久しぶりに涙するドラマを見た。それは「最後の忠臣蔵」である。12月になると必ず忠臣蔵が放映される。内容は殆ど決まっており違うのは出演する配役くらいである。殆どの内容は討ち入った義士達の切腹で終わる。残された家族の事はドラマになっていない。12月27日NHKで「最後の忠臣蔵」が放映された。
ドラマの内容は虚構であるが見ごたえのある物語であった。
最初の画面は、大石内蔵助良雄から討ち入りの生き証人として真実を伝える使命と、残された義士家族を探し訪ねて暮らしを助けてやってほしいと大石の命を受けた寺坂吉右衛門が最後の家族、茅野の家族を訪ね預かった金子を渡す画面から始まる。そして瀬尾孫左右衛門と出会う。このドラマの主人公は、瀬尾孫左右衛門、寺坂吉右衛門、そして大石内蔵助良雄の忘れ形見である可音である。ドラマの内容は、フィクションであるが、主に託されそれをともすれば挫折することがあるが、特に孫左右衛門と吉右衛門はいろんな苦難を乗り越えて成し遂げる意思の強さと忍耐力、不穏に思っていた孫左の16年間の真実、吉右衛門が初めて出会う可音に対して「元播州赤穂藩浅野家臣、寺坂吉右衛門でございます。」と名乗り出るところから最後まで鑑賞する側は、思わず涙の連続で、NHKはいいドラマを放映したと喝采を送りたい。久しぶりに感動をしたドラマに出会った。
最初に出てくる題字。
寺坂吉右衛門が16年の歳月を掛けて諸国に散った赤穂義士の遺族を探し訪ね歩いた。最後の茅野を訪ねて行くシーン。大石の密命を受けて。
茅野の墓標に参りして最後の報告。
大石の密命を受けて訪ねた茅野の妻に金子を渡し、義士打つ入りの始末を話し立ち去る。妻は金子を仏壇に備えつつ大石の後々までの心遣いに恐れ入る。
瀬尾孫左右衛門が雪深い山、赤子を大切に抱き歩いてくる。
大石内蔵助良雄から密旨を授かる瀬尾孫左右衛門、大石は孫左右衛門に其方の命、私に預けてくれぬか、京に戻り可留を助けてやって欲しいのだ。可留は病の身で俺の子を身篭っている、可留を守ってやって欲しいのだ。孫左其方の命我にくれ。・・そして当座の金子と大石内蔵助良雄が身に着けていた裃を孫左に渡し、名を変え姿を変え一命をもって可留様と生まれてくるお子を一命をもってお守り申します。この事は時が来るまで誰にも言うな赤穂の旧士にも身内にも、そしてこの裃は何時かの時に大石の家人の証しにせよと・・しかと心得ました。・・と主と別れ孫左の苦労が始まる。
この匂い袋で可音が可留の娘、大石内蔵助の忘れ形見であることが判明する。そして、瀬尾孫左右衛門が討ち入り前夜に姿を晦ました本当の理由を寺坂吉右衛門は知る。
可音が裏千家茶の稽古の終わりを待っていた寺坂吉右衛門が「元播州赤穂藩浅野家臣、寺坂吉右衛門でございます。」と名乗り出る。
可音は16年間大切に育ててくれた孫左の着物を仕立てる。大好きな育ての親であり、大好きな人でもあった。ある日父親が大石内蔵助であることを知り、孫左に迷惑の掛からぬよう嫁ぐのである。・・わが身はわが身であるが何処に身を置くべきかを自問自答する。
寺坂吉右衛門は、初めて大石内蔵助の密命を受け可留を助け、可音を育てた事を知り、涙を浮かべ孫左重き使命よく果たしたと讃えて帰る。この時可音はこれ以上孫左に迷惑を掛けてはならに事を承知し嫁ぐ事により孫左重責を解く。
可音は、16年育った家から茶屋家に出立する際、ゆう様にお世話になりました・・あとに残る孫左を頼みますと願って茶屋家に嫁ぐ。ゆう様とは(元、嶋原の太夫・ゆうぎり)で可音に、読み書き、躾、芸事武士の娘としての身だしなみ、全てを授けた恩人の一人、丁重なお礼を述べて出立する。
出立は、孫左一人の付き人であったが!!
大石家との遠縁に当たる家人の計らいで大勢の付き人とを従えて茶屋家に赴く。
可音が茶屋家に入っていく前に、振り返って、孫左右衛門に最後の別れを眼で送る。
孫左右衛門は、画面では言葉として聞こえないが「お幸せにおなりなさい。」といったと思う。可音は眼にうっすらと涙を浮かべ茶屋家に入って行った。
茶屋家での婚礼の儀式、用意された孫左右衛門の席には孫左居なく、寺坂吉右衛門は不思議に思う。
元、嶋原の太夫「ゆうぎり」は孫左が婚礼の席には参列せず帰ってくることを知っており、ゆうの自宅で細やかな祝いの席を作り二人で可音の婚礼を祝い、此れから孫左さんと生きて行きたい告白されるが、私は武士でござるとこれを断り。・・ゆうは、奥の部屋には布団を敷き孫左の返事を心待ちにしていたのだが、孫左は、茶屋家の前で可音と最後の別れをした時大石の下に行くことを決めていた。16年前に既に命は大石に預けた身の上なのだから!!
自宅に帰り、大石内蔵助と可留の位牌に向かって、仰せの通り可音様を武家でなく商家に本日嫁ぎました。・・と報告して主人である大石の下に行く、その時の姿は、大石内蔵助良雄から贈られた裃姿で切腹し旅立つ。異変を知った寺坂吉右衛門が馬で駆けつけるが既に遅し、介錯をしようとするが、介錯無用と告げる。吉右衛門は、これぞ最後の義士と深々と平伏して送った。吉右衛門はその後寺男として82歳まで生き抜いたと資料にある。
最後の場面も最高の演出であった。
ドラマの内容は虚構であるが見ごたえのある物語であった。
最初の画面は、大石内蔵助良雄から討ち入りの生き証人として真実を伝える使命と、残された義士家族を探し訪ねて暮らしを助けてやってほしいと大石の命を受けた寺坂吉右衛門が最後の家族、茅野の家族を訪ね預かった金子を渡す画面から始まる。そして瀬尾孫左右衛門と出会う。このドラマの主人公は、瀬尾孫左右衛門、寺坂吉右衛門、そして大石内蔵助良雄の忘れ形見である可音である。ドラマの内容は、フィクションであるが、主に託されそれをともすれば挫折することがあるが、特に孫左右衛門と吉右衛門はいろんな苦難を乗り越えて成し遂げる意思の強さと忍耐力、不穏に思っていた孫左の16年間の真実、吉右衛門が初めて出会う可音に対して「元播州赤穂藩浅野家臣、寺坂吉右衛門でございます。」と名乗り出るところから最後まで鑑賞する側は、思わず涙の連続で、NHKはいいドラマを放映したと喝采を送りたい。久しぶりに感動をしたドラマに出会った。
最初に出てくる題字。
寺坂吉右衛門が16年の歳月を掛けて諸国に散った赤穂義士の遺族を探し訪ね歩いた。最後の茅野を訪ねて行くシーン。大石の密命を受けて。
茅野の墓標に参りして最後の報告。
大石の密命を受けて訪ねた茅野の妻に金子を渡し、義士打つ入りの始末を話し立ち去る。妻は金子を仏壇に備えつつ大石の後々までの心遣いに恐れ入る。
瀬尾孫左右衛門が雪深い山、赤子を大切に抱き歩いてくる。
大石内蔵助良雄から密旨を授かる瀬尾孫左右衛門、大石は孫左右衛門に其方の命、私に預けてくれぬか、京に戻り可留を助けてやって欲しいのだ。可留は病の身で俺の子を身篭っている、可留を守ってやって欲しいのだ。孫左其方の命我にくれ。・・そして当座の金子と大石内蔵助良雄が身に着けていた裃を孫左に渡し、名を変え姿を変え一命をもって可留様と生まれてくるお子を一命をもってお守り申します。この事は時が来るまで誰にも言うな赤穂の旧士にも身内にも、そしてこの裃は何時かの時に大石の家人の証しにせよと・・しかと心得ました。・・と主と別れ孫左の苦労が始まる。
この匂い袋で可音が可留の娘、大石内蔵助の忘れ形見であることが判明する。そして、瀬尾孫左右衛門が討ち入り前夜に姿を晦ました本当の理由を寺坂吉右衛門は知る。
可音が裏千家茶の稽古の終わりを待っていた寺坂吉右衛門が「元播州赤穂藩浅野家臣、寺坂吉右衛門でございます。」と名乗り出る。
可音は16年間大切に育ててくれた孫左の着物を仕立てる。大好きな育ての親であり、大好きな人でもあった。ある日父親が大石内蔵助であることを知り、孫左に迷惑の掛からぬよう嫁ぐのである。・・わが身はわが身であるが何処に身を置くべきかを自問自答する。
寺坂吉右衛門は、初めて大石内蔵助の密命を受け可留を助け、可音を育てた事を知り、涙を浮かべ孫左重き使命よく果たしたと讃えて帰る。この時可音はこれ以上孫左に迷惑を掛けてはならに事を承知し嫁ぐ事により孫左重責を解く。
可音は、16年育った家から茶屋家に出立する際、ゆう様にお世話になりました・・あとに残る孫左を頼みますと願って茶屋家に嫁ぐ。ゆう様とは(元、嶋原の太夫・ゆうぎり)で可音に、読み書き、躾、芸事武士の娘としての身だしなみ、全てを授けた恩人の一人、丁重なお礼を述べて出立する。
出立は、孫左一人の付き人であったが!!
大石家との遠縁に当たる家人の計らいで大勢の付き人とを従えて茶屋家に赴く。
可音が茶屋家に入っていく前に、振り返って、孫左右衛門に最後の別れを眼で送る。
孫左右衛門は、画面では言葉として聞こえないが「お幸せにおなりなさい。」といったと思う。可音は眼にうっすらと涙を浮かべ茶屋家に入って行った。
茶屋家での婚礼の儀式、用意された孫左右衛門の席には孫左居なく、寺坂吉右衛門は不思議に思う。
元、嶋原の太夫「ゆうぎり」は孫左が婚礼の席には参列せず帰ってくることを知っており、ゆうの自宅で細やかな祝いの席を作り二人で可音の婚礼を祝い、此れから孫左さんと生きて行きたい告白されるが、私は武士でござるとこれを断り。・・ゆうは、奥の部屋には布団を敷き孫左の返事を心待ちにしていたのだが、孫左は、茶屋家の前で可音と最後の別れをした時大石の下に行くことを決めていた。16年前に既に命は大石に預けた身の上なのだから!!
自宅に帰り、大石内蔵助と可留の位牌に向かって、仰せの通り可音様を武家でなく商家に本日嫁ぎました。・・と報告して主人である大石の下に行く、その時の姿は、大石内蔵助良雄から贈られた裃姿で切腹し旅立つ。異変を知った寺坂吉右衛門が馬で駆けつけるが既に遅し、介錯をしようとするが、介錯無用と告げる。吉右衛門は、これぞ最後の義士と深々と平伏して送った。吉右衛門はその後寺男として82歳まで生き抜いたと資料にある。
最後の場面も最高の演出であった。
waveで検索してみると下記の通りです。
サイカチ(皁莢、学名:Gleditsia japonica)はマメ科ジャケツイバラ亜科[1]サイカチ属の落葉高木。別名、カワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記するが、本来「皁莢」はシナサイカチを指す。日本の固有種で本州、四国、九州の山野や川原に自生する。また、実などを利用するために栽培されることも多い。
樹齢数百年というような巨木もあり、群馬県吾妻郡中之条町の「市城のサイカチ」や、山梨県北杜市(旧長坂町)の「鳥久保のサイカチ」のように県の天然記念物に指定されている木もある。
waveより引用