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石手川散策 1

2011年10月10日 | 伊予松山歴史散策
石手川散策 1

久しぶりに石手川を散策した。
石手川は、以前湯山川と称し暴れ川でよく氾濫を起こし流域は農作物等栽培の出来る土地ではなかった。
加藤嘉明は慶長5年(1600)9月15日関ヶ原の戦いで徳川家康軍に組しその戦功を認められ20万石の大名として伊予国に封じられた。それまでの松前城で手狭となり慶長7年(1602)1月15日に伊予松山城築城を開始した。

加藤嘉明は、慶長5年に普請奉行足立重信に湯山川の改修を命じ流れを現在の石手川に造り変えると共に同時に新田開発も行い河川名も湯山川から石手川と改名した。竣工したのは慶長12年であった。
しかしそれでも梅雨時期や台風襲来時にはよく氾濫し住民達は松山城三之丸土塁に上がり非難した。・・伊予松山藩の穀倉地帯も被害が出ていた。

享保8年(1723)第5代伊予松山藩主 松平定英は伊予西条の土木技師大川文蔵に石手川の氾濫をなくするために大改修を命じた。
文蔵は、氾濫の原因は土砂の流出、堆積による河底の浅いこと、かつ河幅が広すぎる等々が原因と考え、文蔵は河幅を減じ水勢を高めなお河底を深くしてそれまで存在していた鎌投げ(鎌出ともいう)を廃止河身に直線的に突き出す曲出しを採用した。

文蔵の苦心の改修工事で石手川は一新し、その後大雨による被害が無くなった。
現在の石手川はその時改修で完成したものである。

なお、石手川の堤防は右岸の堤防が広く、左岸の堤防は少し狭い、これは何を意味するのか??もしかして、右岸の堤防が決壊すると松山藩の穀倉地帯、城下町(武家屋敷、町家等々)があるため被害を無くす為に左岸の堤防を狭くしたのか??そのような文献、記述は残ってない。謎である。

散策は、石手川(湯山川)が改修されたとされる岩堰から立花橋まで散策したその間の画像である。
次は立花橋から重信川に合流する出合いまでを散策します。


松山市石手一丁目2番に掛かる赤い橋「岩堰橋・いわぜき」この地点から石手川(当時湯山川)の付け替え大工事が始まった。時は慶長5年であった。青く澄み切った水鯉が沢山泳いでいた。


この地点の両岸は硬い岩盤で工事も難工事だったのでは!!


両側が岩盤から少し下流になると、人工で造られた堤防敷になっている。そして河幅も広くなる。
改修前の流路は遍路橋から湯築城跡南を通り持田の中央を流れ、今の二番町から八股に出て三番町の妙清寺辺を通り、吉田浜に流れ瀬戸内海に流れていた。


この地点から川幅が広くなり左右堤防が人為に造られている。

松山市石手一丁目2番の岩堰橋の南袂に秋山好古が揮毫した石碑がある。
碑 文 :  藤岡 翁 頌功碑 
石碑の由来:藤岡 勘左衛門は、嘉永5年10月2日・末広町、勘三郎の子で伊予鉄道会社創業に参画し、松山商工会を起し会長に推され、銀行の創始・市場の開設・伊予がすりの販路の拡張に努める等地方の実業界の発展に尽くした。また趣味多く、茶花道・謡曲・調理・和歌俳句を楽しみ、石手川の岩堰遊園地を開き晩年好んでここで遊んだ。昭和3年12月没76歳 湊町円光寺に葬られた。



直ぐ傍には四国88ヶ所霊場第51番札所石手寺がある。
ミシュランガイド日本編一つ星に選定されている。
石手寺入口の川に綺麗な水が流れているがこの水も石手川から取水した水である。


四国88ヶ所霊場第51番札所石手寺本堂前広場、88ヶ所の内一番多くの参拝者がある名刹。


中村橋から水路を撮りました。雨の少ない時期は枯れ水路ですが、今年は台風12号の雨で上流にある石手川ダムが満水なので少し放流している為水が流れている。
ここから見ると水路、堤防敷、堤防、天端、堤防の川裏の法面、川表法面がよく分かる。


鎌なげ・鎌出しとも言う
足立重信が考案した水流を和らげる工法「鎌なげ・鎌出しとも言う」が唯一残っている。平成18年に撮影したが現在は草に覆われて殆ど見えない。場所は、湯渡橋の直ぐ下流で右岸にある。地元の歴史研究会が説明版を設置している。


立花橋袂右岸にある橋名板「立花橋」明治22年4月に立花橋を掛けて時の石柱(橋名板)で4つある。
橋には両岸に二つずつあるがそれを保存している。
河川敷公園の画像を


大正3年(1914)松山市は、新立橋から末広橋までの右岸堤防を公園として開設し、昭和3年(1928)左岸を編入し石手川緑地と改めた。
昭和37年(1962)から都市公園として順次整備され今では、岩堰橋から市坪橋にまでを緑地公園として整備して市民に開放した。
昭和20年7月26日松山空襲で住居を焼失した市民のため公営住宅が河川敷に建築されたが現在は郊外に移転されている。
次は、石手川散策2として立花橋から市坪橋を経由して重信川に流れ込む出合いまでを紹介する。出合いには正岡子規の句碑がある。
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