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松山市内の銅像巡り8 木子七郎 像

2014年05月13日 | 伊予松山歴史散策
木子七郎 像

木子 七郎(きご しちろう)、明治17年4月30日、宮内省の技師、木子清敬の四男として京都に生まれ、明治44年東京帝国大学建築学科を卒業し、大林組設計部技師として大正末期から昭和初期にかけて大阪を拠点に、多くの公共建築などを手がけた建築家。
大正2年大林組を退職し、木子七郎建築事務所を開設、一時期新田帯革製造所に席を置いていた。仏のレジオン・ドヌール勲章受賞。
奥さんのカツさんは、東洋一のベルト王と言われた、新田長次郎(松山大学創設者・新田帯革製造所・現ニッタの創始者)の娘さんで、愛媛県に多くの名建築を残した。
松山市内の建築物として、昭和4年の設計、愛媛県庁本館、石崎汽船本社(松山市三津)、萬翠荘、(大正11年)、旧松山藩主の子孫、久松定謨、(伊予松山藩主の松山の別邸)、伊予絣の創案者鍵谷カナの頌功堂(しょうこうどう)(松山市垣生)、松山高高等商業学校新校舎、などがある。県外でも多くの建築物を設計しているが、その中でも新潟県庁舎を設計している。


萬翠荘二階に設置されている木子七郎のブロンズ像。


木子七郎のブロンズ像、角度を変えて。


木子七郎ブロンズ像台座には、作者の藤原白男の銘が書かれている。


萬翠荘は、萬(よろず)翠(みどり)荘(やかた)、松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅、と言う意味で、建築は、大正11年、旧伊豫松山藩主の子孫に当たる、久松定謨伯爵が、松山の別宅として建築。構造は、鉄筋コンクリート造り、地下1階、地上3階、面積268坪で設計者は、愛媛県庁舎を設計した木子七郎。
平成23年11月29日、国指定重要文化財に指定された。
特記事項は、昭和20年7月26日の松山大空襲時に、ここは意図的に残したと言われている。GHQが進駐時には、司令官の宿舎として使用するためだったとか?、萬翠荘には、もう一つ特記がある。それは、建築中、大正11年11月15日、松山で陸海軍の大演習が決定その大演習を摂政宮(後の昭和天皇)が観閲のため来松決定した。萬翠荘は、摂政宮様の宿舎とするため急遽突貫工事で完成した建物として有名である。


萬翠荘で、坂の上の雲博物館3階から撮影。


愛媛県庁舎で、昭和4年の建築。設計は、木子七郎。全国の県庁舎で第三番目に古い建物。
愛媛県庁本館は、昭和4年2月9日竣工で、工期は、昭和2年11月11日~昭和4年2月9日、明治6年に愛媛県誕生後、第4代目庁舎である。
現在全国の都道府県庁舎で、知事が執務する庁舎としては全国で3番目に古い庁舎で、大阪府庁本館、神奈川県庁本館そして愛媛県庁舎である。


新潟県庁舎、昭和7年竣工で、先代庁舎(現存しない)。設計は、木子七郎で愛媛県庁舎と比べるとよく似ている。4階上塔屋「ドーム会議室」が有る無しの違いで、正面玄関と左右対称の構えで、空から見ると鳥が翼を広げた形で、どっしりとした中にも優しさと美しさがある。格調の高い建物である。
昭和57年に老朽化に伴い解体、新光町に現新潟県庁舎は建設された。


石崎汽船の本社社屋。
関東大震災の翌年、大正13年に竣工した石崎汽船の本社社屋で、建物は、耐震防火を考慮し、当時としては画期的な鉄筋コンクリート造りを採用、2階建で正面は左右対称形、外壁は白色タイル張り、腰人造石洗出し、玄関上に小柄なバルコニー手摺りを張り出し、単純なレリーフをあしらっている。内部一階は高い天井と大理石貼りのカウンターが人目を引く。当初はエレベータを付けることや窓まわりは鉄枠とすることで計画されていたが、予算の都合で実現していない。所在は、松山市三津一丁目4番9号、設計:木子七郎、竣工年:大正15年。国登録文化財(建造物)平成13年4月24日登録。


鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)、国の登録有形文化財、設計:木子七郎。
伊予絣創始者の鍵谷カナの功績を後世に伝えるため、伊予織物同業組合が昭和4年に建てたもので、愛媛県庁なども設計した木子七郎が手がけた、鉄筋コンクリート造の八角堂。中央に頌功碑を納めており、8本の柱と斗組により反りの強い本瓦葺八角屋根を支える特徴的な姿形で、平成13年国の登録有形文化財となっている。平成13年3月27日に発生した芸予地震、震度6強の被災で少し破損した。国の登録有形文化財、指定、平成13年8月28日登録、所在地・所有者、松山市西垣生町 長楽寺。


大正13年3月竣工した、松山高等商業学校校舎(現・松山大学)で、松山で二番目の鉄筋コンクリート造り、設計は木子七郎、現存しない。
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