昨年、松山市「道後温泉」では、道後温泉本館改築120周年の大還暦を迎えそれを記念して「道後オンセナート 2014」を開催し、多くの観光客や市民が道後に来られた。
「最古にして、最先端。」温泉アートエンターテイメントをテーマに、温泉という地域資源にアートを取り入れることにより、「まち巡
り」の回遊性を作ることに成功し、新たな道後温泉の魅力を発信することが出来たと道後温泉関係者は語っている。
このように大きな成果を上げたことから、地元関係者や実行委員から継続開催の要望があり、松山市は行うことを決定した。
今回は、メインアーティストに写真家、映画監督である蜷川実花さんを迎え、「蜷川実花×道後温泉 道後アート2015」として、道後地
区を蜷川さんの作品で彩ることで新たな話題性と、情報発信に繋げていき、また、前年より続くプロジェクトとして、道後地区にあるホ
テルが参加する、宿泊対応可能なアート作品、ホテル ホリゾンタルのうち6つのホテル・旅館が継続して展開をしており蜷川実花さんを
メインアーティストに迎え、平成27年5月1日から10カ月の会期中に道後地区に様々なアート作品が展開されてます。スプレー菊を使
ったメインビジュアルと同柄のカラフルな浴衣と、椿のグラフィックを大胆に配置した2 パターンの浴衣がお目見え。道後温泉本館およ
び13の旅館で貸し出している。
貸し出し期間:平成27年7月末~平成28年8月31日まで。
昨晩(10月16日)道後温泉本館(国指定重要文化財・全国で初めて)が蜷川実花さんの作品が道後温泉本館2階・3階の障子にライトアップされた写真を撮りに行って来ました。
その画像です。
大正時代増築し正面玄関を現在の位置に変更した。
玄関暖簾が蜷川実花さん考案のものになってます。
正面玄関前で記念の写真を撮る観光者。
扁額「道後温泉」は、昭和25年6月5日、獅子文六が書いた「てんやわんや」の映画ロケの時道後温泉の証しとなる為に掲げた。揮毫は松山市出身の村田英鳳画伯で、現在の扁額は昭和61年に村田英鳳画伯による第2代目である。
午後7時過ぎでも花金で賑やかな道後温泉本館前。
蜷川実花さんの作品がライトアップされている。
この日松山は気温が高く夕焼けが終わり夜の帳を迎える。
すっかり日が落ち道後温泉本館、2階と3階に蜷川実花さんの作品がライトアップされくっきりと浮かび上がって来た。
蜷川実花さんがデザインした浴衣を着てライトアップを見学、そして記念写真をとる観光に来た蜷川実花さんフアーンの女性。
道後温泉本館は、明治27年改築されたが、当時はこの方向が正面玄関であった。入口は、左から一の湯・二の湯・三の湯とわかれていた。
一の湯は、士族・僧侶、二の湯は、婦人用、三の湯は、一般男性に分けていた。
三階部分を拡大して。
これも、三階部分を拡大して。
本館最上部にある振鷺閣、その上に白鷺が止まっている。正面を向いて、本館改築には莫大な費用が掛かり道後町議会は反対したが、町
長、伊佐庭如矢は、猛反対を押し切り、100年後の道後地区の発展の核となるため改築した。そして振鷺閣の建設にも経費節約として反対があったが道後温泉本館のシンボルとして造った。表向きの理由は、町の安全を確認する火の見櫓としてを町議会を説得して建設した。
当時としては破格の総工費、135,000円、振鷺閣は別費用で、15、000円であった。天井から太鼓が吊るされ時太鼓として現在は朝・夕6時に6回、昼12時の12回女子職員が時を告げている。
道後温泉は、傷ついた白鷺が飛んで来て傷を癒したのが始まり、それで振鷺閣の真上に鷺が正面を向いて置かれている。
道後温泉のシンボルは、白鷺と・湯玉である。本館の瓦、タオルにも湯玉があしらわれている。
時太鼓は、平成8年環境庁の「残したい日本の音百選」に選定された。
「最古にして、最先端。」温泉アートエンターテイメントをテーマに、温泉という地域資源にアートを取り入れることにより、「まち巡
り」の回遊性を作ることに成功し、新たな道後温泉の魅力を発信することが出来たと道後温泉関係者は語っている。
このように大きな成果を上げたことから、地元関係者や実行委員から継続開催の要望があり、松山市は行うことを決定した。
今回は、メインアーティストに写真家、映画監督である蜷川実花さんを迎え、「蜷川実花×道後温泉 道後アート2015」として、道後地
区を蜷川さんの作品で彩ることで新たな話題性と、情報発信に繋げていき、また、前年より続くプロジェクトとして、道後地区にあるホ
テルが参加する、宿泊対応可能なアート作品、ホテル ホリゾンタルのうち6つのホテル・旅館が継続して展開をしており蜷川実花さんを
メインアーティストに迎え、平成27年5月1日から10カ月の会期中に道後地区に様々なアート作品が展開されてます。スプレー菊を使
ったメインビジュアルと同柄のカラフルな浴衣と、椿のグラフィックを大胆に配置した2 パターンの浴衣がお目見え。道後温泉本館およ
び13の旅館で貸し出している。
貸し出し期間:平成27年7月末~平成28年8月31日まで。
昨晩(10月16日)道後温泉本館(国指定重要文化財・全国で初めて)が蜷川実花さんの作品が道後温泉本館2階・3階の障子にライトアップされた写真を撮りに行って来ました。
その画像です。
大正時代増築し正面玄関を現在の位置に変更した。
玄関暖簾が蜷川実花さん考案のものになってます。
正面玄関前で記念の写真を撮る観光者。
扁額「道後温泉」は、昭和25年6月5日、獅子文六が書いた「てんやわんや」の映画ロケの時道後温泉の証しとなる為に掲げた。揮毫は松山市出身の村田英鳳画伯で、現在の扁額は昭和61年に村田英鳳画伯による第2代目である。
午後7時過ぎでも花金で賑やかな道後温泉本館前。
蜷川実花さんの作品がライトアップされている。
この日松山は気温が高く夕焼けが終わり夜の帳を迎える。
すっかり日が落ち道後温泉本館、2階と3階に蜷川実花さんの作品がライトアップされくっきりと浮かび上がって来た。
蜷川実花さんがデザインした浴衣を着てライトアップを見学、そして記念写真をとる観光に来た蜷川実花さんフアーンの女性。
道後温泉本館は、明治27年改築されたが、当時はこの方向が正面玄関であった。入口は、左から一の湯・二の湯・三の湯とわかれていた。
一の湯は、士族・僧侶、二の湯は、婦人用、三の湯は、一般男性に分けていた。
三階部分を拡大して。
これも、三階部分を拡大して。
本館最上部にある振鷺閣、その上に白鷺が止まっている。正面を向いて、本館改築には莫大な費用が掛かり道後町議会は反対したが、町
長、伊佐庭如矢は、猛反対を押し切り、100年後の道後地区の発展の核となるため改築した。そして振鷺閣の建設にも経費節約として反対があったが道後温泉本館のシンボルとして造った。表向きの理由は、町の安全を確認する火の見櫓としてを町議会を説得して建設した。
当時としては破格の総工費、135,000円、振鷺閣は別費用で、15、000円であった。天井から太鼓が吊るされ時太鼓として現在は朝・夕6時に6回、昼12時の12回女子職員が時を告げている。
道後温泉は、傷ついた白鷺が飛んで来て傷を癒したのが始まり、それで振鷺閣の真上に鷺が正面を向いて置かれている。
道後温泉のシンボルは、白鷺と・湯玉である。本館の瓦、タオルにも湯玉があしらわれている。
時太鼓は、平成8年環境庁の「残したい日本の音百選」に選定された。