祝・文化遺産登録「忠魂碑」
この度新潟市では、「新潟市民文化遺産制度」を創設した。江南区沢海にある、秋山好古が揮毫した石碑「忠魂碑」が4月に登録決定された。
制度の概要は、文化財保護制度(指定・登録)とは異なり、地域に根差している文化資源を広く拾い上げ、地域の文化的な遺産の認知度の向上と後世への継承する活動を支援することにより地域の活性化を図るものである。
地域に残る文化的な遺産が、その生い立ちにおいて本市または地域にとって重要でありまた生活の一部として継承されてきている以下の文化的な資源、以下の事項を市民文化遺産とする。・・とある。
1、建造物など、その技法や建造等に至る歴史的背景が貴重であり、地域の特色として認められている有形の地域遺産(例:建造物、旧跡、記念碑など)
2、古くから伝えられてきた芸能や風俗慣習などの生活文化や、地域又は本市を象徴する無形の地域遺産(例:風俗慣習、伝承芸能、伝統技術など)
次のいずれかに該当するもの
1. 郷土の歴史や文化を象徴しているもの
2. 世代を超えて地域で受け継がれ、今後も保存すべき貴重なもの
3. 地域の生活文化の特色を示しているもの
4. 地域の伝統行事等として親しまれ、今後も地域の活性化のために欠かせないもの
5. 本市の文化遺産として国内外に発信することで、文化創造都市づくりに寄与するもの
応募資格は、地域遺産を保存・継承している団体、又は地域遺産を活用した地域活性化を実践できる団体とある。
募集は、10月7日から11月18日まで。推薦を受けた文化遺産に対し、11~12月にかけて学識経験者により、候補の調査と審査が行われ、来年1月に「新潟市民文化遺産」として複数認定する。・・とある。
秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」が新潟市江南区にあり、横越地区から申請されることになったと連絡を受けた。現在好古揮毫石碑は、全国に51基発見されており、日本海側に発見された唯一の石碑である。現在も石碑の前で慰霊祭が行われている。
是非とも認定される事を切にお願いしたいと念じておりましたが、この度認定が決定されましたと新潟から連絡があった。松山市の秋山兄弟生誕地からお喜びとお礼に伺いたいと思っております。
参考までに:市民文化遺産制度を創設しているのは、岩手県遠野市と京都市そして新潟市が制定している。
文化遺産登録をされた「忠魂碑」を画像で紹介します。
秋山好古が大正2年新潟県高田の第13師団長時代に揮毫を依頼された石碑で、平成22年3月17日初めて取材に新潟市に行った時撮影した。立派な石碑である。
平成22年3月17日撮影、この石碑は、平成21年11月18日、新潟市江南区横越中央区在住の北方文化博物館理事、神田氏からの所在情報を得て現地取材をした時の画像。揮毫は秋山好古陸軍中将時代に揮毫した。建立は大正2年、全国で2番目に古い石碑で台座を含めて最大級である。
所在は、新潟市江南区沢海二丁目15番30号、日枝神社・・北方文化博物館の隣接にある。
平成22年9月5日撮影、新潟市二度目の訪問時に撮影。この時は慰霊祭の前日で献花してあった。
平成24年10月17日撮影、新潟市四度目の訪問時に撮影。松山市の秋山兄弟生誕地研究員の研修で引率しての訪問で、石碑の建立経緯を真剣に聞き入っていた。
平成22年9月5日撮影。北方文化博物館で開催された歴史講演会で、「秋山好古と横越の人々」と題して神田さんが講演された。秋山兄弟生誕地から私が代表としてお祝いに伺った。この時は松山から車で行った。
講演会に先立ち挨拶をされる北方文化博物館の佐藤専務理事さん。
平成22年9月6日、講演会の翌日開催されました慰霊祭その準備風景。
慰霊祭は何時も忠魂碑の前で祭壇を準備して開催されるが、この年(平成22年9月6日)は残暑が厳しく神社の拝殿で行われた。拝殿の直ぐ傍に忠魂の石碑がある。
画像は、平成22年9月6日、秋山好古揮毫「忠魂碑」の前で行われた慰霊祭に参列させて頂いた時の記念写真。
慰霊祭は、石碑が建立された大正2年から石碑の前で毎年開催されて来たが、太平洋戦争末期から中断されていた。しかし昭和27年4月28日サンフランシスコ講和条約が発布され日本の主権が回復された年から再び慰霊祭は復活現在に至っている。
忠魂碑は、画像で紹介しました通り、石碑を介して歴史講座の開催や、慰霊祭等々後世に伝え引き継ぐ活動がこの度認められて新潟市市民文化遺産登録されたものと私は考えております。
北方文化博物館の佐藤専務理事さんから送って頂いた冬の石碑の積雪状態。平成24年1月28日、佐藤専務理事さん撮影。
北方文化博物館の佐藤専務理事さんから送って頂いた雪に埋もれた石碑。平成24年2月11日、佐藤専務理事さん撮影。新潟市は積雪の少ない土地柄ですが、この年は大雪で久しぶりの大降雪、その画像を送って頂きました。石碑の台座まで積雪していて大雪が伺える。
忠魂碑石碑建立の記念碑。
第13師団長時代の秋山好古揮毫の忠魂碑。好古はこの時、陸軍中将でした。
好古は、伊予松山藩(親藩)出身者なので昇進が遅れていた。
この度新潟市では、「新潟市民文化遺産制度」を創設した。江南区沢海にある、秋山好古が揮毫した石碑「忠魂碑」が4月に登録決定された。
制度の概要は、文化財保護制度(指定・登録)とは異なり、地域に根差している文化資源を広く拾い上げ、地域の文化的な遺産の認知度の向上と後世への継承する活動を支援することにより地域の活性化を図るものである。
地域に残る文化的な遺産が、その生い立ちにおいて本市または地域にとって重要でありまた生活の一部として継承されてきている以下の文化的な資源、以下の事項を市民文化遺産とする。・・とある。
1、建造物など、その技法や建造等に至る歴史的背景が貴重であり、地域の特色として認められている有形の地域遺産(例:建造物、旧跡、記念碑など)
2、古くから伝えられてきた芸能や風俗慣習などの生活文化や、地域又は本市を象徴する無形の地域遺産(例:風俗慣習、伝承芸能、伝統技術など)
次のいずれかに該当するもの
1. 郷土の歴史や文化を象徴しているもの
2. 世代を超えて地域で受け継がれ、今後も保存すべき貴重なもの
3. 地域の生活文化の特色を示しているもの
4. 地域の伝統行事等として親しまれ、今後も地域の活性化のために欠かせないもの
5. 本市の文化遺産として国内外に発信することで、文化創造都市づくりに寄与するもの
応募資格は、地域遺産を保存・継承している団体、又は地域遺産を活用した地域活性化を実践できる団体とある。
募集は、10月7日から11月18日まで。推薦を受けた文化遺産に対し、11~12月にかけて学識経験者により、候補の調査と審査が行われ、来年1月に「新潟市民文化遺産」として複数認定する。・・とある。
秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」が新潟市江南区にあり、横越地区から申請されることになったと連絡を受けた。現在好古揮毫石碑は、全国に51基発見されており、日本海側に発見された唯一の石碑である。現在も石碑の前で慰霊祭が行われている。
是非とも認定される事を切にお願いしたいと念じておりましたが、この度認定が決定されましたと新潟から連絡があった。松山市の秋山兄弟生誕地からお喜びとお礼に伺いたいと思っております。
参考までに:市民文化遺産制度を創設しているのは、岩手県遠野市と京都市そして新潟市が制定している。
文化遺産登録をされた「忠魂碑」を画像で紹介します。
秋山好古が大正2年新潟県高田の第13師団長時代に揮毫を依頼された石碑で、平成22年3月17日初めて取材に新潟市に行った時撮影した。立派な石碑である。
平成22年3月17日撮影、この石碑は、平成21年11月18日、新潟市江南区横越中央区在住の北方文化博物館理事、神田氏からの所在情報を得て現地取材をした時の画像。揮毫は秋山好古陸軍中将時代に揮毫した。建立は大正2年、全国で2番目に古い石碑で台座を含めて最大級である。
所在は、新潟市江南区沢海二丁目15番30号、日枝神社・・北方文化博物館の隣接にある。
平成22年9月5日撮影、新潟市二度目の訪問時に撮影。この時は慰霊祭の前日で献花してあった。
平成24年10月17日撮影、新潟市四度目の訪問時に撮影。松山市の秋山兄弟生誕地研究員の研修で引率しての訪問で、石碑の建立経緯を真剣に聞き入っていた。
平成22年9月5日撮影。北方文化博物館で開催された歴史講演会で、「秋山好古と横越の人々」と題して神田さんが講演された。秋山兄弟生誕地から私が代表としてお祝いに伺った。この時は松山から車で行った。
講演会に先立ち挨拶をされる北方文化博物館の佐藤専務理事さん。
平成22年9月6日、講演会の翌日開催されました慰霊祭その準備風景。
慰霊祭は何時も忠魂碑の前で祭壇を準備して開催されるが、この年(平成22年9月6日)は残暑が厳しく神社の拝殿で行われた。拝殿の直ぐ傍に忠魂の石碑がある。
画像は、平成22年9月6日、秋山好古揮毫「忠魂碑」の前で行われた慰霊祭に参列させて頂いた時の記念写真。
慰霊祭は、石碑が建立された大正2年から石碑の前で毎年開催されて来たが、太平洋戦争末期から中断されていた。しかし昭和27年4月28日サンフランシスコ講和条約が発布され日本の主権が回復された年から再び慰霊祭は復活現在に至っている。
忠魂碑は、画像で紹介しました通り、石碑を介して歴史講座の開催や、慰霊祭等々後世に伝え引き継ぐ活動がこの度認められて新潟市市民文化遺産登録されたものと私は考えております。
北方文化博物館の佐藤専務理事さんから送って頂いた冬の石碑の積雪状態。平成24年1月28日、佐藤専務理事さん撮影。
北方文化博物館の佐藤専務理事さんから送って頂いた雪に埋もれた石碑。平成24年2月11日、佐藤専務理事さん撮影。新潟市は積雪の少ない土地柄ですが、この年は大雪で久しぶりの大降雪、その画像を送って頂きました。石碑の台座まで積雪していて大雪が伺える。
忠魂碑石碑建立の記念碑。
第13師団長時代の秋山好古揮毫の忠魂碑。好古はこの時、陸軍中将でした。
好古は、伊予松山藩(親藩)出身者なので昇進が遅れていた。