EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市窪野町北谷地区の彼岸花群生地

2016年09月27日 | 伊予松山歴史散策


松山市窪野町北谷地区に「彼岸花」の群生地がある。
官有地で許可を得て彼岸花の球根を移植し、その後地元住民たちが支援して大切に管理育成している。
桜(染井吉野桜)の木も植栽されており、28年前に植え込んだそうだ。56本あった。面積は、3ヘクタール位あるそうだ。
この地区には、四国88ヶ所第46番札所・浄瑠璃寺(松山市)があり、45番札所・岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)から巡礼する遍路道がある。今年は、逆打ちで空海弘法大師様に巡り会えたという伝説が残る60年に一度の丙申(ひのえさる)にもあたることから、お遍路さんにとって“特別の年”と言われ例年になく逆打ちお遍路さんが多い。今日も逆打ち遍路さんに出会った。
 「彼岸花」の群生地の上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。
昨日、(26日)松山市窪野町北谷地区にある「彼岸花」群生地の撮影に行ってみると花が散り1輪も無かった。今年は異常気象の為かと思いながら周囲に残っていた花を撮って帰った。松山市内から鑑賞に来ていたご婦人たちもがっかりしていた。そして今年初めて撮影にきましたと言われる男性も来年元気で居れば来ますと言って帰られた。
彼岸花群生地区は、非常に珍しく愛媛県ではこの地だけではないか、県外からも鑑賞に来られる有名な所となった。
画像は、9月26日、撮った彼岸花群生地区(松山市窪野町北谷)。


群生地の側に少し花が咲いていたので手ぶらで帰ることは無かった。

彼岸花は、別名「曼珠沙華」とも呼び異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあったが最近は趣が変わり活花として観賞するようになった。・・世も変わったものである・・・季語・花言葉 ・秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」
「悲しい思い出」[4]「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信
花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われている。


早朝まで雨が降っていたので花に雨露が付いていた。

彼岸花に付いて少し調べてみると、次の記述があった。
彼岸花の分布は、北海道から琉球列島まで見られる。自生ではなく、日本には中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。・・ある。


ご婦人たち俳句を創作する人も居た。

松山に関係した俳人の句があった。
曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり  中村草田男
なかなか死ねない彼岸花咲く   種田山頭火


撮影していると黒い大きな蝶々が飛来して来て花の蜜を取っていた。


松山市内から来たご婦人ご一行。・・来るのが遅かった残念・・と会話をしながら周囲に残っている花々を鑑賞していた。


松山市内から来た男性、初めて来ましたと言っていた・・また来年来ます・・元気で居ればと言ってカメラに納めていた。


此処は、私が案内した一遍上人生誕750年・没後700年の記念事業として記念碑で、此れも記念に撮影されていた。・・窪寺跡は聞いていましたが、初めて見ました・・と言われた。

一遍上人
延応元年(1239)伊予国の豪族、河野通広の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥にある宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。本家の河野氏は、承久3年(1221)の承久の乱で宮方について祖父の河野通信が陸奥国に配流されるなどして没落し、一遍が生まれた頃にはかつての勢いを失っていた。河野一族の極楽往生を願い全国遊行を行っていたが、父の死をきっかけに還俗して伊予に帰る。しかし一族の所領争いなどが原因で、文永8年(1271)32歳で再び出家、信濃の善光寺や伊予国の窪寺、同国の岩屋寺で修行する。窪寺は、一遍上人成道の地として極めて重要な所である。


例年この時期は画像の様に彼岸花の群生が咲き誇っているが、今年は既に散っていた。
画像は、昨年9月23日撮影。


昨日の画像、今年は異常気象であったのか群生地には花は無かった。


逆打ちをされる遍路さん。
四国88ヶ所第46番札所浄瑠璃寺「松山市」から、45番札所・岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)に向かって逆打ちされる遍路さん。
今年は、60年に一度の丙申(ひのえさる)にもあたることから、お遍路さんにとって“特別の年”と言われ例年になく逆打ちお遍路さんが多い。今日も逆打ち遍路さんに出会った。大きな荷物を背負って・・お気を付けて巡礼して下さいと・・お声をお掛けして見送った。


コメント   この記事についてブログを書く
« 陸軍大学校第1期生・仙波太... | トップ | 伊予松山城本丸・秋に咲く花 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事