昔、母に「偉い作家さんが、食糧危機に備えて、米を自宅に蓄えているそうだ」という話をしたことがある。食糧難を経験した母は感心するかと思いきや、「その作家さんは、ご近所に隠れて、ご飯を食べるつもりなのかい?」と返された。なんだか、自分だけが助かれば良いという心根を見透かされたようで、少し恥ずかしく感じた。苦難にあって、どう備えるべきか、その答えは、一人では出せないものだ。
………
総選挙で与党が2/3を制し、消費増税の使途変更による幼児教育の無償化などの実現は確定的となった。しかし、高等教育での大幅な負担軽減は、財源が足りずに、ほとんどできないだろう。そこで、出世払い型の奨学金が実現できないか考えてみた。むろん、前回と同様、公的年金を活用することになる。結論から言うと、可能なんだけど、連帯する力を日本人がどれだけ持っているか、試されるような気がするね。
まず、奨学金の額だが、大学4年分の学費を賄うとしよう。具体的には、入学金、授業料、施設費を合計すると、国立なら243万円、私立だと平均的には、文系で386万円、理系で522万円くらいだ。ここで「年金減額で清算するから、追加負担は不要」とできれば簡単だが、国立はともかく、私立は額が大き過ぎる。そこで、奨学金を受けた場合でも、年金を減らさぬよう、4%の上乗せ保険料を課すことにする。
この場合、厚生年金における月収の平均は29万円なので、月1.2万円程の上乗せとなる。奨学金で減らした分の年金を取り戻すには、国立で18年、私立文系は28年、理系だと38年はかかる。賃金カーブを考えると、取り戻せる時期はもっと遅い。むろん、取り戻した後は、上乗せ保険料は無用となる。問題は、月収が平均より低い場合である。月収20万円で、月0.8万円の上乗せだと、私立文系では約40年、理系になると40年を軽く超えてしまう。
私立理系の補い切れない138万円を、年金減額で清算すると、月7.7万円が7.1万円になる。ただし、乳幼児給付を使った人は、既に6.5万円と、最低限保障すべき額まで下がっているので、更に減らすのは困難だ。したがって、これ以上の減額になる場合は免除するものとし、税を入れて国民全体で負担するか、あるいは、保険加入者全体で負担するかを考えるべきだろう。結局、「出世払い」とは、就職後、収入に応じて負担するとともに、不運にも収入が思うに任せなかった場合、無残にならぬよう、みんなで助けるものなのだ。
………
これには、一体、どういう意味があるのか。貧しい人にお金をあげるという単純な慈善ではない。なぜなら、貧しくなるかどうかは、働き出す頃には分からないからだ。つまり、ある種の保険なのである。何が対象かと言えば、収入に対する保険だ。収入が思うに任せなくても、惨めにならないことが保障される。保険には社会的便益があり、リスクを分散することで厚生を高める。例えば、保険がないと、怖くて車が運転できず、個人的に不便なだけでなく、社会的効率が下がり、経済全体の機会損失にもなる。
奨学金は、人的投資であり、能力の向上を通じ、個人の所得を向上させる。そうした見込みがあるからこそ、借金をしても進学しようと考える。裏返せば、奨学金がないと、必要な人的投資がなされず、経済成長の足を引っ張ることになる。奨学金を受けるか否かの判断の際、将来の所得に万一の不安があるといって、期待値がプラスなのにリスクを避ければ、それは社会的にも経済的にも損失だ。
こうして見ると、出世払い型の奨学金は、挑戦を応援するものと言える。合理的判断を促し、社会的効率を高め、経済成長を押し上げるのだ。奨学金の果実が税や保険料の形で還元されるかは制度設計次第だが、少なくとも、経済を大きくすることは確かである。すなわち、収入が思うに任せない場合に一定の免除をするとしても、他方で、国ないし保険者全体でのメリットもあるから、「損」になるとは必ずしも言えないのである。
奨学金を合理的なものにするには、適切な与信がポイントとなる。その点、公的年金には大きな長所がある。ある大学の卒業生がどの程度の所得を得ているかを、保険料の納付を通じて把握しているからだ。また、保険料の上乗せで天引きするから、回収の能力も高く、低コストである。これらを活かせば、貧しく頼る者なき学生に、4年間で10万円もの保証料を課すという辛い仕打ちをしなくて済み、連帯保証をした資力の乏しい老親に返済を迫る理不尽も解消できるだろう。
………
保険の難しい理屈は分からなくても、「家が貧乏だからって可能性を捨ててほしくない」、「才能ある仲間の挑戦を助けてあげたい」、そういう想いがあれば、この国はきっと良くなる。出世払い型の奨学金は保険であり、誰かが必ず被る不運を社会連帯で分散し、全体の利益を増やそうとするものだ。格差を予防し、成功できずとも納得できる社会づくりにも寄与する。制度改革の入り口における、「他人を助けるためのお金なんて嫌」、「どこからか財源を持ってきて」という狭い利己主義を超えられるなら、経済合理性の見地から、それは実現できる。繰り返そう、必要なのは理想である。
(今日までの日経)
介護・保育職員「定数超」多く。建設資材 東京に集中。
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総選挙で与党が2/3を制し、消費増税の使途変更による幼児教育の無償化などの実現は確定的となった。しかし、高等教育での大幅な負担軽減は、財源が足りずに、ほとんどできないだろう。そこで、出世払い型の奨学金が実現できないか考えてみた。むろん、前回と同様、公的年金を活用することになる。結論から言うと、可能なんだけど、連帯する力を日本人がどれだけ持っているか、試されるような気がするね。
まず、奨学金の額だが、大学4年分の学費を賄うとしよう。具体的には、入学金、授業料、施設費を合計すると、国立なら243万円、私立だと平均的には、文系で386万円、理系で522万円くらいだ。ここで「年金減額で清算するから、追加負担は不要」とできれば簡単だが、国立はともかく、私立は額が大き過ぎる。そこで、奨学金を受けた場合でも、年金を減らさぬよう、4%の上乗せ保険料を課すことにする。
この場合、厚生年金における月収の平均は29万円なので、月1.2万円程の上乗せとなる。奨学金で減らした分の年金を取り戻すには、国立で18年、私立文系は28年、理系だと38年はかかる。賃金カーブを考えると、取り戻せる時期はもっと遅い。むろん、取り戻した後は、上乗せ保険料は無用となる。問題は、月収が平均より低い場合である。月収20万円で、月0.8万円の上乗せだと、私立文系では約40年、理系になると40年を軽く超えてしまう。
私立理系の補い切れない138万円を、年金減額で清算すると、月7.7万円が7.1万円になる。ただし、乳幼児給付を使った人は、既に6.5万円と、最低限保障すべき額まで下がっているので、更に減らすのは困難だ。したがって、これ以上の減額になる場合は免除するものとし、税を入れて国民全体で負担するか、あるいは、保険加入者全体で負担するかを考えるべきだろう。結局、「出世払い」とは、就職後、収入に応じて負担するとともに、不運にも収入が思うに任せなかった場合、無残にならぬよう、みんなで助けるものなのだ。
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これには、一体、どういう意味があるのか。貧しい人にお金をあげるという単純な慈善ではない。なぜなら、貧しくなるかどうかは、働き出す頃には分からないからだ。つまり、ある種の保険なのである。何が対象かと言えば、収入に対する保険だ。収入が思うに任せなくても、惨めにならないことが保障される。保険には社会的便益があり、リスクを分散することで厚生を高める。例えば、保険がないと、怖くて車が運転できず、個人的に不便なだけでなく、社会的効率が下がり、経済全体の機会損失にもなる。
奨学金は、人的投資であり、能力の向上を通じ、個人の所得を向上させる。そうした見込みがあるからこそ、借金をしても進学しようと考える。裏返せば、奨学金がないと、必要な人的投資がなされず、経済成長の足を引っ張ることになる。奨学金を受けるか否かの判断の際、将来の所得に万一の不安があるといって、期待値がプラスなのにリスクを避ければ、それは社会的にも経済的にも損失だ。
こうして見ると、出世払い型の奨学金は、挑戦を応援するものと言える。合理的判断を促し、社会的効率を高め、経済成長を押し上げるのだ。奨学金の果実が税や保険料の形で還元されるかは制度設計次第だが、少なくとも、経済を大きくすることは確かである。すなわち、収入が思うに任せない場合に一定の免除をするとしても、他方で、国ないし保険者全体でのメリットもあるから、「損」になるとは必ずしも言えないのである。
奨学金を合理的なものにするには、適切な与信がポイントとなる。その点、公的年金には大きな長所がある。ある大学の卒業生がどの程度の所得を得ているかを、保険料の納付を通じて把握しているからだ。また、保険料の上乗せで天引きするから、回収の能力も高く、低コストである。これらを活かせば、貧しく頼る者なき学生に、4年間で10万円もの保証料を課すという辛い仕打ちをしなくて済み、連帯保証をした資力の乏しい老親に返済を迫る理不尽も解消できるだろう。
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保険の難しい理屈は分からなくても、「家が貧乏だからって可能性を捨ててほしくない」、「才能ある仲間の挑戦を助けてあげたい」、そういう想いがあれば、この国はきっと良くなる。出世払い型の奨学金は保険であり、誰かが必ず被る不運を社会連帯で分散し、全体の利益を増やそうとするものだ。格差を予防し、成功できずとも納得できる社会づくりにも寄与する。制度改革の入り口における、「他人を助けるためのお金なんて嫌」、「どこからか財源を持ってきて」という狭い利己主義を超えられるなら、経済合理性の見地から、それは実現できる。繰り返そう、必要なのは理想である。
(今日までの日経)
介護・保育職員「定数超」多く。建設資材 東京に集中。