日本裁判官ネットワークブログ
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先日東京地裁で,模擬裁判員裁判が行われたと報じられていました。その特色は殺人未遂,銃刀法違反被告事件について,殺意が争われた事例で,3日間の間に判決書作成まで行うというものです。模擬裁判員はいるという想定で実際には裁判官だけで進められたようですが,裁判員に分かりやすく迅速に,という目標にむけ,検察官と弁護人が協力し,写真,実況見分調書,医師と知人の証言,被告人質問で終了し,捜査段階の供述調書はすべて撤回され,証拠とはならず,3日目の午後4時30分には判決言い渡しとなった,とのことです。
 担当した検察官は,「捜査段階の供述調書を一切使わずに,こちらの主張が認められ,大変自信になった」と,弁護人も「弁護人も研鑽を積ん対応していくしかない。」とそれぞれコメントしていました。
この記事に私はかなり感動を覚えました。それというのも,裁判員裁判には,現時点でもまだ解決していない重大な論点が残されており,そのおもな点は証拠開示の問題,人質司法の問題と今回の調書裁判の問題です。裁判員裁判に疑問を呈する方は,これらの問題を放置したまま裁判員裁判を実施することの危険性を指摘しますし,私のような推進派は,裁判員が多数を占める裁判体が裁くことにより,地殻変動があり得ると指摘してきました。
 それだけに,裁判員裁判の開始が迫ったこの時期の変化に注目していました。
 実際,証拠開示に関しては,取り調べ状況報告書の一部を検察官が非開示としたのに対し,裁判所が開示を命令し,これに対する検察官の特別抗告を,最近最高裁が棄却した事例にみられるように,開示の実際の運用が拡大方向に転じていますし,東京地裁,大阪地裁を中心に保釈率の大幅な向上が指摘されています。最後に一番困難が予想されたのが,供述調書を使わない審理が本当にできるかという点でした。これについては,これまで警察,検察の強い抵抗がありましたし,これまでの刑事裁判において,供述調書の精密な分析で効果をあげてきた弁護人からも消極的な意見が出されていました。また,われわれ裁判官の中にも供述調書零の審理は到底無理ではないかとの意見が根強くあります。
 それだけに,今回の東京地裁の試みは,実験的なものにすぎないかもしれませんが,検察官がよく協力したものだと思いましたし,われわれ裁判官の意識改革を迫る重要な第1歩だと感銘を受けた次第です。(花)

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 通勤電車での長椅子席の座り方が気になってしようがない。私は,ラッシュアワーが一段落した時刻に始発電車に乗るのだが,9人,10人は座れる長椅子に,みんなが適当にまばらに座るものだから,7,8人で満席のように形になったり,右の座席の方は窮屈だが,左の方はたっぷりゆとりがあったりする。後に座る人のために,隣との間隔を考えて座る人は,意外と少ない。
 先日,興味深いシーンに出会った。一人の若い男が両側にかなりのすき間を空けて真ん中にどっかりと座り,盛んにケータイをいじっている。前に立った若い女性が静かに「詰めていただけませんか」と言った。男はこれを無視している。付近に立っていた別の男が,つかつかとそのケータイ男の前に来て,怒ったように「横に寄れ」と強い身振りを示した。ようやく気づいたふうのケータイ男は,左に身を寄せ,女性を見上げながら,空いた右側の座席を強くポンポンと何回も叩き,「座れ」と合図する。その仕草は異常であり,なにやら怖い感じもした。案の定,それを見た女性は,恐れをなして,顔を横に振り「結構です」とかぼそく言った。その直後,ケータイ男の右側に座っていた身だしなみのいい初老男性が,さっと左に動き,ケータイ男の右側に密着し,女性に,自分の座っていた空いた席に座るように仕草した。女性はその紳士にお礼を言って座った。一件落着。その紳士の行動の素早さと心遣いは,まことに格好がよかった。(蕪勢)

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私の兄が亡くなってから10年になる。
通夜の時にも兄の遺体から血液が流れ出て止まらなかった記憶が鮮明に残っている。
血液中の血小板がほとんどなかったために血液が凝固しなかったのだ。


 兄は、工学部を出てエンジニアとして働いた。
勤めていた会社がプラントを輸出していたことから、工場を造るために、海外に出張することが多かった。
辛いことや苦しいこともあっただろうが、怒ったり、不満を言う姿を見たこともない。
その人生の時間の殆どを仕事と妻子のために費やし、自ら遊んで楽しむようなことはなかった。
その兄が会社の健康診断でC型肝炎に罹患していることがわかった。
そのときには既にC型肝炎は相当進行していてインターフェロン治療もできない状態となっており、数年して肝硬変に移行し、さらに肝細胞癌に移行した。
癌細胞を摘出するための手術をしたときには、施術をした医師によると肝臓そのものがボロボロになっていて機能不全に近い状態になっていたという。
手術後、一時改善があったものの、腹水で腹部が膨満する病状が続き、その苦しみから解放されるようにして死を迎えた。

 感染原因は判然としない。
血液製剤フィブリノゲンやクリスマシン等のウイルスの混入した製剤の投与による可能性も否定はできないが、予防接種等の注射針や注射器を介しての感染である可能性もある。
少なくとも覚醒剤等の回し射ち等自らの責任による結果でないことは明らかであり、信頼して医療行為を受けたことによって感染した蓋然性が高く、無念というほかない。

 まして、血液製剤フィブリノゲンやクリスマシン等のウイルスの混入した製剤の投与によって感染したことが判明した人たちにとっては、無念ということをはるかに超えて、薬害を防止すべき国や製薬会社に対する憤りを押さえることができないことは当然であろうと思う。

C型肝炎による不安や苦しみから少しでも薬害被害者を救済するために、訴訟物を超えて、最大限の措置がとられるよう望む。
また、C型肝炎が完治できるような治療方法を発見する研究開発のためのさらなる予算措置がとられることも必要であろうと思う。
 
心ある国民は、そのために税金が使われたとしても、異議を述べないだろうと思う。
 (あすなろ)


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 今週のニュースで一番注目され,続報が続いたのは,13日,大阪高裁が,薬害肝炎訴訟で,和解骨子案を示したニュースでしょう。いくつかの地裁判決のうち,東京地裁判決を基準に,補償の対象となる投与期間を(1)フィブリノゲンは1985年8月-88年6月(2)第9因子製剤は84年1月以降と限定し,肝硬変と肝がんは4000万円,慢性肝炎は2000万円,感染したがまだ発症していない場合は1200万円の3ランクに分けて補償するというもののようです(共同)。その他に,基準から外れた人には,訴訟費用の名目として一括して8億円を支払うなどの内容となっているようです(時事)。
 全員の一律救済を求める原告側は受け入れを拒否したようですが,今後被告国側の対応が注目されます。大阪高裁は,今後の手続について,「年内に基本合意を成立させたい」とし,20日ごろまでに修正案を提案するよう双方に要望したとされており(毎日),20日がひとつの山かもしれませんね。
 その他のニュースでは,捜査の適正に関するニュースが続いています。東京高裁(門野博裁判長)が「立証に必要」として,取り調べ警官のメモ開示を検察側に命じる決定をしたこと(共同), 警察庁は,以前に紹介した有識者懇談会(座長・平良木登規男慶応大名誉教授)で、取り調べの適正化のため,これまで逮捕後に作成していた報告書を任意段階でも作成する方針を説明したこと(共同),大阪高裁(若原正樹裁判長)が,「警察が共犯者に違法な取り調べをした疑いがある」として、懲役3年6月とした一審京都地裁判決を破棄し、審理を同地裁に差し戻したこと(時事),山口地裁(山本恵三裁判官),「警官が虚偽証言の疑い」「犯罪の証明がない」として,公務執行妨害の罪に問われた男性に無罪(求刑懲役2年)を言い渡し無罪(求刑懲役2年)を言い渡したこと(共同)などです。
 ちょっとほっとするニュースでは,滋賀県彦根市で開かれた国宝・彦根城築城400年祭のイメージキャラクター「ひこにゃん」の原作者が市などにキャラクター使用承認の取り消しなどを求めた民事調停(彦根簡裁)で,調停が成立し,「末永く愛される」ことを目標にキャラクター管理などを協力することで合意したとのニュースです(産経)。使用停止になれば,「ひこにゃん」が見られなくなるだけに,テレビでもかなり報道され,注目されていましたが,今回の調停成立のニュースでほっとしています。司法の役割も示せましたね。(瑞祥)


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「遙けくも来つるものかな」
 いつのまにか還暦を過ぎ,この20日過ぎに満65歳の誕生日を迎えます。比較的若く亡くなった両親の年を既に越えました。充実していたけれども忙しく生きてきたなとつくづく思います。「遙けくも来つるものかな」というのが実感です。健康には注意しているつもりですが,無理もしていますし肥満体なので,いつ何が起きても不思議ではありませんが,「かくしゃく超百歳」を目指すつもりです。
 最近は,これまでの人生でやり残したことは何だろうか,それをやり遂げたいものだとしきりに思うようになりました。やり残したことは多いのですが,そのひとつに,あくせくと生きてきたご褒美に「ゆっくり散歩したい」というのがあります。大好きな夏目漱石の俳句に「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」というのがあります。これは胃潰瘍で死の淵から生還した漱石が万感の思いを詠んだとされているようですが,私もブラブラと散歩し,芝生に寝ころんでゆっくりと高い空を眺めたいのです。その空が真っ青であればどんなに素敵でしょう。おそらく色んな思いが溢れるように湧いてくるだろうと思います。妻はそんな散歩につきあってくれるかなー。「君とともに 四十年の 秋を見し」(高浜虚子)なんちゃって。
 そういえば,やはり大好きな小椋佳の「デビュー」という歌に,「そんな星空を見過ごしてきたんだ これまで」という歌詞があります。これまでの人生で,私は思う存分に空を眺めることを忘れて過ごしてきたように思います。小学生のころ,岡山市の近郊の片田舎で毎夜見事な天の川を眺めて暮らし,将来の志望として「天文学者」と書いた,あの頃のことを懐かしく思い出しているせいなのかも知れません。
 私の家から500メートルの所に岡山後楽園があり,嬉しいことに満65歳になると入場無料となるそうで,無料パスポートが送られてきています。そうだ,これからは月1回岡山後楽園を思う存分散歩することにしよう。できれば妻と一緒に。時には芝生に寝ころんで空を眺めたり,ゆっくり読書しようと考えると胸が弾みます。早く誕生日が来ないかなと今から待ちかねる思いです。考えてみると入場無料ということは,私の気持ちの中で岡山後楽園がわが家の庭に早変わりすることを意味します。私にとっては,突如としてわが家が少なくも1億円くらい主観的に価値を高めることになります。これは愉快だ!
 人は甚だ勝手なもので,私はこう考えてひとりで喜んでいるのです。これからも忙しく過ごしてゆくに違いありませんが,人生は考え方ひとつで随分違ってくるように思います。もっと心豊かに散歩したり,空を眺めたり,妻と来し方を語ったり,しかしよい仕事も頑張りながら,「かくしゃく超百歳」を目指して生きてゆこうと思うのです。(ムサシ)


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前著「裁判官の爆笑お言葉集」がベストセラーになった長嶺超輝さんの新著が、光文社から本日出版。
先日の日本裁判官ネットワークの総会で、そのお話も伺った。
長嶺さんは元々、最高裁裁判官の国民審査に関する本を書きたいと思っていたのだそうだ。
その趣旨でブログを開いていたところ朝日新聞に取り上げられた。
それを見た編集者から刑事裁判ものの執筆を依頼された。
そこで裁判官の訓戒を集めた本にしようというアイディアから前著が生まれた。
それが大ヒットして、新著の執筆依頼につながったのだという。
そして、これが売れれば、次回の国民審査に向けた念願の出版も成立するのではないかとのこと。
何事も、目標を目指してこつこつと努力を続けていれば、道が開けてくるという素晴らしい例だと感じ入った。
(チェックメイト)


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作家柴田翔の裁判員制度に対する意見について

柴田翔といえば、昔、「されど我らが日々」という小説で、芥川賞をとり、一世を風靡した作家である。中高年の者にはなつかしい名前であり、同書を青春のバイブルとして愛読した人も多いと思う。しかし、現在の私にとっては、すでに過去の作家となり、最近では思い起こすこともほとんどなかった。その柴田翔が、日経の夕刊にコラム「明日への話題」として短文を書いている。12月4日には、裁判員制度に触れて、つぎのようにいう。

「不勉強を棚上げにしていえば、一般市民の裁判参加が一般市民の不参加のまま、決まった、という印象があった。、<職業裁判官による閉じた法廷を市民の常識に開く>という根本理念は分かるし、法曹界が自らそこに踏み切るにはそれなりの必然性があったのだろうが、その理念が具体的にどういう形をとるのか、とるべきなのか。」かと

司法に従事する者にとっては、「市民の司法参加」についてずいぶん議論したつもりであったが、残念ながら、専門家と一部関心のある人たちだけで論じられた嫌いはなきにしもあらずだ。もう少し、一般の市民を巻き込んでの議論がなされていたら、よかったかもしれない。もっとも、仮に広範囲に、つまりもっと国民を巻き込む形で議論が展開されたとしたら、裁判員制度が日の目をみたかどうか、疑わしい。重要な改革が、必ずしも、世論の後押しで行われるとは限らない典型例かもしれない。

柴田翔は、さらに、重大事件を裁判員裁判の対象とするよりも、「むしろ判断するものの世界観、倫理観が直接に反映する事件こそが、職業裁判官とは違う一般人の常識を裁判へ導入する裁判員制度にふさわしいのではないか。」とされ、その例として、「選挙区による一票の価値はどの程度まで許容すべきか。長時間勤務で疲れ切った医師の過失はどの程度まで罪に問えるのか。過密運行の鉄道の踏切事故の責任は誰に帰するのか。尊厳死、臓器移植はどんな条件の下なら認められるのか。」といった事例に、裁判員制度がいかされるべきではないか、と主張する。

傾聴に値する意見であり、私もその趣旨に賛成だ。そういった裁判への市民参加を実現するためにも、(少しずるいいい方だが)これから始まる重大事件に関与する裁判員裁判を成功させる必要があるように思う。仮にも、裁判員制度が市民の不協力により失敗したとしたら、少なくとも今後50年は市民参加の機運は遠のいてしのまうのではなかろうか。そのつけは決して小さくない。とにもかくにも、市民の理解を得るため、法曹界にいる人間として、最大限、がんばらねばならないと思う。  (風船)

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最近のテレビで認知症の老人を救った寄り添い犬が報じられていますが,私も犬を飼っていますので,思わず喜んで見ております。その犬は,雑種の老犬のようですが,とても優しい表情が印象的でした。私の飼っているのは4歳の雌の柴犬系雑種ですが,やや顔つきがきついうえ,わがまま一杯で,寄り添い犬とは比べものになりません。ただわが夫婦のけんかの仲裁役や機械警備より有能な24時間警備員役として活躍しております。
毎朝6時30分ころと夕方5時30分ころが散歩タイムですが,ご近所の名犬たちとすれ違うとき,シェパードやレトリバーには見て見ぬふりをして黙っていますが,けんかに勝てそうな小型犬には敢然と吠えかかります。犬の性格は飼い主に似るといいますから,裁判官の飼い犬としては,その態度はいけないなどと私がこんこんと言い聞かせておりますが,全くの知らん顔です。どうしましょう。花

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 最近発表された平成19年版の犯罪白書は,「再犯者の実態と対策」を特集として取り上げている。統計調査の結果によると,犯歴を有する100万人のうち,再犯者は約3割で,あとの約7割は初犯者である。しかし,その3割の再犯者が犯罪件数全体の約6割を犯しているとのことである。「ここに刑事政策として再犯者対策が重要であることの根拠があります」と法務総合研究所担当者は述べている。再犯者問題について,統計に基づくこのような綿密な分析公表は,初めてではなかろうか。
 罪を犯した者も,刑期を終えれば,いずれ社会に復帰する。一度罪を犯した者が再び罪を犯さないようにすることは,犯罪減少社会に向けての最重要課題の一つである。犯罪に対する昨今の社会不安の増大は,刑務所等の矯正教育のあり方を巡る関心の高まりとなっている。こうした世論を背景に,刑務所,少年院、保護観察所等の矯正施設においても,犯罪者(非行少年を含む)の再犯防止のために様々な施策が採られるようになった。
 犯罪者の再犯防止のためには,裁判所の適切な判決(決定)とその感銘力も確かに重要である。しかしながら,おそらく,それ以上に大切なのは,その判決後を過ごす矯正施設における更生教育ではなかろうか。刑務所を例にとると,たとえ,犯罪者がその判決に感銘を受け,更生への強い意欲が生まれていても,その後に長い期間を過ごす刑務所での教育がその意欲を萎えさせるものであっては何もならない。また,たとえ判決に不満があったとしても,刑務所での教育が適切に粘り強く施されるならば,受刑者は心を入れ替えて更生への努力をするに違いない。
 只,矯正施設での更生に向けてのプログラムが形だけのものであってはならない。たとえば,刑務所に勤める職員は、今,一人当たり多数の受刑者を抱え,大変な労働加重に喘ぎ,一人一人の受刑者に丁寧な対応がとてもできない状況にある。少年院や保護観察所にも同様な問題がある。更生のための種々のプログラムは,職員の大幅な人員増と質的向上が前提とならなければ,絵に描いた餅となる。
 犯罪の少ない安心できる社会を築くためには,矯正機関における予算を伴った人的物的充実が必要不可欠と思われる。(蕪勢)
参照 法務総合研究所
     平成19年版犯罪白書について -再犯者の実態と対策-


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守屋前防衛事務次官の軍需専門商社に絡む収賄事件の捜査が進んでいる。

 どこの世界でも悪貨が良貨を駆逐しているのだなといまさらながらに思う。
ゴルフ代や家族への便宜等に係る賄賂を受け取った疑いがあることをまつまでもなく、記者会見等での受け答えを見る限りでもトップの器とは思えない。

そのような人がなぜ、4年間も防衛庁(省)のトップに居座り続けることができたのか。

彼以上の器量を持つ人材はいくらでもいたはずである。
しかし、良貨は駆逐されて悪貨が残るという不公正な悲劇が起こってしまった。
あるいは、守屋前次官も任官する際には理想に燃えた有能な人材であったのかも知れない。
そうであるなら、彼をスポイルしてしまうものが官僚世界にあったのだろう。
スポイルされた現在の彼を上に押し上げるような不公正な力関係が働いていたのだろう。
その陰で国民にとって財産というべき有為の人材がどのくらいつぶされてしまったのだろうか。
 
裁判所も司法の危機といわれた1970年ころから少なくとも「司法改革」がなされた2003年ころまで(裁判所の冬の時代)にはあからさまに、悪貨が良貨を駆逐するといわれても仕方がない人事が続けられた。

不公正な人事行政の中で有為な人材が失意のうちに裁判所を去って行き、事件に目を向けず、上にばかり気を遣う「ヒラメ裁判官」を続けるうちにスポイルされる者を出し、これが裁判内容にまで影響を与え、利用する多くの国民が目に見えぬ被害を受けた。

「司法改革」の中である程度は改善された面があるが、現在、公正な人事がなされているといえるであろうか。

裁判をなすのは人であり、人を生かした人事の運用がなされければ、社会的な損失である。
特に憲法でその独立の重要性が規定され、国民の権利義務を左右する裁判官が不公正な処遇を受けて人材として有効に活用されず歪んでいるとしたら国民にとっても悲劇である。
 
私たちは、人事についても関心を持って、絶えず公正な運用がなされるように改善を求めて行くことが必要とされているように思う。(あすなろ)
 

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産経連載「君たちのために」第3回(07年4月18日大阪版夕刊)

           弁護士 井垣康弘

少年院へ行くか、行かないか

 毎年何十人もの中学2、3年生の身柄付き審判をする。少年鑑別所に入れて、心身の鑑別を受けさせ(報告は書面でもらう)、審判の席に、鑑別所の職員が(手錠を掛けて)連れてくるのを、身柄付き審判と言う。

 進んで、「少年院に行きたい」と言う中学生は1人もいない。全員が、「懲りた、家に帰りたい、学校に行きたい、勉強も一から頑張りたい」と半泣きの顔で言う。審判の席には、親の他、中学の先生方も見えている。校長・生徒指導・担任のセットが一番多い。   

 神戸家裁の実際では、審判の何日か前に、中学の先生が裁判官室を尋ねてきて、「あの子には手を焼いています。少年院に入れてください」とこっそり言う例が多かった。その種の陳情と分かっていて平気で取り次ぐ調査官には驚いた。私は、もちろん、「ご意見は審判の席上少年本人の前で述べてください」として全部お引取り願った。

 すると、審判まであまり日数がないが、学校側と少年側とで、真剣な話し合いが始まるのだ。先生たちが何回も鑑別所に通って少年と面接を繰り返し、親とも話を詰める。審判の前日は徹夜の交渉だったというケースもあった。

 ともあれ話がついて学校が引き取る決断をした場合、それを無視して少年院に送った例はない。

 校長が、その中学校始まって以来最悪の不良とされていた少年と鑑別所で直談判し、2人だけの秘密の約束をした。何と校長の趣味である毎週末のハイキングに卒業までの半年間少年が付き合うことになったのだそうだ。実践の結果はなかなかのものだったらしく、ビデオに撮ってある、卒業式での少年の「ボクと校長」という「謝辞」は、校長いわく、「教育にたずさわる人間として、自分をほめてやりたい宝物だ」そうである。

 話がまとまっていない場合は、審判の席で、「条件闘争」が始まる。まず、学校側が、その子のためどのように困っているのを具体的に語る。そして、学校に戻りたいのなら、「あれこれを親子とも全部守ってほしい」と多くの条件が示される。

 たいていは、「ともかく実践してみるので…」と約束し、半信半疑の学校側から「家裁の調査官による支えがほしい」との要望が出されて、試験観察になることが多い。

 しかし、親子とも、「全部実行できる自信がない」と正直に告白することもある。そして、「少年院ってどんなところですか?」と質問攻めに会う。親は、普通、「ひどいイジメに会い、悪いことを一杯教えられて箔が付いて帰ってくる」と恐れおののいている。詳しく説明すると、では「半年ほど少年院で頑張ってこようか」という流れになる。教師も「月2回面会に行きますから…」と助太刀する。裁判官も「一度は会いに行くよ」と励ます。そのようにして少年院に送った中学生の場合、少年院での成績がよく、その後の経過もすばらしい。



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 2日の総会以後,ブログに新規投稿が続き,活性化しております。小生もこの流
れにあやかるべく,土曜日に投稿するはずでしたが,ほんのちょっと遅れてしまいました。お詫びします。
 ところで,従来は,司法のニュースを毎日取り上げていましたが,他の投稿が続いていますので,土曜日に,一週間のまとめだけを取り上げたいと思います。もちろん,他に面白い書き込みができるようだと,そちらも書き込みます。(瑞祥)
 今週の司法のニュースのうち,目に付いたものでいくつかありました。時節柄,裁判員裁判向けの動きと,法曹人口増に関するニュースが多かったですね。
① 裁判員模擬裁判で,全国の8地裁が同じ想定で殺人事件の模擬裁判をしたところ、判決は無罪から求刑を上回る懲役14年まで、大きく分かれたという結果がでているようです(朝日)。これの評価は分かれるでしょうね。
また,民主党が4日、捜査段階の取り調べの様子を録音・録画して「捜査の可視化」を実現する刑事訴訟法改正案を参院に提出するとのことです。懲役・禁固3年以上の犯罪を対象に、取り調べの全過程の記録を義務づけ、録音・録画のない「自白」供述には証拠能力を認めない内容ということです(朝日)。警察庁も,取り調べの適正化に関する指針策定に向け、有識者による懇談会を設置することを決めたとのことです(時事通信)。岡村勲弁護士,河上和雄弁護士、高井康行弁護士、プロデューサー残間里江子さん、平良木登規男慶応大名誉教授,刑事法専門の前田雅英・首都大学東京都市教養学部長、川出敏裕東大大学院教授などそうそうたるメンバーのようです。裁判員裁判対策というだけでなく,鹿児島の事件や富山の事件などから捜査のあり方が問われているようですね。
② 法曹人口増の関係では,日本弁護士連合会が,旧司法試験に合格して司法修習を今秋終えた約1400人のうち弁護士の未登録者は17人だったと発表したということです(毎日)。また,6日の日弁連総会では,会員が納める月会費1万4000円を「新人」弁護士に限って半額にする会則改正案を賛成多数で可決したのですが,合格3000人計画に反対する立場の出席者から「計画への賛成を見直さずに減額するのは本末転倒だ」といった意見が相次いだとのことです(朝日)。
③ ちょっと,心しなければならないのは,東京地裁で,DV元夫に女性の住所漏らすとの報道です(毎日)。民事訴訟中であり,ミスといえるかどうかの言及は避けますが,裁判所も,公開でない事件では,特に個人情報の管理が必要でしょうね。
④ 裁判に関するニュースでは,薬害肝炎訴訟(大阪高裁)の和解案提示が13日に延期されたとの報道が目を引きました(産経)。当初は,7日までに提示されるようでしたが,救済の範囲について,意見の対立があるほか,諸般の事情が考慮されたようです。今後の動きが注目されます。
⑤ 渋めの記事としては,横浜地裁相模原支部(相模原市)が県内の地裁支部で唯一、重要事件である合議事件を扱っていないことから、地元の弁護士から「司法の地域格差が起きている」との声が上がっているとの記事です(東京)。合議体の問題が取り上げられるのは少なく,記事でも,「一般になじみの薄い問題のため、市民の理解を得にくいのが難点だ。」としています。

 

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 あれは私が高校を卒業する直前の昭和36年1月ころのことだったと思う。私の大学受験に必要であったため,母が革靴とオーバーを買ってくれることになり,岡山市の北20キロの片田舎から,母と2人で岡山市へ買い物に出た。革靴を買った後オーバーを買うために洋服店に入り,私が気に入ったオーバーを見つけて「これが欲しい」と言うと,母は「こちらの方がええよ」と言って,別のオーバーを指さした。私はやはり私の選んだ方が気に入っていたので,「やはりこちらがいい」と言ったところ,母は悲しそうな顔をして首を縦に振らなかった。孝行息子だった私はやむなく,母が指さしたオーバーで我慢することにしたが,母の気持ちを理解できなかった。確か私が選んだオーバーは9000円で,母は6000円のものを選んだのだと思う。僅かの違いだし,孝行息子が人生でそれまでたった一度だけ母にわがままを言ったという場面である。私は口には出さなかったが,母を恨んだように思う。その後そのことはすっかり忘れていた。
 私は大学を卒業後上級職として当時の厚生省に就職した。両親もとても喜んでくれた。しかし私はどうしても弁護士になりたくて,司法試験に合格してもいないのに就職2年目の12月父母に相談せず勝手に退職手続きを取り,それから母に電話した。事前に相談すると到底退職が不可能であることは目に見えていたからである。母は電話口で暫く絶句していたが,「辞めないでほしい。退職を撤回できないのか。」と聞いた。私がそれができないことを伝えると,母は泣きながら,説明のために帰省するという私を遮り,「帰省には及ばない。試験に合格するまでは家の敷居を跨ぐことは許さない。」と言った。私は勘当されたのである。翌年も残念ながら試験に今一歩及ばず,私も頑張って勉強していたが,更にその翌年の4月,私の5月の試験の直前に母は肝臓ガンで死んだ。更にその翌年2月には父が交通事故で死んだ。まさしく親不幸の天罰というものであろう。私は長期間立ち直ることができず,兄弟は私の自殺を心配するという状況になった。その後文字通り「地獄に仏」という形で妻となる女性に出会って婚約し,運よく二人一緒に試験に合格した。そして私は一人で帰省し,父母の墓前に合格と婚約を報告したが,私は父母の墓前で号泣したということがあった(このあたりの経過は,「裁判官だってしゃべりたい」の本で詳しく書いた。)。
 その後長期間を経て平成になって間もないころ,法事の夜だったと思う。私は裁判官であった。飲酒しながら兄弟達で父母の思い出話をしていたときに,母が私が希望したオーバーを買ってくれなかった話をして,母の気持ちを理解できなかったと話したことがある。兄は「それはなあ。きっとおふくろの財布には6000円はあったが,9000円はなかったのだろう。」と言った。私はガーンと頭を強打されたような衝撃を受けた。そうか,私はなぜそれに気がつかなかったのだろう。我が家がそこまで貧困であったことを知らなかったためではあるにしても,その時点で気がつくべきであったと思う。買いたくても買ってやれない母の悲しみに私は気がつかなかった。母はどんなに切ない思いをしたことだろう。しかし母は私に何も言わず,ジッと悲しみに耐えたのだと思う。法事の夜,私は母の悲しみに思いを馳せて,「洞察力もなく出来の悪い息子を許してほしい」と悔やみながら,トイレで家族に隠れて大泣きをした。その後間もなく,私は墓参りをして母に詫びた。
 最近NHKのテレビで「ジャッジ」という番組が5回に亘り放送され,とても感動した。その第2回目であったと思うが,介護に疲れて老妻が老夫を殺害したという殺人事件で,息子が島の人達から多額の金銭を詐欺して都会へ逃げてしまい,老父母が被害者に必死で弁償を続け,ついには経営が行き詰まっていないのに,工場を処分してまで弁償を続け,ついに病の夫の看護に疲れて妻が夫を殺害するに至ったという筋書であった。被告人である老妻は執行猶予を希望しないと言って多くを語ろうとしない。主人公の判事補は,被告人の態度からも事件の展開に疑問を抱いていたようであった。主人公の判事補が証人となって証言台に立っている息子に「両親があなたに代わって弁償を続けられたのはなぜだと思いますか。」と訊ねたとき,息子は「島の皆さんに申し訳ないと思ったのだと思う。」と答えたところ,判事補は「それだけでしょうか。」と聞き直した。「えっ」と驚く顔の息子に対し,その判事補は「あなたに代わって償えば,あなたが島に帰りやすくなると・・。つまりあなたに島に帰ってきてほしかったんじゃあないでしょうか。」と聞いた。このひとことが老母の凍り付いた心を溶かし,老母が真相を語り始めて,事件は一気に展開し,「夫に楽にしてくれ」と頼まれたという承諾殺人の核心に迫り,事件は有罪だが執行猶予付き判決として解決したのである。これは疑問を直視して考え抜いた主人公裁判官の洞察力のたまものであると思う。まことに鮮やかな手並みであり,感動した。
 裁判官には総合的な判断力が必要であるが,そのためには深い洞察力を身に付けることが望まれる。時に裁判官の深い洞察力が,事件の真相に迫る決め手になることがあると思う。深い洞察に基づく裁判官のひとことが決定的な意味を持つことは案外多いのではないだろうか。そしてその洞察力を身につけるには,個々の事件に潜んでいる小さな疑問点を深く考えてみることが大切ではないかと思う。また読書その他の自己研鑽や合議での議論を通じるなどして,裁判官が法律的にも人間的にも大いに実力をつけてほしいものであるが,そのためにも裁判官にはもっともっと心身の余裕が必要であると思うのである。
(ムサシ)


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産経連載「君たちのために」第2回(07年4月11日大阪版夕刊)
         
 弁護士   井垣康弘

みんな「良い子」だったのに

 中学2、3年生ころになって非行に走った子どもたちに限って言うと、小学生の段階では、みんな「とっても良い子」であった。

後で分かった問題は、本人が「勉強をしたくない」、親も「まだまだ構わない」、小学校の先生も、「親子がそれで良いならば」で過ごしてきたことである。

この子たちは、授業中にウロウロしたり、学校で暴れたり、先生に楯突いたり、不登校になったりはしない。

分からなくても、授業時間の間、おとなしく、教室の机に座っている。終わったら、一目散に帰って友達やゲームで遊ぶが、家のお手伝いは何でも良くする。犬の散歩はお得意の一つだ。近所のお年寄りにも、丁寧なあいさつができる。

実際、勉強こそしないが、親子兄弟の間で話もちゃんと出来るし、人に優しいとても良い子なのである。

大人(親や先生など)からもほめられ、本人も自己評価が高い。将来、非行を行う(ましてや中学生の段階で少年院に行く破目に陥る)とは、親子も先生も全く思っていない。

だから、参観に行った少年院での中学卒業式で、卒業生代表の話が、「何と言っても皆3年前の入学式を思い出す。桜が咲き誇る校門を期待に燃え、ニコニコしながらくぐった。お母ちゃん(2年後には、ババア、ウルセイ、ダマレとののしる相手であるが)と仲良く手をつないで、ルンルン気分で、行った子もいる。しかし勉強が分からず、部活につまずき、不安でいっぱいで、それを紛らすために『ワル』になって行った。でも本当は寂しかった。そしてとうとう少年院に来てしまった。でも、これからやり直せると言う確かな手応えを感じているので、割と明るい。頑張るので期待してください」ということになるのである。

 実際には、小学校で、読み書き算数が皆目分からない子が、中学校の授業に普通に付いていける訳がない。見る見る引き離される。本人たちは、決して言葉として語ろうとしないが、その「劣等感」やすさまじいものがあることだろう。

 少年審判の席で、少年たちから「ボクは万引が上手だから一生食うに困らないと思っていた…」とか、「ちょっとにらんで貸せと言ったら学生から簡単に金がせびれた。優越感を味わっていた…」とか、「ボクはひったくりの名人で、とった金を一千万円貯めて何か事業をしようと思っていた…」とか、「学校の先生や親は、『ウルサイ!』と怒鳴ったらそれでおしまいだった…」とか言う言葉を聞く度に、それらは「落ちこぼれ」にされた子どもたちの苦しみや恨みの裏返しの表現だと思った。

 少年院に入ってからとはいえ、毎日何時間も頑張り、漢字の読み書きだって、「アッと言う間」に修得し、人生に対する期待に満ちあふれるようになるわけだから、そもそも本人たちに努力不足の責任があったことには間違いがない。


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産経連載「君たちのために」第1回(07年4月4日大阪版夕刊)

                 弁護士 井垣康弘

初等少年院での変化

 わが国の安全神話が崩れ、少年犯罪も凶悪化・低年齢化し、恐ろしい世の中になったと皆が思うようになった。

 「子どもを生み育てることも怖い」という感覚が一般に広がれば、少子化を後押しし、やがては民族の滅亡に至るかもしれないとさえ思う。

 仕事柄、中学三年生を何十人も少年院に送った。何度捕まっても懲りない札付きの子どもたちだ。コンビニを自分個人の冷蔵庫だと思っていて、働かなくても一生食い物には困らない結構な身分だとうそぶく。街路は、ひったくり・かつあげ・おやじ狩りの獲物をあさる草原だと思い込んでいる。茶髪・ピアス・まゆ毛のそりこみで、おとなしそうな生徒から小銭をせびるのは簡単だと言う。ひったくったかばんの中から、一万円札が何枚も現れたときのうれさは言葉で表せないと得々と語る。おばあさんからひったくったかばんの中に250万円を見つけたときは、携帯電話を掛けまくり、地域のワルを全員集め、朝までドンチャン騒ぎをしたそうな。
 
 どのような中学生かと言うと、大体学力が小学校3年生レベルだで止まっている。漢字はほとんど分からず、新聞も本も読めない。九九も全部は言えず、分数は皆目分からない。

 従って授業はひたすら苦痛である。高校にも行けそうになく焦る。しかし、何かトラぶると教師から「来なくてもよい」とのメッセージが発せられる。家庭でも、親からうるさく言われる。心が安らぐのは、地域の似たような仲間(先輩や同級生)と一緒にいるときだけ。その唯一の居場所で、ワルの学習をしっかりするのである。
 
 このような中学生を捕まえて、初等少年院で教育する。品川裕香著「心からのごめんなさいへ」(中央法規)は、宇治少年院を描いている。

 「少年の日記の変化に驚いた。」と書かれている。入院当日のある14歳の少年の日記はこんなふうだったと言う。

 「僕は、さいやくな人げん、だとおもいました。にどと、こんなことお、やらないように、どりょくします。口でゆうのわ、かんたんだけど、それお…」

 それが、一カ月半後にはこのように変わるのだ。

 「2週間ぶりに訓練体育に出ました。とても体が鈍っていました。…(略)…入院した時より僕は漢字が書けるようになりました。もっといろんなことを覚えたいし、勉強もしたいです。そして早く新聞を読めるようになりたいです」

 しかし、少年院で教えられることが、なぜ義務教育の過程でできないのかと、同書は鋭く問い掛ける。






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