(昨日の掲載分)
古代ローマの循環政体論、すなわち、君主政から貴族政へ移り、それが民主政に代わり、更に衆愚政治になってカリスマが望まれるようになり、元へ戻るというもの、これは政治学の教養としては面白くても、現実の日本政治で心配するようになるとは、一昔前には思ってもみなかった。
不遜に聞こえるかもしれないが、政治には、エリーティズムは、欠かせない要素である。経済運営でも、社会保障でも、政策立案には専門知識が要求され、その良否を判断するのにも、相応の良識が必要である。平たく言えば、能力ある官僚が政策を作り、経験深い政治家が判断し、国民の理解を広げていくという過程になる。
日本で問題になるのは、官僚が政策能力を失った場合である。官僚が誤った政策にはまってしまうと、それに代わる政策を示す者が居なくなってしまう。ここが米英とは異なる。一度踏みはずと、修正は非常に難しいものになる。もしかすると、破綻に至るまで、修正は不能なのかもしれない。
………
戦後政治史では、衆愚政治は、財政赤字下のバラマキが始まった田中角栄に始まるという見方がある。確かに、放漫財政は、その象徴のようなものかもしれないが、不思議なことに、1974年のオイル・ショックから1996年のバブル後まで、日本は、先進国の中で最も良好な経済パフォーマンスを誇っていた。世界一の債権国に伸し上がったのは、この過程においてである。
それもそのはずで、財政赤字は大きくとも、他方で社会保障基金が大きな黒字を出しており、政府部門全体で見ると、まったく問題がなかったからだ。財政破綻は、狭い視野しか持たない財政当局の強迫観念に過ぎず、マクロ経済的には、バラマキは必要なものですらあった。政治は、理由が分からぬまま、現実的な景気対策の必要性に迫られてバラマキを行い、結果的に成功を収めた。その意味で、バランスの取れた政治体制であった。
本当の衆愚政治が始まったのは、1995年の細川政権からかもしれない。政治とカネの問題から始まった「改革」熱は、現実主義的な政治の差配を弱める。これで財政当局の観念論への重しが外れ、細川政権の国民福祉税構想から1997年の橋本政権の無謀な緊縮・増税へと進む。このハシモトデフレは、今から振り返れば、「戦後」の終わりでもあった。
この後、日本の経済パフォーマンスは、極端に悪くなった。15年が経とうというのに、名目GDPはまったく増えていない。池田政権以来の高投資・高貯蓄の経済構造は、ここで壊されている。極端な低成長は、企業行動を変え、労働慣行を乱し、更には、社会や家庭の在り方まで異質のものとし、人口崩壊を決定的にして、国の存続までが危ぶまれるようになった。
小泉政権になると、「痛み」を伴う改革にすら、国民は熱狂するようになる。世界的な好景気の中で、息つくことはできたが、最低のパフォーマンスに変わりはなかった。そして、カリスマが去ると、生活苦への不満が表面化し、安倍政権はネジレ国会に直面して、「戦後」を長らく担当した自民党政権は退場する。
あとを継いだのは、実現不能のマニフェストで大人気を博した民主党政権だったが、二大政党が財政当局の焦燥感に振り回され、バッシングの的を探し回るうちに、その座は、人気獲得に特化した勢力に脅かされるようになっている。こうして、衆愚政治は、完成の時を迎えようとしている。
(本日の掲載分)
………
衆愚政治で通常イメージされるのは、放漫財政によるインフレ経済である。これに抗するのが緊縮・増税で財政規律の確立を目指すエリートという構図になる。外交分野なら、威勢はよくても実益の伴わない強硬路線と国際協調主義との対比いうことになろうか。いずれの分野にせよ、気分は最高かもしれぬが、合理性に欠けたものになる。対置されるエリート主義は、一応、現実性を象徴している。
ところが、日本の場合、大衆が求めるのは、放漫でなく、「不公平」への攻撃である。日本は、国際的に見れば、小さい政府であり、政府からの御利益を、あまり実感できない。福祉を必要とする貧しい人たちは、どこの国でも少数派だ。名目所得がまったく増えない中において、働くことのできる大多数は、「福祉も負担も薄くしろ」ということになる。
他方、日本のエリートに、現実性や合理性があるかというと、それは違う。ハシモトデフレの1997年までは物価の超安定、その後は物価の底抜けにまで至ったにもかかわらず、ひたすら、緊縮・増税の策謀をし続ける。需要不足が現実の日本経済にあって、財政規律の追求は、合理主義になっていない。
エリートの不合理さに対して、バランスをとっていたのは、地方の伝統的な再分配勢力であった。公共事業、農業整備、商工振興にバラマキを求める人たちは、現世利益を望んだだけだったが、結果的に、正しいマクロ経済運営に貢献していた。裏にこうした合理性があったために、日本の財政は、景気悪化期の猛アクセルと回復期の急ブレーキを繰り返すことになった。これが巨額の財政赤字とデフレの共存という奇観を生むのである。
地方勢力が衰え、都市部の大衆が勢いを増した今日、勢力均衡によって正しいマクロ経済運営が出て来ることはなくなろうとしている。 ポピュリズム、エリーティズムが共に同じ方を向き、公的部門の縮減と広く薄い負担を目指してまい進する。これが、デフレ下にもかかわらず、与党が消費税3%増を掲げるなら、野党は一気の5%アップで応じ、新勢力は公的年金のリセットさえ求めるという現実になるのである。
………
経済政策の成功は、ほとんど運によるものだと思わされることが多い。先日、取り上げた池田勇人にしても、絶好のタイミングで、強気の経済思想の持ち主が権力を握るというのは、偶然でしかない。経済を壊した橋本龍太郎にしても、かえって凡庸な人間なら、強力な緊縮・増税はできずじまいで、事なきを得ていたかもしれない。
そして、今また日本に、運は巡ろうとしている。震災が起こったために、しばらくは緊縮・増税ができなくなってしまったのだ。しかも、数年分の補正予算を、執行の困難な復興費に積み上げたため、両3年に渡り、緩やかに需要が流れ続けることになる。日本経済は、需要の極端な増減という悩みから、偶然にも解放されようとしている。
大方の日本経済の見通しは、不況と震災の反動で、一時的に成長は高まるものの、半年ほどで減速に向かうとするものだ。筆者は、これと異なり、稚拙な財政運営から免れる結果、日本経済の潜在力が発揮され、高めの成長が続くと見ている。少なくとも、2014年の消費増税によって、「不公平是正」のために、みずから成長を潰すようなことをするまでは。
大衆に根ざすことは、生活苦をもらす圧政を避けるために必要な要素である。官僚の財政均衡への志向性も、安定と公平のために欠かせない要素だ。おそらく、正しい政治とは、どちらを取るかではなく、唯一、現実主義のみであろう。要は、現下のポピュリズムとエリーティズムが奇妙にも共有する、乏しきより等しからざるを憂い、成長を見限って負担を押し付けあうことが、果たして現実を映しているのか否か、問題は、そこにあるのである。
(昨日の日経)
GMがいすゞに出資交渉。地球回覧・最後に笑うのはウォール街・巨額献金で選挙戦。海外論調・緊縮一本やりの是非。読書・石橋湛山論。
(今日の日経)
再生エネ買い取り拡大、既存設備分も。トヨタ営業益3500億円、今期2倍に、1兆円も。経済教室・子育て支援施策・駒村康平。出先改革・機能するとは到底思えない。
古代ローマの循環政体論、すなわち、君主政から貴族政へ移り、それが民主政に代わり、更に衆愚政治になってカリスマが望まれるようになり、元へ戻るというもの、これは政治学の教養としては面白くても、現実の日本政治で心配するようになるとは、一昔前には思ってもみなかった。
不遜に聞こえるかもしれないが、政治には、エリーティズムは、欠かせない要素である。経済運営でも、社会保障でも、政策立案には専門知識が要求され、その良否を判断するのにも、相応の良識が必要である。平たく言えば、能力ある官僚が政策を作り、経験深い政治家が判断し、国民の理解を広げていくという過程になる。
日本で問題になるのは、官僚が政策能力を失った場合である。官僚が誤った政策にはまってしまうと、それに代わる政策を示す者が居なくなってしまう。ここが米英とは異なる。一度踏みはずと、修正は非常に難しいものになる。もしかすると、破綻に至るまで、修正は不能なのかもしれない。
………
戦後政治史では、衆愚政治は、財政赤字下のバラマキが始まった田中角栄に始まるという見方がある。確かに、放漫財政は、その象徴のようなものかもしれないが、不思議なことに、1974年のオイル・ショックから1996年のバブル後まで、日本は、先進国の中で最も良好な経済パフォーマンスを誇っていた。世界一の債権国に伸し上がったのは、この過程においてである。
それもそのはずで、財政赤字は大きくとも、他方で社会保障基金が大きな黒字を出しており、政府部門全体で見ると、まったく問題がなかったからだ。財政破綻は、狭い視野しか持たない財政当局の強迫観念に過ぎず、マクロ経済的には、バラマキは必要なものですらあった。政治は、理由が分からぬまま、現実的な景気対策の必要性に迫られてバラマキを行い、結果的に成功を収めた。その意味で、バランスの取れた政治体制であった。
本当の衆愚政治が始まったのは、1995年の細川政権からかもしれない。政治とカネの問題から始まった「改革」熱は、現実主義的な政治の差配を弱める。これで財政当局の観念論への重しが外れ、細川政権の国民福祉税構想から1997年の橋本政権の無謀な緊縮・増税へと進む。このハシモトデフレは、今から振り返れば、「戦後」の終わりでもあった。
この後、日本の経済パフォーマンスは、極端に悪くなった。15年が経とうというのに、名目GDPはまったく増えていない。池田政権以来の高投資・高貯蓄の経済構造は、ここで壊されている。極端な低成長は、企業行動を変え、労働慣行を乱し、更には、社会や家庭の在り方まで異質のものとし、人口崩壊を決定的にして、国の存続までが危ぶまれるようになった。
小泉政権になると、「痛み」を伴う改革にすら、国民は熱狂するようになる。世界的な好景気の中で、息つくことはできたが、最低のパフォーマンスに変わりはなかった。そして、カリスマが去ると、生活苦への不満が表面化し、安倍政権はネジレ国会に直面して、「戦後」を長らく担当した自民党政権は退場する。
あとを継いだのは、実現不能のマニフェストで大人気を博した民主党政権だったが、二大政党が財政当局の焦燥感に振り回され、バッシングの的を探し回るうちに、その座は、人気獲得に特化した勢力に脅かされるようになっている。こうして、衆愚政治は、完成の時を迎えようとしている。
(本日の掲載分)
………
衆愚政治で通常イメージされるのは、放漫財政によるインフレ経済である。これに抗するのが緊縮・増税で財政規律の確立を目指すエリートという構図になる。外交分野なら、威勢はよくても実益の伴わない強硬路線と国際協調主義との対比いうことになろうか。いずれの分野にせよ、気分は最高かもしれぬが、合理性に欠けたものになる。対置されるエリート主義は、一応、現実性を象徴している。
ところが、日本の場合、大衆が求めるのは、放漫でなく、「不公平」への攻撃である。日本は、国際的に見れば、小さい政府であり、政府からの御利益を、あまり実感できない。福祉を必要とする貧しい人たちは、どこの国でも少数派だ。名目所得がまったく増えない中において、働くことのできる大多数は、「福祉も負担も薄くしろ」ということになる。
他方、日本のエリートに、現実性や合理性があるかというと、それは違う。ハシモトデフレの1997年までは物価の超安定、その後は物価の底抜けにまで至ったにもかかわらず、ひたすら、緊縮・増税の策謀をし続ける。需要不足が現実の日本経済にあって、財政規律の追求は、合理主義になっていない。
エリートの不合理さに対して、バランスをとっていたのは、地方の伝統的な再分配勢力であった。公共事業、農業整備、商工振興にバラマキを求める人たちは、現世利益を望んだだけだったが、結果的に、正しいマクロ経済運営に貢献していた。裏にこうした合理性があったために、日本の財政は、景気悪化期の猛アクセルと回復期の急ブレーキを繰り返すことになった。これが巨額の財政赤字とデフレの共存という奇観を生むのである。
地方勢力が衰え、都市部の大衆が勢いを増した今日、勢力均衡によって正しいマクロ経済運営が出て来ることはなくなろうとしている。 ポピュリズム、エリーティズムが共に同じ方を向き、公的部門の縮減と広く薄い負担を目指してまい進する。これが、デフレ下にもかかわらず、与党が消費税3%増を掲げるなら、野党は一気の5%アップで応じ、新勢力は公的年金のリセットさえ求めるという現実になるのである。
………
経済政策の成功は、ほとんど運によるものだと思わされることが多い。先日、取り上げた池田勇人にしても、絶好のタイミングで、強気の経済思想の持ち主が権力を握るというのは、偶然でしかない。経済を壊した橋本龍太郎にしても、かえって凡庸な人間なら、強力な緊縮・増税はできずじまいで、事なきを得ていたかもしれない。
そして、今また日本に、運は巡ろうとしている。震災が起こったために、しばらくは緊縮・増税ができなくなってしまったのだ。しかも、数年分の補正予算を、執行の困難な復興費に積み上げたため、両3年に渡り、緩やかに需要が流れ続けることになる。日本経済は、需要の極端な増減という悩みから、偶然にも解放されようとしている。
大方の日本経済の見通しは、不況と震災の反動で、一時的に成長は高まるものの、半年ほどで減速に向かうとするものだ。筆者は、これと異なり、稚拙な財政運営から免れる結果、日本経済の潜在力が発揮され、高めの成長が続くと見ている。少なくとも、2014年の消費増税によって、「不公平是正」のために、みずから成長を潰すようなことをするまでは。
大衆に根ざすことは、生活苦をもらす圧政を避けるために必要な要素である。官僚の財政均衡への志向性も、安定と公平のために欠かせない要素だ。おそらく、正しい政治とは、どちらを取るかではなく、唯一、現実主義のみであろう。要は、現下のポピュリズムとエリーティズムが奇妙にも共有する、乏しきより等しからざるを憂い、成長を見限って負担を押し付けあうことが、果たして現実を映しているのか否か、問題は、そこにあるのである。
(昨日の日経)
GMがいすゞに出資交渉。地球回覧・最後に笑うのはウォール街・巨額献金で選挙戦。海外論調・緊縮一本やりの是非。読書・石橋湛山論。
(今日の日経)
再生エネ買い取り拡大、既存設備分も。トヨタ営業益3500億円、今期2倍に、1兆円も。経済教室・子育て支援施策・駒村康平。出先改革・機能するとは到底思えない。





