日本100名城紀行 篠山藩 徒歩目付け屋敷 4
画像は、安間家の座敷で、甲冑が床の間に置いてあったが、藩政時代徒歩侍が甲冑を身に着ける事は無かったのでこれはおかしいと思いながら見学した。
たぶん、明治になって頂いたもので飾っておるものだと思う。
画像は、安間家の座敷で、甲冑が床の間に置いてあったが、藩政時代徒歩侍が甲冑を身に着ける事は無かったのでこれはおかしいと思いながら見学した。
たぶん、明治になって頂いたもので飾っておるものだと思う。
日本100名城紀行 篠山藩 徒歩目付け屋敷 1
篠山城の見学を終えて、篠山藩最後の藩主、青山氏時代の徒歩目付け「安間家」の見学をした。
伊予松山藩最後の徒歩目付けが、「NHKスペシャルドラマ・坂の上の雲」の主人公である秋山好古・秋山眞之兄弟の父、秋山久敬である。
伊予松山藩15万石の徒歩目付けの屋敷と篠山藩5万石の徒歩目付けの屋敷の比較がしたかった。
行ってみると篠山藩5万石の徒歩目付けの屋敷の方が立派であった。
篠山藩青山氏時代の徒歩目付け「安間家」は禄高12石3人扶持の徒歩目付けで、伊予の秋山家は10石であった。
屋敷の面積は、伊予松山藩秋山家は、829,74㎡(250,99坪)、篠山藩安間家は1,215,16㎡とある。(367、58坪)とある。
家屋の面積、安間家は131,15㎡(39、67坪)で秋山家は、95,65㎡(28,93坪)で小さい。
篠山藩青山氏時代の徒歩目付け「安間家」
安間家は篠山藩主青山氏の家臣で、禄高12石3人扶持とあり篠山藩の標準的な徒歩住宅であった。
母屋は正面を東に向け、間口6間半(約13m)奥行き7間半(約15m)あり、部屋割りは正面に向って左に玄関、右奥に庭園に面した8畳の座敷を配置し、玄関奥には台所、座敷の奥に仏間、居間が続いている。
以上頂いた資料より
画像は、安間家正面の門・・以下画像で4点紹介する。
篠山城は、日本100名城第57番目の指定で、私は71番目の紀行である。
次は、第56番今回最後の訪問竹田城に行く。・・ここも期待している城である。
篠山城の見学を終えて、篠山藩最後の藩主、青山氏時代の徒歩目付け「安間家」の見学をした。
伊予松山藩最後の徒歩目付けが、「NHKスペシャルドラマ・坂の上の雲」の主人公である秋山好古・秋山眞之兄弟の父、秋山久敬である。
伊予松山藩15万石の徒歩目付けの屋敷と篠山藩5万石の徒歩目付けの屋敷の比較がしたかった。
行ってみると篠山藩5万石の徒歩目付けの屋敷の方が立派であった。
篠山藩青山氏時代の徒歩目付け「安間家」は禄高12石3人扶持の徒歩目付けで、伊予の秋山家は10石であった。
屋敷の面積は、伊予松山藩秋山家は、829,74㎡(250,99坪)、篠山藩安間家は1,215,16㎡とある。(367、58坪)とある。
家屋の面積、安間家は131,15㎡(39、67坪)で秋山家は、95,65㎡(28,93坪)で小さい。
篠山藩青山氏時代の徒歩目付け「安間家」
安間家は篠山藩主青山氏の家臣で、禄高12石3人扶持とあり篠山藩の標準的な徒歩住宅であった。
母屋は正面を東に向け、間口6間半(約13m)奥行き7間半(約15m)あり、部屋割りは正面に向って左に玄関、右奥に庭園に面した8畳の座敷を配置し、玄関奥には台所、座敷の奥に仏間、居間が続いている。
以上頂いた資料より
画像は、安間家正面の門・・以下画像で4点紹介する。
篠山城は、日本100名城第57番目の指定で、私は71番目の紀行である。
次は、第56番今回最後の訪問竹田城に行く。・・ここも期待している城である。