NHKが特別番組として『坂の上の雲』を平成15年から放映編成準備を重ね、諸問題を乗り越え平成21年11月29日から平成23年12月25日まで足掛け3年に渡ってNHKが放送したテレビドラマの特別番組であった。
登場人物の一人である「秋山好古」の生誕153年祭が昨日平成24年1月9日(成人の日)秋山兄弟生誕地で中村愛媛県知事・野志松山市長のご臨席を賜り厳かに行われた。
この日は、秋山兄弟武道場で、秋山兄弟柔道部・合気道部の道場開きも行い記念の餅つきを行った。偶然来館したお客さんに搗きたてのお餅を振舞い美味しく賞味する事が出来いい時に秋山邸に来たものだと喜んでいた。
NHK放映の坂の上の雲は終わったが全国の秋山フアンはその余韻を辿り坂の上の雲の街松山を散策されていた。
地元松山は元より、千葉県習志野市大久保・新潟県新潟市では「秋山好古と新潟の人びと・著者、神田勝郎氏」「秋山好古と習志野・著者、山岸良二氏」の書籍が刊行され両市では著者が講師になり有意義な講演活動を展開している。
註1:好古は、安政6年(1859)伊予松山藩徒歩目付け家禄10石取りの秋山家3男として、現 秋山兄弟生誕地に誕生した。
福沢諭吉の「学問のすすめ」に共感し青少年の教育推進に教育者を目指し大阪師範学校に学び卒業後、名古屋師範学校付属小学校に赴任したが、郷土の先輩、和久氏と名古屋鎮台山本武官の強い勧めで陸軍士官学校に入学し日本の騎兵隊を創設し、日本騎兵の父と言われた。
その後大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大元帥(大正天皇)は驚いた。未だかって元帥を辞退した者はいなかったからだ。大元帥は元帥を辞退した秋山大将に、特旨として官位従二位を与えた。
好古は、官位従二位を拝命し大正13年郷里の伊予松山からの要望に答え北豫中学校長として昭和5年3月まで本来の教育者として勤務し同年3月北豫中学校長を辞任し11月4日東京・陸軍軍医学校で永眠(享年72歳)現在東京青山霊園に眠っている。
註2:秋山好古の信条、「明瞭、簡単、質素、倹約、そして人は心穏やかで豊かであり、元気な間は、働くべき、仕事はその気で探せば幾らでもある」
画像は、秋山好古生誕153年祭の模様である。
秋山好古生誕153年祭を迎える秋山兄弟生誕地・・平成24年1月9日午前8時撮影
好古生誕153年祭に際し挨拶をする中村愛媛県知事、挨拶の内容が素晴らしかった・・
なお、武道場の舞台に飾られた好古カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街・三橋正文理事長様からの寄贈である
好古生誕153年祭に際し挨拶をする野志松山市長・・中村知事・野志市長になってから毎年知事・市長さん揃ってのご臨席である
生誕祭式典を終えいよいよ秋山兄弟柔道部・合気道部の稽古初め、今年は遠路、南アフリカから合気道を鍛錬している合気道家がお祝いに来て頂いた
式典を終え記念の餅つき、先陣を切って餅つきをする中村愛媛県知事さん、非常に気合がこもった搗き型である
引き続き記念の餅つきをされる野志松山市長
以後、3臼を用意した臼で少年柔道部・合気道部・各師範・生誕地役員が餅を搗きあげ、搗きたての餅を来館した観光客に振る舞い、賞味された観光者からは、手で搗き出来上がりお餅は美味しいですと言っていた
秋山邸の近くにある検番から4名の芸子さんもお祝いに駆けつけ記念の杵をもって一搗き・・拍手喝采
搗き上げた餅を仕上げるのは秋山兄弟生誕地の研究員、そこえ芸子衆が応援に・・皆様ご苦労さん・・と
秋山眞之と親交の深かった、山下亀三郎(山下汽船創設者)の宗家山下家関係者が宇和島市からマイクロバス2台でお祝いに来て頂いた・・中村知事・野志松山市長と記念の一コマ・・遠路ご苦労様
秋山好古、馬上から・・今日は中村知事さんはじめ、野志松山市長さん、その他関係者の皆さん例年になく多くの方々が生誕を祝ってくれて・・だんだん・・わしは嬉しいぞな・・と
公益財団法人常盤同郷会・秋山兄弟生誕地運営委員会所属の秋山邸研究員各位でこのメンバーが観光に来られた皆様方を邸内をご案内しております・・常に最新の知識を研鑽し2ヶ月に一度の研修会を開催して皆様のお越しをお持ちしております・・研究員は全員「好古・眞之」の人間として生き様に感銘をうけ奉仕で活動しています
「騎馬像の好古さんが何時もご苦労・・だんだん・・身体にはくれぐれも気をつけて今年も頼むぞなもし」・・と
登場人物の一人である「秋山好古」の生誕153年祭が昨日平成24年1月9日(成人の日)秋山兄弟生誕地で中村愛媛県知事・野志松山市長のご臨席を賜り厳かに行われた。
この日は、秋山兄弟武道場で、秋山兄弟柔道部・合気道部の道場開きも行い記念の餅つきを行った。偶然来館したお客さんに搗きたてのお餅を振舞い美味しく賞味する事が出来いい時に秋山邸に来たものだと喜んでいた。
NHK放映の坂の上の雲は終わったが全国の秋山フアンはその余韻を辿り坂の上の雲の街松山を散策されていた。
地元松山は元より、千葉県習志野市大久保・新潟県新潟市では「秋山好古と新潟の人びと・著者、神田勝郎氏」「秋山好古と習志野・著者、山岸良二氏」の書籍が刊行され両市では著者が講師になり有意義な講演活動を展開している。
註1:好古は、安政6年(1859)伊予松山藩徒歩目付け家禄10石取りの秋山家3男として、現 秋山兄弟生誕地に誕生した。
福沢諭吉の「学問のすすめ」に共感し青少年の教育推進に教育者を目指し大阪師範学校に学び卒業後、名古屋師範学校付属小学校に赴任したが、郷土の先輩、和久氏と名古屋鎮台山本武官の強い勧めで陸軍士官学校に入学し日本の騎兵隊を創設し、日本騎兵の父と言われた。
その後大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大元帥(大正天皇)は驚いた。未だかって元帥を辞退した者はいなかったからだ。大元帥は元帥を辞退した秋山大将に、特旨として官位従二位を与えた。
好古は、官位従二位を拝命し大正13年郷里の伊予松山からの要望に答え北豫中学校長として昭和5年3月まで本来の教育者として勤務し同年3月北豫中学校長を辞任し11月4日東京・陸軍軍医学校で永眠(享年72歳)現在東京青山霊園に眠っている。
註2:秋山好古の信条、「明瞭、簡単、質素、倹約、そして人は心穏やかで豊かであり、元気な間は、働くべき、仕事はその気で探せば幾らでもある」
画像は、秋山好古生誕153年祭の模様である。
秋山好古生誕153年祭を迎える秋山兄弟生誕地・・平成24年1月9日午前8時撮影
好古生誕153年祭に際し挨拶をする中村愛媛県知事、挨拶の内容が素晴らしかった・・
なお、武道場の舞台に飾られた好古カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街・三橋正文理事長様からの寄贈である
好古生誕153年祭に際し挨拶をする野志松山市長・・中村知事・野志市長になってから毎年知事・市長さん揃ってのご臨席である
生誕祭式典を終えいよいよ秋山兄弟柔道部・合気道部の稽古初め、今年は遠路、南アフリカから合気道を鍛錬している合気道家がお祝いに来て頂いた
式典を終え記念の餅つき、先陣を切って餅つきをする中村愛媛県知事さん、非常に気合がこもった搗き型である
引き続き記念の餅つきをされる野志松山市長
以後、3臼を用意した臼で少年柔道部・合気道部・各師範・生誕地役員が餅を搗きあげ、搗きたての餅を来館した観光客に振る舞い、賞味された観光者からは、手で搗き出来上がりお餅は美味しいですと言っていた
秋山邸の近くにある検番から4名の芸子さんもお祝いに駆けつけ記念の杵をもって一搗き・・拍手喝采
搗き上げた餅を仕上げるのは秋山兄弟生誕地の研究員、そこえ芸子衆が応援に・・皆様ご苦労さん・・と
秋山眞之と親交の深かった、山下亀三郎(山下汽船創設者)の宗家山下家関係者が宇和島市からマイクロバス2台でお祝いに来て頂いた・・中村知事・野志松山市長と記念の一コマ・・遠路ご苦労様
秋山好古、馬上から・・今日は中村知事さんはじめ、野志松山市長さん、その他関係者の皆さん例年になく多くの方々が生誕を祝ってくれて・・だんだん・・わしは嬉しいぞな・・と
公益財団法人常盤同郷会・秋山兄弟生誕地運営委員会所属の秋山邸研究員各位でこのメンバーが観光に来られた皆様方を邸内をご案内しております・・常に最新の知識を研鑽し2ヶ月に一度の研修会を開催して皆様のお越しをお持ちしております・・研究員は全員「好古・眞之」の人間として生き様に感銘をうけ奉仕で活動しています
「騎馬像の好古さんが何時もご苦労・・だんだん・・身体にはくれぐれも気をつけて今年も頼むぞなもし」・・と