ー桃の実ー
<劇団「モケレンベンベプロジェクト」HPより>
2010年は『桃の実』(再々演)を全国8ヶ所の路面電車内で公演します。 東京(追加公演決定!)・大阪・鹿児島・高知・豊橋・札幌・広島・長崎(公演順)
1945年、広島に原爆が投下されたとき、路面電車を運転していた女学生たちがいた。 戦時中、男たちが出征したあと労働力を補う目的で設立された家政女学校。学業と勤労を兼務した学校だったが、戦火が激しくなると終日勤務に。しかし戦後、男たちが復員して来るため職を追われ、女学校は廃校となる。原爆投下の廃墟を生き抜き、自らも傷つき、瀕死の仲間たちを看病しながら、電車の復旧に尽くした女学生たち・・・ 2010年、走るチンチン電車の中で65年前の女学生たちの物語に出会ってほしい。過去の物語ではなく、いまだ核兵器を廃絶できない私たちの物語として。
先々週末、「祝春一番」でもらったチラシの中にあった、劇団「モケレンベンベプロジェクト」の公演「桃の実」を見てきました。
この演劇は、全国各地の路面電車を貸し切って行われる、ちょっと変わった演劇でした。
演劇が行われた電車です。写真は終点「浜寺公園」駅に着いたところ。
私は大阪なので、天王寺から貸し切り電車に乗りました。
この電車は、私が長年通った学校のすぐそばを通る、懐かしい電車です。
演劇は、ノンストップで終点の浜寺公園駅まで走ります。
その間1時間余り。
乗り込む時から、もんぺに車掌の制服を着た女学生姿の俳優さんが、切符に見立てたチケットにちょきんとハサミを入れてくれました。
乗客は観客でもあります。
ほぼ満席で、発車しました。
この日は、ほんとうにいいお天気でした。
発車寸前にひとりの若者が飛び乗ってきました。
彼が、現代の私たちを戦争中の広島に連れて行くキーパーソンとなります。
女学生たちは15歳で、広島の家政女学校の生徒さんでした。
貧しい農家出身の彼女たちは、働きながら勉強できると言うので、寮生活をしながら学校に通っていましたが、戦争が激しくなり、男たちが戦場に駆り出されて行ったので、市民の大切な足である市電の乗務員として、勉強もそっちのけで働いていたのでした。
戦争が激しくなると、電車の運転や整備まで任せられるようになりますが、お腹を減らしながらお国のためにと頑張っていました。
ところが、1945年8月6日、快晴の暑い日、広島に原爆が堕ち、彼女たちの乗った市電も被爆したのでした。
町は、一瞬のうちに地獄に変わりましたー。
路面電車という限られた空間で、わずかな小道具や黒い大きな布だけで、広島で起きた惨劇を演じます。
乗客の頬には大粒の涙がこぼれ、観客もタイムスリップしてあの日の広島にいるようでした。
でも、見終わった後は、悲劇よりもむしろさわやかな印象でした。
戦争の悲惨さよりも、ひたむきな女学生の姿に観客は心を打たれていました。
ムダを省いた脚本と、洗練された演出と、よく訓練された俳優さんの力量にとても感心しました。
この演劇は、2006年に東京で公演した後、2007年に広島・長崎を始め各地で上演され、好評を博し、今回の全国ツアーとなったようです。
皆さんのお近くで上演されているのを見つけられましたら、ぜひご覧いただきたいと思います。
日程表
午前の部を見たので、終点の浜寺公園内のレストランで、俳優さんたちと一緒にお昼ご飯を食べました。
観客と俳優さんが、心を開いて語り合って、気持ちのいいひとときを過ごしました。
南海浜寺公園駅から電車に乗って帰りました。
浜寺と言えば、昔は海水浴場のあったところ。
駅舎は、その名残のような佇まいでした。
南海浜寺公園駅
<劇団「モケレンベンベプロジェクト」HPより>
2010年は『桃の実』(再々演)を全国8ヶ所の路面電車内で公演します。 東京(追加公演決定!)・大阪・鹿児島・高知・豊橋・札幌・広島・長崎(公演順)
1945年、広島に原爆が投下されたとき、路面電車を運転していた女学生たちがいた。 戦時中、男たちが出征したあと労働力を補う目的で設立された家政女学校。学業と勤労を兼務した学校だったが、戦火が激しくなると終日勤務に。しかし戦後、男たちが復員して来るため職を追われ、女学校は廃校となる。原爆投下の廃墟を生き抜き、自らも傷つき、瀕死の仲間たちを看病しながら、電車の復旧に尽くした女学生たち・・・ 2010年、走るチンチン電車の中で65年前の女学生たちの物語に出会ってほしい。過去の物語ではなく、いまだ核兵器を廃絶できない私たちの物語として。
先々週末、「祝春一番」でもらったチラシの中にあった、劇団「モケレンベンベプロジェクト」の公演「桃の実」を見てきました。
この演劇は、全国各地の路面電車を貸し切って行われる、ちょっと変わった演劇でした。
演劇が行われた電車です。写真は終点「浜寺公園」駅に着いたところ。
私は大阪なので、天王寺から貸し切り電車に乗りました。
この電車は、私が長年通った学校のすぐそばを通る、懐かしい電車です。
演劇は、ノンストップで終点の浜寺公園駅まで走ります。
その間1時間余り。
乗り込む時から、もんぺに車掌の制服を着た女学生姿の俳優さんが、切符に見立てたチケットにちょきんとハサミを入れてくれました。
乗客は観客でもあります。
ほぼ満席で、発車しました。
この日は、ほんとうにいいお天気でした。
発車寸前にひとりの若者が飛び乗ってきました。
彼が、現代の私たちを戦争中の広島に連れて行くキーパーソンとなります。
女学生たちは15歳で、広島の家政女学校の生徒さんでした。
貧しい農家出身の彼女たちは、働きながら勉強できると言うので、寮生活をしながら学校に通っていましたが、戦争が激しくなり、男たちが戦場に駆り出されて行ったので、市民の大切な足である市電の乗務員として、勉強もそっちのけで働いていたのでした。
戦争が激しくなると、電車の運転や整備まで任せられるようになりますが、お腹を減らしながらお国のためにと頑張っていました。
ところが、1945年8月6日、快晴の暑い日、広島に原爆が堕ち、彼女たちの乗った市電も被爆したのでした。
町は、一瞬のうちに地獄に変わりましたー。
路面電車という限られた空間で、わずかな小道具や黒い大きな布だけで、広島で起きた惨劇を演じます。
乗客の頬には大粒の涙がこぼれ、観客もタイムスリップしてあの日の広島にいるようでした。
でも、見終わった後は、悲劇よりもむしろさわやかな印象でした。
戦争の悲惨さよりも、ひたむきな女学生の姿に観客は心を打たれていました。
ムダを省いた脚本と、洗練された演出と、よく訓練された俳優さんの力量にとても感心しました。
この演劇は、2006年に東京で公演した後、2007年に広島・長崎を始め各地で上演され、好評を博し、今回の全国ツアーとなったようです。
皆さんのお近くで上演されているのを見つけられましたら、ぜひご覧いただきたいと思います。
日程表
午前の部を見たので、終点の浜寺公園内のレストランで、俳優さんたちと一緒にお昼ご飯を食べました。
観客と俳優さんが、心を開いて語り合って、気持ちのいいひとときを過ごしました。
南海浜寺公園駅から電車に乗って帰りました。
浜寺と言えば、昔は海水浴場のあったところ。
駅舎は、その名残のような佇まいでした。
南海浜寺公園駅