「解散は当面封印」の見方。社説・再び緊迫する欧州金融情勢。円安、日米金利差にらむ。住金株を41円で買った男。読書・アメリカ政治を支えるもの。

※生産、消費に次いで投資にも急ブレーキ。これでも日経は補正の条件に歳出削減を訴え続けますか。区割にどうして1年もかけるんだ。政治はのろいねえ。欧米で金利が高まって金利差が開けば、円安に進む。大規模な復興予算を組み、金利が上がるくらいで、ちょうど良いかもしれない。まあ、日本にそういう発想はないと思うが。
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