EEKの紀行 春夏秋冬

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昭和20年7月26日、松山大空襲から69年

2014年07月28日 | 伊予松山歴史散策
日本中が度重なる空襲と艦砲射撃、機銃掃射を受け、大都市から小さな街まで焼け野原になった69年前、昭和20年7月26日、忘れられぬ熱い夏がやって来た。
昭和12年に起きた慮溝事件に始まった日中戦争、やがてアジア全域を巻き込んだ太平洋戦争へ突入する引き金となった。何故太平洋戦争が起きたのか。それには複雑な背景と要因があるほか、歴史的、政治的いろいろ諸説が入交答えは見えない。国内では軍部の暴走一方では国際的には戦争へと日本が追い込まれた。石油や鉱物資源が乏しい日本は輸入に頼るしかなかった。当時最大の依存先であった米国は、中国やインドシナでの日本の展開を封じ込める外交手段として対日輸出禁止に踏み切り日本を追い詰めた。日本が戦争を始めた理由は単に軍国主義だったから、軍事的解決を目指しただけでは説明がつかない。戦況は次第に悪くなり、ついに日本本土無差別爆撃、普通に当たり前に生活をしていた一般市民を巻き込む悲惨な結果となり、お粗末な無条件降伏と言う最低の戦争終結となった。日本は未だに戦争の総括を国民に示していない。我々国民に本当の歴史教育を行っていない。韓国と中国と歴史問題で何時もいやな思いをしている。これは何故か??
今、松山である団体が平和展を開催している。先日見学に行ってみた。その画像である。


松山市総合コミセンで平和展が開催中。


















昭和20年7月26日午後11時08分から始まった松山大空襲約2時間、B29重爆撃機が焼夷弾投下して一瞬の内に焼け野原となった松山の街。立花橋から県庁方面を望む光景、残った建物は鉄筋コンクリート造りだけ。
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