さてさて、今回の「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)での、太田さんと教授の熱い議論というものが、今回は観られなかった、と言うのが残念と言えば残念で、不満なのですが。
けれども興味深い話はいくらか出てきましたね。
結局、「錯覚」とは何か?
人間は外から入ってくる光の刺激を、眼球の奥にある桿体細胞と錐体細胞が受容し、それが脳に伝わる、ということを旧課程の生物ⅠBの授業で習った。
しかしながらその「情報量」は膨大なもので、脳は幾分かの情報を捨て、脳内での処理が円滑に進むような工夫がされていると聞く。
パソコンに詳しい人なら理解を頂けるだろうが、ビットマップイメージでは処理がおっつかないから、JPEGはたまたGIFに圧縮若しくは簡易化して、処理をしている。
脳の瞬間的な計算処理能力に関しては、今の家庭用パソコンより劣っていると言う。ならばなおさら、情報の圧縮処理は不可欠となる。
そのツケとして発生するのが、「錯覚」であるという。
だが、視覚情報ばかりが「錯覚」か?
人を、若しくは組織、はたまた国を、一面的な面でのみ評価したり、批判すること。その対象を、「ちゃんと見ていない」または「決め付け・先入観」のみで観ている。
これも広義の「錯覚」に含まれるであろう、と言う。
この「錯覚」は如何にして克服できるのだろうか。
錯覚があるのであれば。
人とは違うものを、見ている可能性もあるわけか。
それは子供の頃頻りに考えていたことだし、以前の記事(07年7月18日)でも、特に色のことについて語った。
またしても哲学的な話に傾倒してしまいそうだけれども、錯覚と言うものが、見える世界に対する思想に影響するのではないか、と考えてしまう。科学的にはなんら差異は無いらしいが。
ところで、今回多数紹介された「錯覚」絵のオンパレード。
雑誌「NEWTON」の別冊「脳はなぜだまされるのか? 錯視 完全図解」にてたっぷり楽しめます。