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現存12天守紀行 「伊予松山城天守」 9

2010年06月21日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「伊予松山城天守」 9

画像は、伊予松山城城郭「本丸・二ノ丸・三ノ丸・内堀」を上空から撮影した光景である。
現在は、三ノ丸は埋蔵発掘調査も終わり、市民の城山公園として整備されていて画像の施設は移転取壊され公園となっている。
現在三ノ丸に現存する施設は、NHK松山放送局・愛媛県立図書館・同美術館・市民会館で、県民文化会館・陸上競技場・野球場・弓道場・市営プール・軟式テニスコート・国立がんセンター・四国財務局松山事務所・愛媛県警察本部・ラクビー場は移転した。

昭和28年開催の国民体育大会四国開催時に開会式がここ三ノ丸の陸上競技場で行われ、四国各県で競技が行われ、愛媛県では県民文化会館・陸上競技場・野球場・弓道場の施設で競技が行われた。

平成29年第72回国民体育大会愛媛県開催が内定しており、64年振り愛媛県で開催今回は愛媛県単独開催となる。
既に施設は殆ど完成しているが、施設の取り付け道路が工事中である。

なお、画像の松山城跡(まつやまじょうし)は昭和27年3月29日に国指定の史跡「松山城跡」として指定された。指定面積は、62,15haである。
また三ノ丸は、明治時代は歩兵陸軍第22連隊があった場所である。

1602年1月15日から現在の松山市が誕生、江戸開幕とともに三ノ丸は松山藩の重要な場所として、また明治維新後は明治2年7月に兵部省が新設 三ノ丸は兵部省の管轄となり丸亀連隊松山分営が置かれ、明治17年6月25日松山歩兵22連隊が創立、日露戦線にも出兵し凱旋している。

その後大正、昭和と22連隊は存続し、昭和20年6月24日沖縄戦線で 島尻郡真壁村字宇栄城で栄ある22連隊旗は豫州建児の闘魂を秘めて奉焼され散った。
 
昭和20年7月26日B29の爆撃をうけ松山兵舎は灰化になり見る影も無く、明治以来栄ある兵事史に終止符がうたれた。
戦後はいろんな文化経済関係の施設が置かれたが、昨年殆どの施設は移転して市民憩いの公園として生まれ変わった。

慶長7年(1602年)から昭和20年(1945年)約343年間一般市民は立ち入る事が出来なかった地が解放された。

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