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紀行&散策を画像を交えた紹介です

日本100名城番外編紀行・杵築城&町並み散策

2014年06月27日 | 伊予松山歴史散策
江戸時代の風情が今なお残る杵築、杵築城を中心に南北の高台武家屋敷群があり、その谷間に商人の町が挟まれている。この様な凸凹のあるサンドイッチ型の城下町は、杵築だけだと言われている。
町が丸ごと江戸村の杵築に以前から一度散策してみたいと思っていた。
特に時代劇やTVドラマのロケによく使われ、志保屋の坂と反対側の酢屋の坂との塩梅が絶景である。
日出城址を散策してから車で約35分走行して、法務局横にある無料駐車場に車を置き、先ずは杵築城天守を訪れた。
杵築城は、室町時代応永元年(1394年)に木付氏によって木村城として築城、そして、松平氏入城後に「杵築城」3万2千石となった。
八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれ、台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害で、連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていた。
当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって城郭は損壊したため、台山北麓に居館が移され、天守は慶長13年(1608年)に落雷で焼失して以来再建されなかったが、現在本丸の天守台跡には3層の模擬天守が建てられ資料館として利用されている。
また、戦前戦後外務大臣を務め、昭和20年9月2日東京湾上に停泊の米国戦艦ミズーリ号甲板にて降伏文書に調印した重光葵、彼が学生時代暮らした屋敷がある。
そして全国初の「着物が似合う歴史的町並みに認定」された絶景の城下町で、軍師黒田官兵衛ゆかりの地でもある。


杵築の城下町絵地図が数ケ所に掲示してあり、散策中に今自分が何処にいるのかが直ぐ分るように配慮されている。私も絵地図を見ながら散策した。非常に利便性がある。


杵築と言えば、この画面である。
全国初の「着物が似合う歴史的町並みに認定」。南台武家屋敷、北台武家屋敷、商人の町周辺には電柱がなく(電線等々は地下に埋設)観光に配慮されている。


八坂川に掛かる錦江橋から見た杵築天守。


杵築城下町資料館南にある展望台からの杵築天守。


昭和45年建築された模擬天守で、内部は資料館となっている。


杵築城下町のメーインである、志保屋の坂。灯篭と石畳の坂道がとても風情を醸し出すいい所である。


志保屋の坂を上りつめて、ふと振り返ると向うに(南台武家屋敷)酢屋の坂が見える。良い景観である。


北台武家屋敷の通りで、この沿線に筆頭家老の大原邸や、能見邸がある。


北台武家屋敷にある杵築藩主、松平家の筆頭家老を務めた大原家、石高200石の屋敷門。


南台武家屋敷の「酢屋の坂」から見た筆頭家老の大原邸の裏で立派な土塀と大きな茅葺の母屋が良く見える。


筆頭家老の大原邸の隣にある、藩主の息子の能見邸宅で石高は300石、筆頭家老の大原は、200石だった。能見邸は、能見氏から建物を杵築市に寄贈され市は、7000万円を掛けて解体修復をした。


能見邸にある珍しい回転雨戸で、鹿児島県の知覧町にある武家屋敷にも回転雨戸があるが、仕組みが異なる。能見邸の回転雨戸の方が精巧である。


杵築城下を散策して感じたことは無料駐車場が沢山完備されていて車での観光者には大変ありがたい事である。私は市役所の駐車場を利用した。日曜日なのに利用できるよう配慮されていた。
コメント
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