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伊予松山城 春の兆し

2012年02月12日 | 伊予松山歴史散策
今日、松山城ガイド当番で香川県小豆島から来られた団体(26名)から予約があり松山城本丸を案内した。

その中に小豆島観光協会でガイドをしている方が居られお互いに奉仕活動とガイドのあり方について案内をしながら話もした。
今日の松山は雲ひとつ無く無風の絶好の観光日和であった。
明日から天気は下り坂と予報が出ている。

松山城では、四季桜・白梅が開花しており松山では春の兆しを感じた。
註:シキザクラ(四季桜)はバラ目バラ科サクラ属の植物。桜の園芸品種。狂い咲きでない状態で、年に二度開花する。エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。
花が4月上旬頃と10月末頃の年二回開花する。花は五枚一重で薄く淡い紅色。
春は開花と同時期に新芽も芽を出し、一方秋は自らの葉が落ちる時期に開花する。また、春のほうが花は大きくなる。・・と資料にはある。


画像は伊予松山城本丸、戸無門下の隘路の風景で奥に天守を望む、今日は好天候に恵まれ県外から多くの観光客が訪れていた。


雲ひとつない「日本晴れ」西日本最高峰「石鎚山・1982m」もくっきりとよく見えた。
このようによく見える時は天候が崩れると昔から言われているが、松山は明日から天気は崩れ午後から雨の予報。


一昨年7月12日松山地方は大雨に襲われ松山城も土砂崩れが発生し、愚陀佛庵が倒壊した・・崩壊した個所は先月復旧工事が完成、画像のような地形になった・・階段と手すりは管理用の施設で一般には利用出来ない。階段の下に見える更地が愚陀佛庵跡である。

愚陀仏庵とは、夏目漱石の下宿先で、明治28年正岡子規が病気のため松山に戻った際、52日間漱石と共に生活をし、弟子に俳句を手ほどきした場所とされている。昭和20年(1945)に戦災で焼失し、昭和57年(1982)に現在地(萬翠荘裏に)移転、復元された。 愚陀佛は漱石の俳号である。


松山城山頂ロープウエイ駅舎にある「四季桜」が咲いていた。
註:シキザクラ(四季桜)はバラ目バラ科サクラ属の植物で、桜の園芸品種。狂い咲きでない状態で、年に二度開花するそうです。エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられているとある。
花が4月上旬頃と10月末頃の年二回開花する。花は五枚一重で薄く淡い紅色
春は開花と同時期に新芽も芽を出し、一方秋は自らの葉が落ちる時期に開花する。
また、春のほうが花は大きくなる。・・と資料にはあるが、未だ2月なのに開花していた。


本丸広場の白梅が開花していた・・松山は春の兆し。


松山城山麓に事務所を構え多種多彩な活動をしている伊予松山芸子四人衆・・一人は4年生の大学を卒業しているインテリジエンスの芸子さん・・今日は松山城天守最上階で舞をご披露したそうです・・お疲れ様・・輝いていますよ!!


芸子四人衆のお名前・・玄関に掲示してある。


芸子四人衆の館でお抹茶も頂く事が出来ます。
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