ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

チベットはどうなったのか

2008年03月23日 | Weblog


チベットがチベット仏教政治の時代は社会変化が緩やかで生活水準の向上も緩やかだったでしょう。
人々はチベット仏教で精神的にも制度的にも統制されていました。

1950年中国政府は戦争でチベットを中国に吸収しました。
そのとき中国政府は解放という言葉を使いました。
しかしチベットでは共産主義政治が強制的に行われ、社会は、大きく変化し、混乱状態に陥りました。
抵抗する僧や信者は迫害され、差別されたり、投獄されたり、殺されたり、逃げたりしました。
中国政府に従った人々も社会混乱のため生活水準が下がったでしょう。

チベット人の反乱を防ぐため中国政府はチベットの経済拡大を企画し、中国人を植民したり、投資したりしていろいろな経済活動をやりました。
その結果、チベット人の生活水準は向上したでしょう。
しかし、チベット人は主体性を失いチベットが中国人によって荒らされたという感情を持ったでしょう。
チベットの中国化はチベット人の反中国感情を高めたでしょう。

寺や僧や信者は、反中国でないことを条件にチベット仏教を認められたようですが、その結果チベット仏教には昔の権威はなくなったでしょう。
観光の対象になってしまったと言ってもいい面があります。
チベット仏教を重んじてきた僧や信者は耐えがたい屈辱を感じたでしょう。

伝統的なチベット仏教や慣習が否定され、唯物的な共産主義を強制されて精神はすさんだでしょう。
中国政府との戦争や対立によって安定した静的精神状態から戦闘的動的な荒々しい精神状態になったでしょう。

こうして今回の暴動も発生したのだと思います。
中国政府は軍と警察を使って独立運動や反政府運動を断固取り締まる方針です。
チベットはチベット人にとってはもちろん、移住した中国人にとっても不安な地方になってしまいました。
中国政府はいまだに政治の目的も方法もわかっていない政府だと思います。