山中城から見た富士山が素晴らしかったので、もう一つ私が感動した富士山を撮ってますので見て下さい。
平成19年5月16日静岡市葵区羽鳥の洞慶院境内にある「秋山好古揮毫の:忠魂・愛馬追悼碑」の写真取材に行ったとき富士山一周をした。その画像である。
松山市から車で行きましたが静岡県に入ってから幾ら走行しても静岡県、長かった。
以前から一度は富士山一周を車で回ったみたい願望がありいい機会が出来たので石碑の写真を撮り終わり、御殿場から左回りで走行した。16日夕方から天候は悪くなり、翌17日は早朝から雨天、朝霧高原で雨は止んだが以前富士山は雲の中、翌18日虫の知らせか早朝4時に目が覚めた。カーテンを開けてびっくり今回富士山を見ることが出来ずあきらめていたが夜明けの富士山が出迎えてくれた。
早速カメラを取り出し撮った。刻一刻と表情が変わる富士、ちょっと古い画像ですが見て下さい。
撮影場所は:静岡県富士宮市佐折。4月20日頃と、8月20日頃に、田貫湖では、山頂から日が昇りダイヤモンド富士になるそうです。
午前4時37分撮影の富士、ここ田貫湖畔は絶景の富士山撮影場所で多くのカメラマンが撮影に訪れるそうです
午前4時39分撮影
午前5時02分撮影一羽の鳥が飛んで来て湖面を気持ちよく泳いでいた
午前5時16分、少し東の空が明るんで来た
午前5時20分中腹に太陽が出た・・時期が4月20頃であれば山頂に太陽が出てダイヤモンド富士になるそうだ・・今回は5月18日変形のダイヤモンド富士・・それでも見えないよりはいい・・湖面も風が無く穏やかでダブル富士が撮れた・・ラッキー
午前5時21分、湖面に弱風が吹き富士が揺らいだ
午前5時23分変形ダイヤモンド富士確認・・日差しが強くなりレンズにこんな模様がでた
午前5時25分少し露出を絞り撮ってみた・・山中城から見た富士と違った富士でした
午前8時30分小鳥が飛来してきて、よかったねいい富士山が撮れた様子で・・ご苦労さん言ってくれた感じ
午前9時24分、スッカリあたりは明るくなり富士山は霞んでいた・・手前はの建造物は富士山観賞と撮影者の為に作った見学施設
静岡市葵区羽鳥・洞慶院にある秋山好古揮毫の石碑「愛馬追悼碑」で建立者は、好古の部下であった、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級・三浦金蔵氏。旧陸軍には、歩兵・騎兵・工兵・砲兵の四科あった。騎兵隊は馬の管理が大変であった。日露戦線終了後日本内地に引き上げる時将校達の軍馬は連れて帰ったが、多くの軍馬は祖国の土を踏む事が出来なかった。戦闘中亡くなった軍馬、一部の軍馬は、支援を得た馬賊に御礼として差し上げたとか??だから騎兵隊の皆さんは自宅で馬を飼い家族同様に可愛がったそうです。三浦金蔵さんもそのお一人、秋山好古も大正13年故郷の松山「北豫中学校校長」に帰るまで東京の自宅で馬を飼っていた。
平成19年5月16日静岡市葵区羽鳥の洞慶院境内にある「秋山好古揮毫の:忠魂・愛馬追悼碑」の写真取材に行ったとき富士山一周をした。その画像である。
松山市から車で行きましたが静岡県に入ってから幾ら走行しても静岡県、長かった。
以前から一度は富士山一周を車で回ったみたい願望がありいい機会が出来たので石碑の写真を撮り終わり、御殿場から左回りで走行した。16日夕方から天候は悪くなり、翌17日は早朝から雨天、朝霧高原で雨は止んだが以前富士山は雲の中、翌18日虫の知らせか早朝4時に目が覚めた。カーテンを開けてびっくり今回富士山を見ることが出来ずあきらめていたが夜明けの富士山が出迎えてくれた。
早速カメラを取り出し撮った。刻一刻と表情が変わる富士、ちょっと古い画像ですが見て下さい。
撮影場所は:静岡県富士宮市佐折。4月20日頃と、8月20日頃に、田貫湖では、山頂から日が昇りダイヤモンド富士になるそうです。
午前4時37分撮影の富士、ここ田貫湖畔は絶景の富士山撮影場所で多くのカメラマンが撮影に訪れるそうです
午前4時39分撮影
午前5時02分撮影一羽の鳥が飛んで来て湖面を気持ちよく泳いでいた
午前5時16分、少し東の空が明るんで来た
午前5時20分中腹に太陽が出た・・時期が4月20頃であれば山頂に太陽が出てダイヤモンド富士になるそうだ・・今回は5月18日変形のダイヤモンド富士・・それでも見えないよりはいい・・湖面も風が無く穏やかでダブル富士が撮れた・・ラッキー
午前5時21分、湖面に弱風が吹き富士が揺らいだ
午前5時23分変形ダイヤモンド富士確認・・日差しが強くなりレンズにこんな模様がでた
午前5時25分少し露出を絞り撮ってみた・・山中城から見た富士と違った富士でした
午前8時30分小鳥が飛来してきて、よかったねいい富士山が撮れた様子で・・ご苦労さん言ってくれた感じ
午前9時24分、スッカリあたりは明るくなり富士山は霞んでいた・・手前はの建造物は富士山観賞と撮影者の為に作った見学施設
静岡市葵区羽鳥・洞慶院にある秋山好古揮毫の石碑「愛馬追悼碑」で建立者は、好古の部下であった、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級・三浦金蔵氏。旧陸軍には、歩兵・騎兵・工兵・砲兵の四科あった。騎兵隊は馬の管理が大変であった。日露戦線終了後日本内地に引き上げる時将校達の軍馬は連れて帰ったが、多くの軍馬は祖国の土を踏む事が出来なかった。戦闘中亡くなった軍馬、一部の軍馬は、支援を得た馬賊に御礼として差し上げたとか??だから騎兵隊の皆さんは自宅で馬を飼い家族同様に可愛がったそうです。三浦金蔵さんもそのお一人、秋山好古も大正13年故郷の松山「北豫中学校校長」に帰るまで東京の自宅で馬を飼っていた。
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