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坂の上の雲画像で辿る軍郷の街習志野市大久保 2

2016年03月27日 | 伊予松山歴史散策


習志野が全国によく知られるようになったのは、日露戦争で秋山好古率いた秋山支隊の活躍によるものだといわれている。それから歴史は流れ最近では画像の人で再び習志野の知名度が復活した。
画像は、小川淳司さんで、平成22年~平成26年まで東京ヤクルトスワローズの監督を務めた。東京ヤクルトスワローズは、平成16年から秋季キャンプを松山で行っている。非常に優しい監督であった。松山のヤクルトスワローズ支援者を大切にする監督であった。


小川淳司、元東京ヤクルトスワローズ監督が高校時代、昭和50年・第57回全国高校野球選手権大会決勝戦で愛媛県代表の新浜商業高校と対戦し5対4で習志野高校が優勝した。その時優勝凱旋し習志野市大久保商店街をパレードした時の画像。愛媛県代表が松山商業であればなおよかったのだが・・


では、騎兵第14連隊跡地、現日本大学生産工学部構内に在る遺跡を同大学の許可を得て見分した。


日頃の日大正門は先ほどの画像であるが、平成25年10月30日、秋山兄弟生誕地の研究員を引率して行った時、「桜泉祭」と名付けられた大学祭が行われその準備で画像の様に正門は変容していた。
同大学では、毎年市民講演会を習志野騎兵史跡保存会が主催して同大学で開催され市民に開放されている。市民に溶け込んだ大学である。


正門を入ると画像の様に案内板が設置してある。


構内の一角には色んな記念碑や物体が置かれ騎兵第14聯隊を偲ぶことが出来る。記念碑が二つ並ぶ、左の小さな碑が、昭和8年に建立されたものが不明となっていたが昭和43年に発掘された本来の碑で、右はそれを昭和62年に復元したもの。


昭和8年に建立された騎兵第14聯隊記念碑。


この「騎兵第14聯隊発祥之地」の石碑で、昭和61年に建立された新しい碑です。
揮毫は元の竹田宮様、竹田恒徳さん。


昭和61年に建立された新しい碑の裏面です。


この馬のオブジェは、平成5年に騎兵第14連隊会が製作した馬が置かれていた。


第14連隊跡には沢山の記念碑等々がある中に、明治天皇の和歌の碑があった。

「人ならば ほまれのしるし 授けまし 軍のにはに たちし荒駒」


現在の習志野市学園大久保商店街で、毎日、中・高校生・大学生・先生学校の関係者が通う街、秋山好古顕彰碑を見て当時の歴史を振り返ってもらえれば幸いですと習志野騎兵史跡保存会代表、三橋さんは語られた。
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