短く書きましょう─ 2007年11月26日 | 凡日記 このブログの記事は 長すぎる、という 声を頂いたので、 じゃぁじゃぁ 短く書きましょうかね。 今朝は朝6時半に起きまして、 いつもより早めの出社。 月曜の朝はいつも 「朝会」がございますから。 そして夜まで延々と 事務処理作業に 見積もり作成作業。 パソコンとずっとにらめっこの 一日でございました。 家に帰り着いたのは 夜の10時半。 やれやれ。 こんな感じです。 …言い足らん。
【WH】およそ人生は 2007年11月26日 | テレビ さて鳥取から「戻って来た」日の夜は、「世界遺産」(TBS)をのんびりと観ていました。 ウラでは、屋久島の特集もやっていたのですがね。そちらもちらりとは見たけれども、こっちの方が「贅沢」な時間を過ごすことが出来たようで、良かったですよ。 贅沢な時間とは、思案する時間ではなかろうか、と思った。 真理を導き出そうとすること。生について考察すること。つまりは、「哲学する」こと、「芸術する」こと。 そんな舞台が、只の片田舎の町であろうとも、世界遺産として登録されるのだ。粋なことではあるまいか。 1998年登録、ドイツの「古典主義の都ヴァイマール」。 ベストセラー作家でもあり、政治家でもあったゲーテは、こんなことを語ったらしい。 およそ人生は 次の二つで成り立っている したいけれども、出来ない 出来るけれども、したくない 今の自分には、心に染み入る、と言うよりは、心に突き刺さるくらい、強烈な印象に残った。
鰺32円/匹 2007年11月26日 | 食生活 本日のメシは、 鰺の塩焼き。 えぇ、見切りで 安かったから 買ったんですけれどもね。 けれどもふと 思ったのですよ。 安すぎやしないか、と。 鰺1匹32円。 実際は16円で 買ったわけだけれども。 海に棲む生き物の 命の値段と 捉えるのは早計か。 これを獲った人の 労働対価と 捉えるのも杞憂か。 それにしても 銀魚の見切り品が いつも大量に店頭に 残るということが 気にかかるのです。 魚食文化はとうに 崩壊してしまったと 考えるのは大袈裟か。
妖艶なる月明かりの元で思案したこと 2007年11月26日 | 雑感散文 空を見上げてみれば、 真ん丸い月が 妖艶なまでに怪しく 白く煌いて 浮かんでいた。 そういえば 昨日も一昨日も、 同じく月を 見上げていた。 ただ、 それが見えたのは 鳥取の広い夜空か 林立する物体の合間 という違いがあった。 そこに浮かんでいる月よ、 あの時の月と同じかい。 あの時のままだと 言うならば、 あの時とは変わってしまった 自分ないしは仲間達を 同じままに出来ないのは 如何がためなるや。 それでも 仲間達はそれぞれに 前へ前へと歩んでいた。 風景すらも 変化の刻みを絶やさない。 さすれば自分は 唯一人、 ぽつんと取り残されて しまったか。 未来を憂い、 過去を慈しみ、 そして現在においては 無愛想なまま ただただ漂流するように 過ごしていくのみかは。 しかし仲間の前で、 強がり、という癖が 今回もまた発病した。 本当はもう今の現状に 滅入ってしまって いるのだけれども、 他の仲間も同じような壁に ぶつかってしまっていると聞くと、 俺はこうやって 乗り越えようとしていると、 さも人生の達人が如く 語り出すのであった。 完全なる自己矛盾である。 しかしながら話すうちに、 あぁそうか、 今の自分の苦労というものは、 はたまた自分が目指すべき 道というものは、 という取りとめも無かった 己に課した命題の 解決の糸口が、 徐々に見えてきたように 思えてきた。 人に話すうちに、 自分の中でも考えが 整理され纏まってきた。 ブログ記事の文章を 練っているよりも遥かに、 明瞭な考えに行き着けた ように思えた。 人もまた、 変わっている。 そして自分もまた、 変わらねばならない。 共に変わって いこうではないか。 故に自分も 帰ることが出来るのだ。 今回の「帰鳥」では、 そのことを痛感した。 悩みを共有しあい、 そして前向きな 意見の交換をしあうのだ。 そしてお互いの持つ 夢や希望というものを 醸成させることが 達成せしめるというわけだ。 また何か迷ったら、 すぐに仲間達の元へ 帰ることとしよう。 逆に悩みがあったら、 大阪に来て共に語ろう、 と言って頷いて貰える 人間になりたいものだ。 暫くしたらまた 鳥取に帰ろう。 そして夜まで飲み明かし、 また真ん丸い月でも 見上げたいものだ。