EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私の散歩道・春夏秋冬・令和元年も紫陽花の季節が来ました

2019年06月17日 | 伊予松山歴史散策

令和元年6月、紫陽花の季節がやって来ました。

紫陽花にも開花宣言がある事は一昨年知り、観測用の標本木は、松山地方気象台敷地内にある事が判明しました。
梅と染井吉野桜の観測用の標本木がある場所は知っていますが、紫陽花は何処にあるのか知らなかったです。
さて、令和元年、松山地方の梅雨入りは未だで、今年は降雨が少ないので市民の飲料水、地下水位がさがり企業局では減圧し家庭に給水しているそうです。

昨日、私の散歩道に紫陽花があり写真を撮って来ました。
私が歩く川付川の北岸堤防に沿って道があり、その堤防に沢山の紫陽花を植栽されましたが、手入れが悪く殆どが枯れてしまい、現在は、元気な紫陽花数本しか残っていません。
今年地区の団体が画像の様な標識を付けて植栽しました。
今回、新たに天山神社の参道石段のそばに植栽してある紫陽花紹介します。

私の散歩道は、川付川の北側堤防にある道ですが、そこには画像の標識が掲示してあります。

川付川とは、一級河川重信川の支流で、石手川がありその支流に小野川があります。
伊丹十三記念館前で、小野川と合流する河川です。

松山地方は未だ梅雨入りしておりませんが、一昨日(6月15日)は梅雨入りしたかの様な降雨で、松山地方は大雨注意警報が発令されましたが、午後5時過ぎ解除されました。気温が低く寒気を感じる一日でした。

紫陽花に雨が良く似合いますが、昨日は降雨が激しく写真は撮れなかったです。

私の散歩道です。左手の木々はソメイヨシノ桜で開花すると素晴らしい風情の散歩道になります。
この道は、殆ど車は通らないので安心して歩けます。
左に天山があります。

元気な紫陽花が数本残り元気に花を咲かせています。

秋には紅葉して綺麗な散歩道と変身します。

川面では鳥が飛来し、水浴びをします。

30年前篤志家が小野川に私費で鯉を放流しました。水の浄化の為にそれが繁殖して川付川にも広がりおかげで水質浄化に鯉たちは働いています。・・ボウフラが湧きません。

川付川は、伊丹十三記念館前で小野川と合流し石手川に合流して、1級河川重信川に流れ瀬戸内海に流れ込みます。

伊丹十三記念館前の川付川北側堤防に画像の掲示板が掲示してあります。

平成30年7月に発生した「平成の大水害・西日本豪雨」で崖崩れのおそれありとして松山市石井地区に避難勧告が発せられた。

その場所は、松山市天山町にある天山神社参道石段両サイドでした。
昨年、12月から崖崩れ防災対策工事が行われ2月22日工事は完了しました。

工事前には沢山の紫陽花がありましたが工事の為多くの紫陽花が無くなりました。

この山は、天から降り下りて来る時、途中で二つに分かれ、一つが奈良県橿原市の天香具山、もう一つが松山市天山町のこの天山で由緒あるやまです。

社号碑「天山神社」の揮毫は、明治の書家「三輪田米山」の筆です。

昨年12月から、崖崩れ防災対策工事が行われ今年2月22日工事は完了しました。

その翌日から毎日足腰を鍛えるために天山神社の115段の石段を登っています。雨天以外の日に。
115段の石段は、勾配もかなりあり結構きつく体力維持に役立ちます。

天山神社参道石段両サイドの紫陽花は、参道入り口にお住いの安永さんが植栽され、珍しい紫陽花があります。

先日、天山神社に参拝に徳島市から来ましたと言う30代前半の若い男性に遭遇、天山は、奈良県の天香久山と姉妹の山で由緒ある山であるとの事で来ましたと言われた。私の知る範囲で天山の概要を説明し、近くに鎌倉時代に起きた宮方と幕府側との戦いがあった古戦場跡がある事もご案内すると是非行ってみたいとの由、同行しご案内しました。

山頂にある天山神社は、松山市南久米町にある明治の書家、三輪田米山の生誕地である日尾八幡神社の末社です。

天山神社参道石段両サイドの珍しい紫陽花。

天山神社参道石段両サイドの珍しい紫陽花。

標高52mの天山山頂には、天山神社が鎮座され拝殿周囲は、篤志家の方が毎日清掃をされ綺麗に保たれています。

境内には、天野香具山のある、奈良県橿原市南浦町と、伊予の天山のある松山市天山町の皆さんが、天からの山をご縁で町民交流が始まり記念に「交流20周年記念」が建立されている。

天野香具山のある、奈良県橿原市南浦町と、伊予の天山のある松山市天山町の皆さんが、天からの山をご縁で町民交流が始まりました。その新聞記事です。(読売新聞奈良版)

天山山頂から見た松山城天守で、天山から見る松山市が一番綺麗に見えます。

松山城築城地は3候補地が挙げられ、加藤嘉明は徳川家康に3候補地を提示し築城地の許可を申請した。
その結果第2候補地の勝山に築城許可が下り現在の松山城を築城したと言う逸話がある。

築城第1候補地が天山であった。

天山神社の麓にお住いの、元松山俳句協会の会長をされていた相原さん宅の庭に珍しい紫陽花があり撮影させて頂きました。

 

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