EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

日本100名第80番・湯築城

2017年03月12日 | 伊予松山歴史散策

松山市は、昨日外気温が最高14,9度まで上がり湯築城(道後公園)では早咲きの桜「椿カンザクラ」の下で花見をしていた。

 

一昨日道後温泉ガイド当番日で午後から道後観光開会に詰めていた。

二組の観光者から依頼を受け案内した。

一組は、横浜市から来られた男性で湯築城のガイド依頼であった。日本100名城巡りで99城を巡って来て湯築城が最後ですとの事でした。

もう一組は、女性二人組で、いま流行している御朱印ガールで、道後地区で御朱印が出来る日本三代八幡造りの一つ「伊佐爾波神社」と「湯築神社」を案内した。

その後、道後温泉本館を案内した時、本館正面に半旗が掲揚してあったのを見て、何故半旗の掲揚ですか?と問われた。

今日は、3月11日、東日本大震災の日です。哀悼の気持ちを表すためですと説明すると納得された。

湯築城は、14世紀から16世紀後半「南北朝時代から安土桃山時代」にかけて、約250年間に渡り伊予の守護であった河野氏の居城として存続した中世の城跡で市街地にあるものは、殆ど外堀は埋め立てられ、土塁は取り壊され宅地として開発されているが、この湯築城は戦国時代のタイムカプセルの様に現存している事が重要な史跡で日本でも此処だけである。

発掘調査は昭和63年から平成10年に掛けて行われ、特に県立道後動物園があった所に限り学術的な発掘調査がされその成果に基づいて文化財を生かした整備を行い平成14年4月12日に武家屋敷2棟・土塁・道路・排水等の立体復元や平面復元が完成し一般に公開開始した。また、平成14年9月に国の史跡「湯築城跡」に指定された。広さは、外堀を含む南北350m・東西295m・面積8,6ha(8町6反)で東京ドーム1,7倍の広さがあり丘陵の高さは31mある。中世の城としては珍しい平山城で、攻めるには攻めやすく、防御するには大変困難な城である。

平成18年、日本100名城第80番に選定された。

なお愛媛県には、日本100名城に選定された城が、5ヶ所ある。宇和島城・大洲城・松山城・湯築城・今治城で、全国で5ヶ所選定されているのは、愛媛県と長野県のみである。

 

湯築城資料館内にある模型。

 

以前、湯築城の直ぐ南にあるマンションに上げてもらい撮りました湯築城。

湯築城資料館内の展示資料。

湯築城資料館正面奥、甲冑の横に置かれている。

資料館内に大切に日本100名城第80番に選定されたスタンプが置かれている。

日本100名城協会の選定スタンプ「第80番湯築城」

横浜からお越しになった方は、慎重に押印され帰られた。・・ご苦労様でした。名湯道後温泉に入浴し疲れを癒し帰られると言われた。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« EEKの紀行回顧:47GH... | トップ | 日本三大八幡造り「伊佐爾波... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事