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新伊予松山紀行 松山八社八幡 8番社 阿沼美神社

2013年01月17日 | 伊予松山歴史散策
阿沼美神社は、松山八社八幡第8番目の神社で、旧社格は式内者、県社である。
祭神は、大山積命、高龗神、雷神である。
「予陽郡郷俚諺集」によると、松前城主加藤嘉明が勝山(今の松山城)に築城を計画し、普請奉行の足立重信、山下八兵衛が調査に来たとき、山頂に社があり、近くで薪を拾っていた老人に、この宮は何の神かと尋ねると、老人は、勝山八幡と言おうとして、勝たず八幡の宮と答えた。

不吉ではあるが、敵が城に向かって勝たずならば吉相、それに、往古よりこの山に鎮座している御神であり勿体ないとして、北の麓に遷して奉ったという。

また、西の尾根にも社があり、老夫に尋ねると、越智郡の三島より勧請した三島明神であるという。これは吉祥であるとして、西の山の下味酒村へ遷座して祀った。のちに味酒大明神と呼ばれ、味酒神社と改称された。現在の阿沼美神社である。

嘉明の後を受けた第2代松山城主蒲生忠知は、勝山八幡神社を三宝寺とともに今市町に移したという。そして、明治8年(1875)勝山八幡神社は、味酒神社(阿沼美神社)の末社として境内に移ったといわれている。現在境内に勝山八幡神社の社がある。

また、10月に行われる松山秋祭りには、境内で八角、四角の神輿が壮烈な鉢合わせが行われる。その昔、八角は町方衆が担ぎ、八角は村方衆が担いだといわれている。

松山市内の秋祭りの時期(多くの神社が10月7日に神幸祭がある)には、三橋美智也の神輿音頭が各所で流されており、歌詞に四角、八角の鉢合わせが歌われている。

昭和43年10月7日、宮司さんの許可を得て、拝殿の屋根に上げて頂き四角、八角神輿の鉢合わせを撮ったが探してもフイルムが出てこない。


神社の所在は、松山味酒三丁目1番1に位置する。
画像は、神社入口にある神社注連石で正面には何も揮毫がない。


この神社の注連石は内側に揮毫がある。珍しい注連石である。明治16年とある。


注連石を潜ると、社号碑があり「式内阿沼美神社」と揮毫されている。


画像は、境内で八社八幡に中では一番広い社である。


そして拝殿で参拝、市内の企業社員が初詣に来ていた。


画像左に見える小さな社、右側が、勝山八幡神社の社である。


八社八幡に中で唯一の稲荷大明神がある。


境内に、松尾芭蕉の句碑が建立されている。
「さまざまの事 思い出す 桜かな」
この句は、元禄元年(1688)芭蕉が、奥の細道の旅に出る一年前、故郷の伊賀の国に帰省した時に詠んだ句である。時に芭蕉45歳。
現代語訳すれば、「探丸子の君が上野の下屋敷で花見の宴を開かれたのに招かれて行けば、そこは昔の宴もさながらにて」というほどの意味になる。
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