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「子規記念博物館前~石手寺山門前」歩道完成

2012年03月01日 | 伊予松山歴史散策
県道187号線「子規記念博物館前~石手寺山門前」は、道後温泉から石手寺を観光散策によく使う道路である。しかしこの県道には歩道が完備されてなく危ない道路であった。
交通量も多く、大型車が離合することもあるので危険であったがこの程歩道整備が完成し歩行者の安全が確保出来た。

昨日行ってみたが、人間国宝「高橋貞次」宅前から石手寺手前まで立派な歩道が完成していた。
これで観光者も、また地元市民も安心して歩く事が出来る。

そして何時も県外観光者に言われますが、句碑が建立してあった。・「松山は俳句の街ですね!!」・・裏返すと俳句だけの街で、良いのか!悪いのか!・・褒められているのか??嫌味なのか??・・です。
では画像を見て下さい。


浴場の建築物が国指定重要文化財に指定された第一号の「道後温泉本館」
観光者の皆さんはここを見て時間のある方は四国88ヶ所第51番札所「石手寺」を観光される


完成した県道187号線に造られた歩道・・立派な歩道が完成してました
そして大きな立派な句碑も建立されていた
送電線を地中に敷設するとすっきりとした観光道路になるのだが・・ここまでは考えなかったのか??


この沿線にある「人間国宝・高橋 貞次(たかはし さだつぐ、「明治35年(1902)4月14日~昭和43年(1968)8月21日」日本の刀匠、重要無形文化財保持者(人間国宝)愛媛県出身で 貞次は号であり、本名は金市の邸宅
刀匠としては愛媛県出身者で初めて、今日にいたるまで唯一の人間国宝である
受賞後の昭和34年(1959)、皇太子明仁親王(現・今上天皇)成婚に際して皇太子妃美智子(現・皇后)の守り刀を献上している


昭和40年(1965)礼宮文仁親王(現・秋篠宮)に至るまで、皇太子妃所生の皇男子の守り刀を鍛え続け 昭和43年(1968)8月21日、66歳で亡くなった
一時期外国人の内弟子がいたが現在後継者はいない・現在も玄関には看板が掲げられている


大きな句碑「御立ちやるか 御立ちやれ 新酒菊の花・・漱石
漱石が子規に送った送別の句、漱石は愚陀佛庵で一緒に過ごした52日間・東京に帰る子規を感無量の思い出見送った
漱石は子規と出会ってなかったら文豪夏目漱石の誕生はなかった


砂土手や 西日をうけて そばの花  升(子規)


分け入っても 分け入っても 青い山・・山頭火


以上のような史跡をみながら石手寺に到着する


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