松山市湊町四丁目4番地1(市駅前)にある伊予鉄道本社ビル1階に『坊っちゃん列車ミュージアム』が平成28年12月9日開館した。
見学に行こうと思いながら、行きそびれ先日(7月12日)見学に行って来た。
館内には、明治21年10月28日 松山―三津間の鉄道(坊ちゃん列車)営業を開始した第1号機関車の原寸大レプリカが展示、6mにわたる伊予鉄道130年の遍歴年表、伊予鉄道で活躍した蒸気機関車の写真等々が展示してあり当時の時代風景が伺える展示内容でした。
現存する私鉄としては、南海電気鉄道に次いで2番目に古い歴史を有し、創業当時から伊予鉄を名乗っていた。
ミュージアムの開館時間は、午前7時から午後9時まで、入場無料、館内には、コーヒー店のスターバックスも併設されていた。
博物館に入ると伊予鉄道1号機関車の原寸大レプリカがお出迎え。
1号機関車は、ドイツ・ミュンヘン州クラウス社から輸入した蒸気機関車(愛称・坊っちゃん列車)で、明治21年10月28日の運行開始以来67年にわたり活躍した。
当時総17台の機関車が、高浜線・横河原線・郡中線・森松線で活躍していたが、列車のディーゼル化、電化に伴い蒸気で走っていた坊っちゃん列車は路線上から姿を消した。
1号機関車の運転内部、非常にシンプルである。
伊予鉄道で活躍した蒸気機関車は1号~17号までありその内訳は下記の通り。
1号~6号・11号~14号まで伊予鉄道が直接ドイツ・クラウス社からの輸入。
7号~8号は:道後鉄道からの引継ぎ・イギリス製。(明治33年、道後鉄道を吸収合併)
9号~10号は:南豫鉄道からの引継ぎ。(明治33年、南豫鉄道を吸収合併・現在の郡中線)
15号~17号は:住友別子のものを引継ぎ・製作所不明。
館内の展示物。
夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのが、明治28年、小説「坊ちゃんの発行が明治39年(今から111年前)その後列車の愛称が「坊ちゃん列車となる」。
明治28年、(今から122年前)松山中学校に赴任する主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。
夏目漱石は今年生誕150年である。
伊予鉄道130年の遍歴年表。
伊予鉄道は、日本最古の軽便小鉄道として創設され当時のレール幅は762mmで、昭和6年5月1日、1067mmに変更し現在に至っている。JRの在来線が1067mm軌間である。
明治21年ドイツ・クラウス社から輸入した第1号機関車。
米一升4銭5厘の時代、2両で9700円もした高価な機関車であった。
昭和28年12月1日、立花駅を出発する横河原線、明治34年ドイツ・クラウス社から輸入した11号機関車。
左のホームが森松線。
昭和28年12月16日、石手川鉄橋を激走する12号機関車、明治34年ドイツ・クラウス社から輸入した。
市駅を発車すると石手川堤防の坂を登る、雨降りでレールが濡れていると機関車の動輪が空転し、一度バックをして勢いを付けて登る事もあった。
現在は、石手川鉄橋を利用した駅が設置されている。
森松線で現在の小野川に掛かる天山橋の手前を走行、左の道路は国道33号線、遠く後ろに松山城が見える。
煙の後ろあたりが四国電力天山変電所である。
森松線は、昭和40年11月30日廃線となる。
昭和28年10月2日、横河原線で、福音寺町にある「土亀山」から撮った画像。
土亀山は我が家の近くにある標高50mの山で、幼少時代画像の風景をよく見た懐かしい写真である。
朝夕の列車は画像の様に通勤、通学の乗客で何時も満員、先頭から3両目の客車は長いが、客車2両を改良して長くした。
昭和28年10月2日、横河原線で、福音寺町にある「土亀山」から撮った画像で、現在の小坂五丁目になる地点を走行。
朝夕の通勤・通学の時間帯は2列車編成で運行、機関車も後ろから押していた。
1列車編成は、貨車1両と客車5両編成。
市駅の車庫で待機する12号車と14号車で、14号機関車は、明治40年ドイツ・クラウス社から最後に輸入した機関車。
現在市内電車軌道を坊ちゃん列車、1号列車と14号列車2両が営業運転しているが、一番最初に輸入した機関車と最後に輸入した機関車が14台目であったので、1号車と14号車が運行している。観光客は、伊予鉄道・伊予松山にちなんで14号と命名して運行していると勘違いをしている方がいる。
4号機関車で、明治25年ドイツ・クラウス社から輸入した。
現在の柳井町3丁目の踏切を走行、踏切左側に英語で書かれた踏切表示板が設置してある。昭和20年11月にGHQが進駐しその指示で設置された。
平井駅を出て、平井鉄橋を渡る14号機関車で、昭和28年撮影。
小野川鉄橋を渡る森松線。現在は画像の左側に「伊丹十三記念館」がある。
昭和29年横河原線・森松線はディーゼル化された。
ディーゼル化された横河原線で横河原駅付近を走行する「DB-2型・ディーゼル機関車」。昭和36年撮影。
昭和40年11月30日、森松線廃止記念の犬釘。
昭和6年5月1日、高浜線電化記念レール文鎮。
全国で唯一の平面直角交差「ダイヤモンドクロス」を通過する高浜線(郊外電車)と14号坊ちゃん列車。
坊ちゃん列車は平成14年9月2日復元され市内電車の軌道を現在1号車と、14号
車が走っております。
伊予鉄道路線の遍歴。
伊予松山城下を市内電車と交差する「復元・坊ちゃん列車1号列車」場所は、松山市庁舎前。夏目漱石は坊ちゃん列車に乗り、下宿先の「愚陀仏庵・松山三越店南側」から道後温泉に毎日入浴に通った。
明治27年に道後温泉本館が再建されお客さん誘致のために道後鉄道が設立され、明治末期から大正初期まで道後駅が二つあった。明治33年、道後鉄道は伊予鉄道に吸収合併される。
大正8年立派な本社完成、田舎の鉄道会社としては大きな建物でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます