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EEKの紀行回顧:47GHz広島県呉市野呂山移動運用

2017年03月11日 | 伊予松山歴史散策

3月11日は、東日本大震災の日、平成23年3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波、それにより発生した福島原子力発電事故が起こった日である。それから6年が経過したが、未だ復興途上である。

私の居住している愛媛県松山市も、昭和21年12月21日、午前4時19分に発生した昭和南海地震が発生し、大きな災害が起こった。震度6で道後温泉の湯が止まった。

それから71年が経過、何時発生しても不思議でないと言われている。道後温泉本館も南海地震に備え愛媛国体が終了後耐震補強工事をする。

日本アマチュア無線連盟愛媛県支部では、毎年マイクロ波帯のトランスバータ―製作講習会を開催してきた。

1200MHzから始まり、77GHzまで辿り着いた。西日本では愛媛県が初めてであった。初代愛媛県支部長、JA5AH、松本純一会長の方針の一つとして実施された。

それは、南海地震、その他の災害時に対して無線で社会に貢献しようと取り組むための設備の確保であった。

松山市を始め県下の自治体とアマチュア無線クラブは、業務提携を結び防災訓練には必ず参加し災害発生時には無線で協力する体制が整っている。

大災害時には携帯電話は使用不能となり、活躍できるのが無線であるからである。

平成7年1月17日発生した阪神・淡路大震災、でもアマチュア無線局が活動し、東日本大震災でも貢献した。・・この事はマスコミも取り上げられ報道された。

平成7年9月3日、開催の第23回日本アマチュア無線連盟愛媛県支部内子大会で、特別講演として「日本アマチュア無線連盟兵庫県支部長、JA3SHL、秋田政廣さんをお迎えして「阪神大震災におけるアマチュア無線の活躍」と題して講演をお願いし生々しい状況のお話を聞き、日頃からの心構えの必要性痛感した。

また、愛媛県では全国で初めてとなる広域レピータ局を設置し県内何処で災害が発生してもレピータ局を経由して状況報告を災害本部となる愛媛県庁に連絡出来るよう整備した。

このような事を踏まえて初代支部長は体制を整えて来た。

さて、今回広島県呉市野呂山移動した時の回顧であるが、アマチュア無線局はあくまでも趣味の世界であるが災害時には社会に貢献する使命を何時も持っておりそのために日頃から通信技術の向上と無線機の維持管理を兼ねて通信実験をしているのである。今回の移動通信実験もその一つである。

 

47GHz帯の機器。

親機は1200MHz、トランスバータで47GHzに変換する。

夜明けとともに気温が上昇し大気の水蒸気が多くなる。47GHzの電波は水蒸気に大きく左右され電波の直進が悪くなる。ましてや瀬戸内海を横断するため海面からの水蒸気が大敵である。

平成16年12月3日、早朝松山からJA5JSU局(松山地区SHF研究会会長)と二人で堀江港から船で阿賀港に渡り野呂山に移動した。

通信実験相手局は、伊予市双海シーサイド公園に待機する、JA5GYU、JA5IDH局で、野呂山―伊予市双海シーサイド公園の距離は直線で64,4km、この間での実験であった。

JA5JSU局(松山地区SHF研究会会長)の47GHzのANT。

野呂山兜山展望台に47GHzの無線機器をセット。

連絡は、1200MHz(1,2GHz)で行った。

先程記述した災害時に貢献するため機器の整備と書きましたが、機器は430MHzか1200MHz帯の無線機でそれも電源が使用できない時は、携帯無線機となる。あらかじめ電池の確保も必置である。

展望台の下は瀬戸内海で、47GHz帯で海上を超えての電波伝搬通信実験は全国で初めてであった。

野呂山兜山展望台の全景。

野呂山兜山展望台の全景

野呂山兜山展望台の駐車場、車3台しか駐車できない。

野呂山―伊予市双海シーサイド公園の距離は直線で64,4km、中々交信できず夕方やっとシグナル59で交信成が出来下山した。

野呂山兜山展望台の標識。

野呂山兜山展望台の直ぐ傍にあるかぶと岩の標識。

かぶと岩。

 

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