経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

迷走における日本人らしさ

2011年04月09日 | 経済
 日本人の長所はコンセンサスを重視することだ。そして、日本人の短所もコンセンサスを重視することである。そう、危機にあたって、少数意見の尊重をしていたら、迷走することになる。最善の策を選ぶのに時間をかけるより、次善の策で良いから即決する。これが必要なのである。

 昨日の読売の社説は、「政策のすり合わせもないところでの大連立があり得ないのはもっともだ」とか、「バラマキ施策を撤回し、それで浮く財源を復旧・復興に回すのは当然だろう」としている。事の是非はともかく、多くの日本人は、これに違和感を覚えないと思う。しかし、日本人らしくない筆者には、異様に映るのだ。

 あえて外国人的な感覚と言ってしまうが、危機が起こったら、リーダーには全権委任である。権力を振るうのに条件などつけない。その代わり、区切りがついたら、明確に責任を問う。強権と問責、これを表裏一体とすることで乗り切るのだ。「すり合わせ」だの、「施策の撤回」だの、何を言っているんだとしか思えない。

 むろん、「強権と問責」にも欠点はある。強権を与えたはよいが、問責ができなくなり、長き独裁に至ってしまうのは、外国ではよくある話だ。また、米国の911後の対テロ戦争で分かるように、あとで評価してみると、やり過ぎによって、別の問題を作ってしまったということもある。

 もし、大震災の直後に、自民党の谷垣総裁が、「政府案はすべて通す、その代わり、解散権を寄こせ、震災対応が一区切りついたら、国民の信を問おう」と言っていたら、実現しただろうし、今と違った展開になっていたと思う。さらに、「総選挙後、自民党が参院で過半数でなくても、政府予算案を1回だけは黙って通すことで、借りを返してくれ」としていれば、これも通っていただろう。

 こうした決断によって、大震災への対応が迅速になされたことはもちろん、ねじれた二院制を不文律で解決する、新たな「憲政の常道」まで創られたに違いない。民主主義とは、優れた政治決断を通じて完成を見ていくものだ。誰も気づいてはいないが、大きな機会を日本政治は逃したと言えよう。

 読売に限らず、「危機であろうが、リーダーが降りることで、結束を図るべし」というのは、日本人らしい感覚のようだ。日経オンラインの小峰隆夫先生の論考「震災で明らかになった政治の深刻な構造的課題」も、そのようなもので、大震災が起こったとき、政府・民主党は看板施策を降ろし、野党・自民党と妥協すると思ったらしい。筆者とは逆の感覚だが、これが多数派ではないか。

 しかし、危機にあたって、少数意見の尊重をしだすと、厄介な問題が起こる。権力に責任のない少数派はハードルを上げてくるのである。実際、自民党は、民主党が子ども手当の上乗せ断念など、多少の妥協を見せたのに対して、全面撤回を求め続け、さらには首相交代まで突きつけるようになった。与党の国民新党ですら、郵政関係の要求を通すため、子ども手当のつなぎ法案で造反している。日本人的な感覚は「迷走」の素になりかねないのだ。

 また、自民党の首脳部は、大震災が起こった後、「これで総選挙は遠のいた」と思ったらしい。筆者は逆に「1年以内に信を問うことになる」と直感した。むろん、今は被災地で選挙をするのは無理である。一票の格差是正の必要もある。しかし、半年たてば被災地でも可能性はあるし、自民党が望めば、被災地を後回しにすることもできる。一票の格差是正は、それこそ、やる気の問題だ。大震災の対応は、結果責任を問うべき重大事ではないか。

 大震災を巡る、今回の一連の政治の動き、世論や有識者の見方を眺めていると、管首相の資質うんぬんではなく、日本人の心性そのものがリーダーシップ欠如の原因ではないかと思えてくる。コンセンサスを求める文化は、平時において安定した社会を作る。危機の場面で、それを急に切り変えるのは無理な話であり、「迷走」は日本らしさの発露と、あきらめるしかないのかもしれない。

(今日の日経)
 景況感、急速に悪化。女川・東通原発が冷却機能一時失う。夏の停電回避綱渡り。一次補正財源に年金向け2.5兆円転用。長期金利上昇、一時1.33%。ホンダ、2~3か月でフル生産。洋上風力発電コスト半減。アマゾン、避難所に配達。仮設住宅、平たんな用地確保に苦慮。
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