ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

地方のことを国に考えてもらうことは無理

2014年09月22日 | Weblog
石破茂氏が内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)および「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣に任命され、特に地方創生について発言が目立っています。
その内容を検討すると、従来の政府の考えと基本は変わりません。
従来のやり方では地方が危ないと言っているのに従来のやり方の継続とはどういうことでしょうか。
石破大臣には新しい考えがないと思います。
防衛の第一人者との自負を持っている人が突然地方創生策を言えと言われても何も言えないことは当然です。

地方の活性化に新たな交付金制度を創設したいと言いますが、そもそも国が地方に交付するという発想が古すぎると思います。
相変わらず国は、使い方を指示しないで交付金を与えると何に使われるか分からないと心配しています。
それでは国は地方の状態を調べて適切な指示を出せるかというと出せません。
出せないから地方が活性を失いました。
石破氏が担当大臣になったら突然適切な指示が出せるでしょうか。

人々が東京から地方に移住することを促進すると言いますが、人はお金のあるところに集まるという傾向を利用して特定地方に交付金を大量付与して東京の人を誘引するということでしょう。
安倍晋三内閣らしく金融的です。
しかし安直です。
国と都道府県が連携して地域活性化総合戦略をまとめるそうです。
これでは相変わらず地方が国の顔色を見ることになり、昔ながらの地方の主体性なき地方開発になるのではないでしょうか。
一方で非常に矛盾することですが、地方創生に意欲的な市町村が独自の総合戦略を掲げることができる道を用意するそうです。
しかし、市長村の独自の総合戦略を評価するのは国です。
結局、国がいいと言わなければ交付金は出ません。

従来は国が悪かっただけでなく、地方も悪かったと思います。
地方には、国に考えてもらう、国に責任を持ってもらうという考えが強かったと思います。
交付金制度があるとどうしても地方の顔は国に向くことになります。
独自の開発を行うという自主性が弱かったと思います。
国から交付金を引き出すことがうまい人が地方の最高責任者になる傾向が強く、これまでの地方政治は地方の特徴無視の政治であったと思います。

たとえば原発がある地方や在日アメリカ軍基地がある地方を見ると、自主性のなさ、責任感のなさは目に余ります。
国に抵抗して、特別交付金をたっぷりもらって妥協し、そのお金で不釣り合いな立派な施設を建設し、住民に楽な生活を提供していい政治をしたと思っている政治家が最高責任者に当選します。
住民も楽な生活はいいみたいですが、結局楽しくなく、また不平を言います。
するとまた政治家はたっぷりとお金を国からもらうために抵抗をします。
こんな政治を続けてどうして地方が自主開発できるでしょうか。

地方のことは地方が責任をもって行うのが原則ではないでしょうか。
そのためには国からの交付金ではなく、地方の税収を増やすようにすることが大事です。
地方は地方が一つの国と思って政治を行うことが大事ではないでしょうか。
国からお金で操られて地方が独自の総合戦略を立てるなどということはないと思います。