平成24年1月27日、秋山兄弟生誕地に研修で来られた、福島県立双葉高等学校2年生第2班の皆さんです。
その節は研修に来て頂きありがとうございました。
東日本大震災から、3月11日で早10年が過ぎ去りました。
昨日のTVニュース特別番組を見て、復興が進んでいる地区と、未だこのくらいしか復興が進んでないのかと心を痛めました。
特に福島原発の処理が進んでいないのが気がかりです。
平成24年、中村時広愛媛県知事は、東北地方で被災された高校生の皆さんを愛媛県にお招きして、修学旅行支援として愛媛県教委が行いました。
その一つの学校が平成24年1月27日に、愛媛県立松山北高等学校の生徒さんが、福島県立双葉高等学校2年生の皆さんを案内して、秋山兄弟生誕地を訪れました。
福島県立双葉高等学校2年生の皆さんは5班に別れて、松山市内を研修されましたが、秋山兄弟生誕地には第2班30名がこられました
それから10年が経過し、当時の皆さん方は卒業され今は、立派な社会人とし各分野でご活躍のことと思います。
これからもお体にくれぐれも気を付けられ、東北震災復興のためにご活躍下さい。
画像は、平成24年1月27日秋山兄弟生誕地に研修に来られた福島県立双葉高校2年生の皆さんで、これからの画像はその時の回顧です。
秋山兄弟生誕地入口に歓迎表示版を掲げ出迎えました。
福島県立双葉高等学校2年生の皆さんをお迎えする表示板。
愛媛県には、平成24年1月25日来県、3泊4日の日程で研修・体験や松山観光を行い修学旅行の思い出を愛媛で行う、その一環として、秋山兄弟生誕地を訪問されました。
生誕地では、研究委員が温かく出迎え、秋山好古・眞之が育った経緯と二人の生き様を紹介しました。
画像は
出迎えの挨拶をする秋山兄弟生誕地の宇都宮良二運営委員長です。
天地無私の扁額を手にしている方が「藤島 寛昌さん」で、福島県立双葉高等学校の卒業生です。
秋山兄弟生誕地の運営役員として活動され、また大街道三丁目商店街の理事長として活躍されています。
福島県立双葉高等学校の生徒さんの研修は2班に別れて行いました。
秋山好古は安政6年1月7日、伊予松山藩士徒目付の家系で家禄10石の秋山久敬の三男として誕生、明治8年大阪師範学校(現・大阪教育大学)に入学、名古屋師範学校付属小学校の教師となる。先輩の和久正辰の強い勧めで陸軍士官学校を経て軍人になるも、大正13年故郷伊予松山からの強い要望により北豫中学校長(現・愛媛県立松山北高等学校)に昭和5年まで就任しました。
1班は裏庭に移動します。
2班は表の展示資料を研修、研究員が説明する事柄を熱心に聞き入っていました。
生誕地では、研究委員が温かく出迎え、秋山好古・眞之が育った経緯と二人の生涯を紹介しました。
裏庭の1班です。
整然と整列して、礼儀正しく研究員の説明を聞いていました。
研修見学に来られた生徒さんたちは、現在は卒業され社会人として色んな分野で活躍されていると思います。
くれぐれも、コロナ感染に気を付けて震災復興に尽力されて下さい。
松山からも応援しています。
平成17年1月17日、全国の秋山兄弟支援者の皆さんから頂いた醵金で、秋山兄弟生誕地の整備事業が完成し、同日NHKTVニュース番組「おはよう・日本」で全国放送されました。
同年1月18日から開館して一般公開しています。
秋山眞之は慶応4年3月20日が誕生日で、毎年3月20日(春分の日)に生誕祭を開催してまいますが、今年は秋山好古生誕祭(1月7日)がコロナ蔓延防止の為中止にしましたが、今年に限り3月20日に午前9時30分から規模を縮小し、秋山好古・眞之合同の生誕祭を、秋山兄弟生誕地で実施いたします。
秋山好古が162年祭・秋山眞之は153年祭です。