日本裁判官ネットワークブログ
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 数日前に、勾留請求却下率の統計についての報道が、法曹界に一定の衝撃を走らせました。さいたま地裁において「2009年から12年までは年間の勾留却下率が1%台だったが、昨年10月に急伸。今年4月まで5・49~11・11%で推移し、平均は8・11%。昨年の全国平均3・90%(最高裁まとめ)の水準を大きく上回った。」(朝日新聞)と報道されたのです。昨秋から行われている若手裁判官の勉強会の影響ではないかという法曹関係者のコメントがつけられていました。この話は、以前からFacebook上で耳にしていたので、私としては「ようやく報道されたか」という感覚でしたが、全国平均の勾留請求却下率が3.90%という記載の方に驚きました。「えっ、そんなにあったっけ!!」。ご存知のように、勾留請求却下率は、1%以下というのが、永年の「常識」だったからです。

 早速調べてみました。驚きました。平成20年の全国統計は1.10%で、実に昭和52年の1.19%以来、実に31年ぶりに「1%の壁」を突破し、その後も平成21年が1.16%、平成22年が1.34%、平成23年が1.47%、平成24年が1.79%と増加傾向にあります。それにしても、上記報道が本当なら、昨年は一気に2.11%も急上昇したことになります。なぜこんなに却下率が上がったのでしょうか。検察がラフな勾留請求をしたからでしょうか。いいえ、そんなはずはありません。勾留請求数を調べても、平成17年の15万2431件から減少傾向で、平成23年には11万7829件、平成24年には11万9772件となっています。

 最近、聞いた話によると、裁判所は勾留延長をするにしても、安易に10日延長しないで、日数を削る傾向が出てきているようです。

 弁護人としては、「なんだ、やればできるじゃない」と思いながらも、「今までは何だったんだよ」と言いたくなります。

 この報道を見て思い出した話が2つあります。

 1つ目は、尾形誠規さんの「美談の男」という、熊本典道さん(袴田事件で無罪意見だったと名乗り出た元裁判官です)を描いた本(朝日文庫から「袴田事件を裁いた男」というタイトルで再刊されたようですが、一見、美談の男→実はトラブルを抱えたお騒がせ男→でもやはり色んな美談に囲まれている不思議な男、という入れ子構造からすれば、元のタイトルの方がピッタリきます)の中で木谷明さんが語っていた、初任の東京地裁令状部時代の熊本さんの勾留請求却下率が3割を超えていたという話です。「勾留請求の却下に関しては、彼は今で言うとイチロー並みの打率を誇ってたね。僕は、やっと1割から2割の間かな」(193p)。木谷さんの「1割から2割」も随分とすごいのですが。木谷さんは「無罪を見抜く」(岩波書店)の中でも「却下しないと恥ずかしいという雰囲気でした」「その後、学生運動の東大闘争とか沖縄返還反対闘争とかがあって、令状部の実務はすっかり変わりました」「昭和44年から46年頃。あの辺でガラッと流れが変わった」「東京の令状部は、こういうふうにやっていく、と。そこで、全国の若い裁判官が研鑽に来たりして見習って帰るものだから、『東京方式』が全国に広まって、みんなガチガチにやりだした」(57,58p)と書かれています。勾留請求却下率の統計もこれを裏付けるように推移しています。昭和27年の0.66%から徐々に上昇して、昭和44年には4.99%に達しますが、減少傾向が始まり、昭和53年にはついに1%を割り込んで、0.8%になってしまっています。上記報道の3.90%という数字が本当なら、昭和45年の3.76%、昭和46年の3.71%に匹敵する高水準ということになります。

 2つ目は、1997年に、当時旭川地裁にいた寺西和史判事補が、新聞に「信頼できない盗聴令状審査」というタイトルで投書し、当時法制審議会が答申した組織的犯罪対策法案の通信傍受令状に関して、「裁判官の令状審査の実態に多少なりとも触れる機会のある身としては、裁判官による令状審査が人権擁護の砦になるとは、とても思えない。令状に関しては、ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発付されているのが現実だ」と書き、「裁判官の令状裁判実務の実態に反してこれを誹謗中傷」したとして、地裁所長の注意処分を受けた話です。弁護人としては「本当のことを書きすぎたなあ」という感想ですが。寺西さんは、翌年、組織的犯罪対策法反対の集会で発言したことを理由に分限裁判で戒告処分を受け、このままでは再任拒否されるのではと心配されましたが、幸い今日まで無事に二度の再任を果たしておられます。今にして思えば、なんだかなあという事件です。そういう時代がつい最近まであったんだと、若い人たちに伝えたくて書きました。

 ということで、若き刑事弁護人の皆さん、「勾留請求却下」というちょっとだけ軽くなった扉をこじ開けるべく、頑張ってください。

 

 なお、タイトルは、白山次郎氏の名作「ある勾留却下」のパクリです。はい。すみません。罪滅ぼしにリンクを貼っておきますので読んでください。

http://www.j-j-n.com/coffee/110401/arukohryukyakka.html

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  ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  ○Bunkamura「殺風景」(シアターコクーン)<西岡徳馬、大倉孝二、キムラ緑子、荻野目慶子、大和田美帆、江口のりこ>

   九州の炭鉱街で起きた殺人事件をモチーフとしたピカレスク的要素の作品と言って良いのだろうか。ただし、主人公自体の魅力と言うよりも、主人公家族の中の複雑な人間関係や各々のコンプレックスなどが入り交じって、いかに凶行に突入していったかを考えさせる作品。母親の缶蹴り必勝法のエピソードや父親を見初めるシーン(大和田美帆さんが熱演)など、それぞれの背負ってきた背景が丁寧に描かれる。「家族」に恵まれず、「家族」を求め続けた父親が、「家族」一体となって凶行に進みながら、決して自らが求めたような「家族」として機能してはいない悲しさ。職業柄「警察官がそんなにペラペラ外部の人間に捜査の手の内を話すかよ」「任意で引いてきた重大事件の被疑者を取調室に一人にするかよ」といった点が気になってしょうが無いが、劇としては十分楽しめる。

   劇中のクライマックスで「黒の舟歌」が印象的に使われる。昭和の炭鉱街で苦渋に満ちた生涯を送ってきた登場人物が、たまたま加害者と被害者になり、それぞれの背景を背負いながら同じ歌を歌うシーンは感動的だと思うのだが、まず歌に反応して笑う客席に違和感を覚え、更に大倉孝二さんが笑いを誘発するようなリアクションを取る(つまり演出意図としても客の笑いを期待している)ことに更に違和感を覚えて、「良い場面なのになあ」と残念に思った(雑誌「悲劇喜劇」掲載の脚本のト書きには、そのような演出はないのだが)。

  ○新国立劇場「テンペスト」(新国立劇場中劇場)<古谷一行、長谷川初範、田山涼成>

   「今年はシェイクスピアが多いなあ」と漠然と思っていたら、今年は生誕450年だそうである。そのシェイクスピアの単独執筆としては最後の作品とされる「テンペスト」。

   さんざんな目に遭わされて無人島に流された主人公は、復讐の機会を得ながらあえてそれをしない。「この地上のありとあらゆるものはやがて融け去り、あとには一筋の雲も残らない。我々は、夢と同じ糸で織り上げられている、ささやかな一生を締めくくるのは眠りなのだ」という主人公の台詞から、無常観に根ざした赦しの劇だと感じた。その「赦し」があればこそ、父以外の多数の人間を初めて目にした主人公の娘は「こんなにきれいなものがこんなにたくさん。人間はなんて美しいのだろう」とあまりにもピュアすぎるかのような台詞を吐くのだろう。

   白井晃さんの段ボール箱を舞台一杯に広げた演出は、主人公が過去の思い出の段ボールを開いたり片付けたりしているイメージのようだが、評価は分かれるだろう。

  ◎地人会新社「休暇」(赤坂レッドシアター)<永島敏行、加藤虎之介>

   病で死期の迫った妻、それを見守る表面的には良き夫、妻の前に現れた若者による対話劇。夫婦生活を長くやっている人は、夫婦で見るべき舞台でしょうね。後がどうなっても知りませんが。笑。ちなみに知人の独身男性は、「何だかよく分からなかった」そうだが、そりゃあそうでしょう。一度結婚してみなさい。この舞台の深みが分かるから。笑

   表面的には優しいが妻を真綿で締めるようにやんわり拘束する夫、そして何かが起こっても自らの体面やプライドを保つ方向で身を処しようとする夫。モノローグを録音するというカウンセリング手法もあって、今まで見つめることを避けていたそんな夫の「実像」に徐々に対面し始め、若者に心惹かれる妻、夫の柔らかな拘束を不満に思いながらも、それなりの自由を享受し、いざとなると夫の決断に身を委ねて己の責任を逃れる形を取る妻(離婚事件などでこういう方時々おられるのですよ)。最後に妻の台詞にようやく出てくる「休暇」という言葉の響きが、そこにたどり着くまでの道のりを背負って、切ない。

   加藤虎之介さんは、「ちりとてちん」の四草役で好きになり、言わば彼目当てに選んだ舞台だったので、どうしても四草のような斜に構えた役柄を期待してしまったが、むしろストレート過ぎて妻の思いを壊してしまう役であった。

  ◎劇団俳優座「七人の墓友」(紀伊國屋ホール)

    これは、私は見ておらず、妻が演劇鑑賞団体の役員として鑑賞した舞台。妻も飛行機の時間の都合で、どうしても途中までしか見られなかったのだが、それでも前半だけでもグイグイ引きつけられたそうだ。

    長年連れ添った妻が、同じ墓に入りたくないと言い始め、「墓友」に出会うという、それ自体はありがちな設定。台本を読んだ段階では、やや登場人物が多いのが気になったのだが、実際に舞台が始まると、すんなりと進行して、徐々に登場人物のキャラ付けがされていって、非常に入り込みやすい舞台だったそうだ。

    舞台装置もシンプルで、背景はサンドアートで描かれるというおしゃれなものだったそうだ。

    この作品は、劇団俳優座創立70周年記念作品なのだが、脚本は鈴木聡さんという小劇場系の劇団「ラッパ屋」を率いている方であるところも感慨深いものがある。

                                                        以 上



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  ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  ○新国立劇場「マニラ瑞穂記」(新国立劇場小劇場)<山西惇>

   四囲を客席が取り巻く正方形の舞台、その一辺の角の最前列の席であったため、主要登場人物が私の席の真横に立って舞台上に向かって台詞を発する場面が多く、特に女衒が舞台上のからゆきさん達と台詞を言い合う場面など、舞台上の女優さん達の視線が全て私に向けられているように感じて、幸福な演劇体験ができた。マニラの地で戦争と運命に翻弄されながらもそれぞれの形で生き抜こうとするからゆきさんたちの姿が胸に迫る。劇作家秋元松代の古い作品で、よく研修生の卒業公演などで上演されるようなのだが、女性脚本家がこの女衒のどこにそんなに惚れ込んだのか、ちょっと理解できなかった面は否めない。

  ○文学座「夏の盛りの蝉のように」(三越劇場)<加藤武>

   21年前に旭川市民劇場で、劇団民藝の大滝秀治さん主演で鑑賞するはずだったのに都合で見られなかった舞台を、今回加藤武さん主演の文学座の舞台で見ることができた。まるで敵討ちだ。笑

   画狂人葛飾北斎とその娘、渡辺崋山、歌川国芳の群像劇。残された数少ない作品からうかがわれる素晴らしい画才を持ちながら、ついに北斎に飲み込まれるように歴史の波に消えたその娘。絵を含む多彩な才能を持ちながら「絵は世の中を動かさない」と自嘲する崋山。それに対抗心を燃やし天保の改革の風刺画を世に問う国芳。エンディングの趣向が「頭痛肩こり樋口一葉」を想起させる。

   加藤さんは、どうしても普通の頑固爺さんに見えてしまい、画狂人としての「怪物感」が欲しいと思うのは、欲張りだろうか。

  ○劇団俳優座「樫の木坂四姉妹」(旭川市公会堂)<岩崎加根子、川口敦子、中村たつ>

     ともに被爆体験者の三姉妹が、それぞれの来し方を経て平成の長崎に生きている。それぞれに人生の負い目を背負った3人の老婆をベテラン女優3人が達者な演技力で演じきり、改めて被爆の惨劇が胸に迫る。

    ただ、終盤に映画的・技巧的な手法を用いようとした部分が、かえって感動を削いでしまった面があることは否めない。三女優のシーンだけですんなり終わって欲しかった。三女優と他との演技力の大きな落差も気になってしまう。ある意味で日本の古典的な劇団の抱える構造的な問題かも知れないなあ。

   ○日本の30代「十二夜」(下北沢駅前劇場)<平岩紙>

   平岩紙さんが、舞台共演をきっかけに、同世代、30代の小劇場俳優さんに声をかけて、鵜山演出でシェイクスピアに挑んだ作品。小劇場の世界も50代あたりがトップを走り続け、30代の厳しい位置を象徴するかのようなユニットで、上で述べた「構造的な問題」をここでも感じないではない。

   流ちょうでこなれていて日本語の地口を活かした訳だったので、誰かと思えば小田島雄志先生だった。30代の俳優たちが、その台本に乗って散々に笑いを取っている中、平岩さんが生真面目にヴァイオラを演じているのが、かえって新鮮。

   原作では最後に道化が一人寂しく歌う歌を、全員で楽器演奏しながら歌うのが斬新。全く違う歌に聞こえてグッとくる。

  ◎ナイロン100℃「パン屋文六の思案」(青山円形劇場)<松永玲子、萩原聖人、緒川たまき>

   ケラリーノ・サンドロヴィッチが岸田國士の短編戯曲7本を合成し演出する舞台。まず、岸田國士作品をハヤカワ演劇文庫や青空文庫で読んで、なるほどこれは舞台で見たくなる作品と納得。蓋を開けると、7本を舞台上で同時進行させるという斬新な進行。それでも観客が混乱しないのは、それぞれの劇世界が強力にエッジが効いているから(個人的な好みとしては、一本一本をじっくり味わいたかったが)。自立する職業婦人を主人公にした「ママ先生とその夫」、SF的な設定の「パン屋文六」、エキセントリックな人物を日常風景の中に登場させる「長閑なる反目」、契約を取り交わす新しい夫婦関係を見せる「世帯休業」など、大正から昭和初期に書かれたとは思えない作品ばかり。「匂い付シートを指示された場面でこすってみましょう」などというお遊びは要らない、と言いたいくらいだ。

   緒川たまきさんを間近に見られて、本当に美しい方だとため息が出た。松永さんは、私の中でもどうしても「ちりとてちん」の焼鯖屋のイメージが強いのだが、舞台に立つと強いオーラを発しておられる。

  △梅田芸術劇場「ハルナガニ」(シアタートラム)<薬師丸ひろ子、渡辺いっけい>

   脚本が、テレビドラマ「すいか」・「野ブタをプロデュース」の木皿泉、主演が薬師丸ひろ子というなら、もう観るしかない。おまけに配偶者を亡くした夫婦の物語という私のツボに来そうな設定。ところが、始まってみると、どうもしっくりこない。号泣する準備はできていたのに。

   舞台上での幽霊ものというのは、ある登場人物には見えて、別の人には見えないなどの設定で、笑いや涙を生んでいくのだが、その設定にちょっと無理がある気がして、どうしてものめり込めないのだ。少なくとも舞台で見せるには。木皿さんは、映像作品にしようと思ってできなかったので、舞台に持ってきたようなことをパンフレットで書かれていたが、むしろ映像向きの題材じゃないかな。

   薬師丸さんのアドリブと思われるくすぐり部分が、ある時点でちょっと過剰な気がして、ふっと醒めてしまった。

  ○劇団座敷童子「海猫街-改訂版」(すみだパークスタジオ)

   小規模な小屋(といっても客席に向かう通路はセットの一部のように凝って作ってある)で間近に舞台を感じられたという意味でも、「芝居」としては、今月見た中で意味一番楽しめたのではないかと思う。「開発」対「地元民・自然」という構図はやや定番的ではあるが、被差別者としてのおどおどした様子からやがて集落の守り神と崇められる立場になる魅力的なヒロインを椎名りおさんが熱演している。登場人物を乗せたまま波に翻弄されるセットもすごい。できればもっと大きな劇場で見たいなあとも思わせる。

    しかし、終盤主人公たちは何を待ち続けていたのだろう。結局「ウミネコのエサあります」という陳腐な観光にしかよりかかれなかった辺境へのアイロニーと読めなくもない。

                                                                                                      以 上



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  上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  3月  テアトル・エコー「病院ミシュラン」(恵比寿エコー劇場)

      「病院あるある」ものとしては笑えるのだが、病院を舞台にするならもっと色々作り方があったのではないか、という気がしてならない。これではアンジャッシュのコントではないか、という感想を払拭するには、例えば「良い医師とは何か」といった方向性での膨らみが欲しい。元文学座俳優の某弁護士は、大変楽しく鑑賞されたとのことなので、私が欲張りすぎなのかも知れないが。

     ○新国立劇場「アルトナの幽閉者」(新国立劇場小劇場)<岡本健一、辻萬長、美波>

          非常に緊張感のある対話劇。サルトル原作というので身構えたが、むしろ父子を中心とする家族の関係から戦争犯罪の問題を身近に感じさせる作品だった。戦争がいかに人を傷つけ、その関わった責任を長い時間にわたって突きつけていくものなのか実感させられる。再演を見て鑑賞を深めたいと感じた。

          ○東京芸術劇場「おそるべき親たち」(東京芸術劇場シアターウエスト)<麻実れい、中嶋朋子、佐藤オリエ、満島真之介>

      ジャン・コクトーの作品。佐藤オリエさんの存在感が素晴らしい。二つの家の明と暗を対照させる舞台芸術も印象的。冒頭のやや不自然な母子関係から、ある程度結末が予測されるのが難点か。

      パンフレットには、法務監修・福井健策と書かれている。

      劇団銅鑼「女三人のシベリア鉄道」(六本木俳優座劇場)<鈴木瑞穂>

      あんなに面白い原作本(森まゆみ)を、こういう風に戯曲化すると台無しになります、という見本のような作品。特に前半は、原作者に脚本を委ねた場合のマイナス面がもろに出ている。「女三人」と銘打った以上は全員出さないといけないのだろうが、説明台詞が多く人物が膨らまない。与謝野晶子は、本人が十分規格外なんだから、あんなにエキセントリックに演じる必要は無い。それこそ、企画の谷田川さほさん(色んなちょい役で登場)が、演じれば良いのに。幽霊形式もありはありだろうが、それなら主人公である筆者自身の人生の分岐点に、幽霊がからむ形等に再構成すべきではないかなあと感じた。

     ◎加藤健一事務所「あとにさきだつうたかたの」(下北沢本多劇場)<加藤健一、加藤忍>

      文学座の女優山谷典子さんが書き、自らが主宰する演劇集団Ring-Bongで上映した作品。一昨年にたまたま小竹向原のスタジオで観劇し、ずっと心に残っていた作品で、翻訳劇中心の加藤健一事務所が上演すると知って、大いに驚き、観劇することにした。加藤健一事務所のホームページを見ると、ラストシーンの加藤健一さんの「がんばれ」という叫びに感動したという声が多いようだが、私と妻は、逆にこのラストに少しひいた。父のようには生きまいと思った科学者が、別の形で「罪」を背負ってのラストなのだから、こんなに大見得を切られると違和感があるのだが。

      山谷典子さんの「才気」は、再度鑑賞して舞台のそこここに感じることができたので(ラジオに登場人物が相づちをうつシーンなど)、今後の一層のご活躍を期待したい。



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きたる3月15日土曜日夜に「NHKスペシャル」の一環として「東京が戦場になった日」というドラマが放送される。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0315/

既に試写会で見た方によると、かなりリアルに東京大空襲の状況が再現されているようである。

http://blogs.bizmakoto.jp/bunjin/entry/17469.html

戦争の語り部が少なくなる中、新しい技術を駆使したこうしたドラマの制作は大変意義深いことである。

作・中園健司、制作統括・篠原圭と言えば、離島の裁判官を主人公とした名作ドラマ「ジャッジ」のコンビである。平成20年5月の日本裁判官ネットワークの例会では、篠原さんをお招きして、「ジャッジ」制作の舞台裏のお話をうかがった。そういう御縁や経緯からも、15日夜の放映を楽しみに待っている。             (くまちん)



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  上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  1月 ◎こまつ座「太鼓たたいて笛吹いて」(紀伊國屋サザンシアター)<大竹しのぶ、神野三鈴、山崎一>

      「聖戦」「大東亜共栄圏」という美しい「物語」を作り、「物語」に合わせ、従軍作家として「太鼓たたいて笛ふい」た、作家林芙美子。終戦直前の時局講演会で「最早きれいに負けるしかない」「でもそんな技量と度量のある指導者はいない」と口走る林芙美子。戦後は、自らの戦争責任を果たすように庶民の物語をひたすら書きまくり「緩慢な自殺」を遂げた林芙美子。「司法改革」「法曹一元」という美しい「物語」を作り、美しい「物語」に合わせ、御輿を担いで太鼓たたいて笛ふいた私にグサッと刺さる芝居である。我々は、司法改革を「きれいに負ける技量と度量」を持った指導者を抱けるのだろうか。私は、司法改革のB級戦犯として、どのように「緩慢な自殺」を遂げて行こうか。

      大竹しのぶさんの圧倒的な熱量は言うまでもないが、一昨年の年末に見た「組曲虐殺」とかぶる役柄で神野三鈴さんと山崎一さんが好演。神野三鈴さんのファンクラブに入ってしまいました。笑。

      日弁連職員きっての演劇通Mさんとの立ち話で、お互いに見た芝居は違えども、今年に入ってのベストがこの作品であることは見解が一致した。

      3月には、これも林芙美子が登場する「女三人のシベリア鉄道」(劇団銅鑼、森まゆみ原作)を鑑賞する予定。

          ○世田谷パブリックシアター企画「トライブス」(新国立劇場小劇場)<中嶋朋子、田中圭、大谷亮介、鷲尾真知子>

           翻訳劇はどうもピンとこないものが多くてしばらく遠ざかっていたが、この作品は良かった。家族内で唯一聴覚に恵まれない主人公の疎外感。途中で聴覚を失ったため、聴覚障害者たちの仲間から疎外感を覚える主人公の彼女。コミュニケーションについて考えさせる好作品。中嶋朋子さんの手話が美しい。緊迫した場面で、主人公たちに敢えて手話のみで会話させる脚本の素晴らしさ。主人公たちの疎外感を、観衆も共有することになるのだ(パンフレットには、その場面のみ台本が抜き刷りされている)。

         △小野寺修二カンパニーデラシネラ「ある女の家」(新国立劇場中劇場)<浅野和之>

          「俳優・浅野和之」を期待して行くと裏切られるダンスパフォーマンス+無言劇。でも、「浅野さんって、あんなに踊れるんだ!」という嬉しい発見。

2月   △トム・プロジェクト「案山子」(下北沢本多劇場)<近藤正臣、田中美里>

        戦争が終結したにもかかわらず、案山子の兵隊をおとりに上陸した米兵と戦おうとする集団のお話。田中美里演じる戦争未亡人は、髪を切って入隊を志願して断られ、義父とともに案山子の軍隊を率いるのだが、国防婦人会の竹槍訓練やバケツリレーには、冷静な批判を加える理性を残している。ある集団に帰属することで自分の「居場所」を見つけた人々が、その所属する集団のおかしさに半ば気づきながらも、そこから離れられない怖さを感じさせる。

        △劇団NLT「OH!マイママ」(旭川市公会堂)

         正統派のフランス喜劇。比較的展開も読みやすく、演劇鑑賞団体向けの演目ではある。20年以上前の初演の頃とは、性同一性障害についての捕らえられ方が大幅に変わり、しんみりとした味わいが加わったと思われる。

         ○Bunkamura「もっと泣いてよフラッパー」(シアターコクーン)<松たか子、松尾スズキ、りょう、串田和美>

         20年代のシカゴを舞台に大人のエンターテインメントに徹したかつての「自由劇場」の代表作品。3時間20分の長丁場だが理屈抜きに楽しめ、長いと感じさせない。松たか子さんを間近に見られて感激。串田和美さんの世界に迷い込んだような松尾スズキさんが、一際可笑しい。

                                                                                      (くまちん)

 



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 日弁連の地域司法シンポジウムが、明日3月6日木曜日の午後1時半から5時まで船橋グランドホテルで開催される。なぜ船橋か? 何も船橋ヘルスセンターの跡地を見学して「8時だよ全員集合」が収録された昔を偲ぼうというのではない(←言うことが古い)。

 船橋市と市川市、浦安市は、千葉地裁・家裁本庁の管轄だが、家裁事件は基本的に市川の出張所が担当する。しかし、事件によっては本庁に行かなければならないなど、出張所として扱える事件に限界があり、ややこしい。例えば、離婚調停は市川で出来るが、調停がまとまらずに訴訟になると千葉家裁に行かないといけない。また、出張所の管内である三市の人口は合計約125万人もあるので、出張所ながら水戸家裁本庁や宇宮家裁本庁並みの事件が押し寄せている。そのため市川出張所では慢性的に調停がパンク状態である。市川の調停委員さんたちの団体は、これまで出張所を支部に昇格させて欲しいという運動を地道に展開してきた。そうすれば裁判所の人的物的条件は良くなるだろうし、支部で殆どの事件が扱えて住民の利便は増すからだ。ことは家裁に限らず、民事事件についても、市川には簡裁しかないので、140万円を超える事件は千葉地裁本庁に行かなければならない。これも支部になれば市川で扱えるようになるのだ。日弁連としてもこうした動きを盛り上げようと今回のシンポジウムを開催するものである。そして、ここに全国各地で支部新設・復活を希望している人たちが集結する。

 司法予算もなかなか増えない中、都市周辺住民のために支部を作ると、逆に過疎地の小さい支部が廃止されるのではと危惧する声もあるが、そもそも司法予算がこんなに少ないのがおかしいのだ。

 当日は、コント集団ザ・ニュースペーパーの浜田太一さんと山本天心さんが、コントを披露する予定である。浜田さんが簡裁・出張所管内から本庁に通う住民の苦労をパントマイムで表現されるそうなので、楽しみにしている。

 とにかく肩のこらないシンポジウムなので、飛び入り参加大歓迎。懇親会もあります。

                                                              (くまちん)



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  従来より時期を短く区切り、個別に寸評を入れることにした。上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  11月

   ○ぴあ「秋のソナタ」(東京芸術劇場シアターイースト)<佐藤オリエ、満島ひかり>

    母子関係の愛憎物は、どうも私にはピンとこないテーマだが、テレビ・映画の仕事に恵まれた満島ひかりが、こういう舞台で佐藤オリエというベテラン女優の胸を借りようとする姿勢を高く評価したい。シンプルな舞台装置が、色んな物に置き換えられて展開していく舞台の魅力を味わえた。

   ◎愚安亭遊佐ひとり芝居「こころに海をもつ男」(旭川市まちなかぶんか小屋)

    この人の舞台「人生一発勝負」を旭川で初めて見たのは、もう20年前。もう一度見てみたいと思っていた願いがついにかなえられた。故郷下北半島の開発にまつわる歴史を描くシリーズのひとつで、むつ小川原開発の裏側で何があったのかを、その渦中に巻き込まれた男の半生記の形で印象的に語る舞台。2時間ひとり芝居を決して退屈させることなく演じきる熱量に敬服。1月18日放送予定の「日本人は何を目指してきたのか 第7回下北半島」にも注目されたい。

   ○青年団「もう風も吹かない」(吉祥寺シアター)<志賀廣太郎>

    平田オリザ作品の鑑賞は初めて。平田作品の特徴を想田和弘監督の著書「演劇VS映画」で予習してから鑑賞したが、特別な違和感はなかった(開演前から舞台で俳優が演技に入っているのは驚いたが)。平田氏が青年海外協力隊の制度改革についての諮問委員を務めた経験から生まれた作品で、2025年に貧しくなった日本からの最後の派遣となる青年海外協力隊候補生の群像劇。10年前の作品が今日ますますリアリティを増している。沖縄出身という設定の志賀廣太郎さんの台詞が胸に迫る。制度の谷間で翻弄され、存在意義に悩む青年たちの姿に、わが業界の様相がかぶり、芝居に入り込めない自分が居た。

   △テアトル・エコー「ハレクイネイド」(恵比寿エコー劇場)

    「ロミオとジュリエット」を演じる劇団の中で起こるドタバタ劇。少し前に「上岡龍太郎 話芸一代」の付録CDで「ロミオとジュリエット」のあらすじをおさらいしておいたのが、役に立った。笑。裁判離婚しかなく(協議離婚は許されない)重婚罪があるという制度を前提に成り立つイギリス喜劇。「演劇の社会的意義」と言いながら、実際は世間知らずの役者バカ、という自嘲的な毒を含んだ笑い。我が業界にも当てはまったりして。

   △「シダの群れ3 みなとの女歌手編」(シアターコクーン)<小泉今日子、小林薫、阿部サダヲ、吹越満、市川実和子>

    ドンパチのある任侠物は、ちょっと苦手だが、生バンドで小泉今日子が歌い、市川実和子が踊るだけで満足。テレビを見ない生活をしているヤクザもの(阿部サダヲ)に対して、別のヤクザが「テレビ見ないってとこは、何か考えているんだろう。俺なんか、40年間、考えないためにずっとテレビを見てきた」という台詞に「今」を感じて、笑ってしまった(本当は笑えないのだが)

12月

   △「マクベス」(シアターコクーン)<堤真一、常盤貴子、風間杜夫、白井晃>

    少し前に録画した野村萬斎版「マクベス」(随分と登場人物をカットしている)を見ておいたことが鑑賞の助けになった。登場人物の一部は現代のサラリーマン風の衣装で、ビニール傘の剣で闘うという斬新な「マクベス」。お客の2人に1人は舞台に参加できるという「趣向」だが、残念なのは「マクベス」を知っている人にはその「緑色のビニール傘」の意味がすぐに分かり、またそれほどの効果を上げているとも思えないことだ(むしろ、視界を遮ってその時のマクベスの表情が見にくい)。パンフレットは、翻訳者松岡和子さんの舞台裏話や岩波明さんのマクベス夫妻の精神分析、中野京子さんの「魔女話」など充実していた。

   ◎文学座「大空に虹がかかると私のこころは躍る」(紀伊國屋サザンシアター)

    2013年に入って、なかなかこれという舞台が無かったなあというフラストレーションを一気に晴らしてくれた。2013年の私のベストワン。大津市中学生いじめ事件に材を取った鄭義信作・松本祐子演出の渾身の作品。雑誌「悲劇喜劇」2014年1月号に脚本が掲載されているので、興味のある方は是非読んでいただきたい。近日廃業の地方都市の映画館が舞台。素晴らしい芝居は、無駄な登場人物がいないことが必須条件であるが、まさに7人の登場人物が活きている。うち2人は、道化的役割かと思わせて現れながら、徐々にその背景が物語の本質に絡んでくるので、感情が大きく揺さぶられるのだ。

    劇団銅鑼「はい、奥田製作所」(旭川市公会堂)<鈴木瑞穂>

    東京大田区の町工場を舞台にした群像劇だが、登場人物が多すぎる上に、その関係性の把握に苦労して、なかなか芝居に入り込めない。脚本に難があるのか。昨年鑑賞した同じ劇団の「からまる法則」が良かっただけに(同様に登場人物は多いが、松本祐子演出の良さもあってそうした苦労がない)、少し残念な感がある。大田の工場主たちが、この芝居を上演するときに、結末がご都合主義的なので変えて演じたというエピソードも宜なるかなと思う。弁護士としては、どうしても「倒産寸前の状態になるまでに相談に来て欲しいなあ」と思ってしまう。

   △シス・カンパニー「グッドバイ」(シアタートラム)<段田安則、蒼井優、高橋克実、山崎ハコ>

   北村想が、太宰の未完の遺作「グッドバイ」を下敷きに、太宰テイストで作劇した作品と言うことだが、これって果たして太宰風だろうかという違和感がまずある。蒼井優の河内弁は、健闘してはいるものの、やはり関西ネイティブの耳には違和感が否めず、どうしても劇に入り込みにくい(蒼井優が河内出身になりすましているという設定ではあるのだが)。流しの歌手役の山崎ハコの歌声を生で聞けたのは収穫。

   △直人と倉持の会「夜更かしの女たち」(下北沢本多劇場)<竹中直人、風吹ジュン、中越典子、マイコ、篠原ともえ、安藤玉恵>

    竹中直人が、多彩な女優とからむというだけでワクワク感はあるのだが、期待が大きすぎたか。同じ時間を第1幕と第2幕で背中合わせの別の場所から描くという設定は大変面白いのだが。美しい女優さんが目白押しだが、やはり下北沢で舞台経験を重ねた安藤玉恵が、役柄設定のはまりもあり、生の舞台では光る。

 このほか、劇団民藝「八月の鯨」(三越劇場)を観劇予定だったが、飛行機の欠航で見逃したのが残念。6月に旭川市民劇場で鑑賞できるのを楽しみにしている。

2014年も、多くの舞台と感動に出会えることを心の糧に、仕事に励みたい。

                                                                                    (くまちん)



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  観劇記録も半年に一回だと大部に過ぎるので、これからは4か月ごとにする。上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ○は大満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  7月△こまつ座「頭痛肩こり樋口一葉」(紀伊國屋サザンシアター)<小泉今日子、熊谷真実、若村麻由美>

     △パルコ「非常の人何ぞ非常に-奇譚 平賀源内と杉田玄白」(パルコ劇場)<佐々木蔵之介、岡本健一、篠井英介>

     △新国立劇場「象」(新国立劇場小劇場)<大杉漣、神野三鈴、山西惇>

      キャラメルボックス「雨と夢のあとに」(サンシャイン劇場)

  8月 劇団民藝「どろんどろん」(旭川市公会堂)

      角角ストロガのフ「ディストピア」(吉祥寺シアター)<いしだ壱成>

    △二兎社「兄帰る」(東京芸術劇場シアターウエスト)<鶴見辰吾、草刈民代>

  9月 M&Oプレイズプロデュース「悪霊-下女の恋」(本多劇場)<平岩紙>

    △ライズ・プロデュース「SENPO」(新国立劇場中劇場)<吉川晃司>

    ○風琴工房「hedge」(ザ・スズナリ)

    △シス・カンパニー「かもめ」(シアターコクーン)<大竹しのぶ、蒼井優、野村萬斎>(オペラグラスを忘れたのが大失態!)

 10月○こまつ座・ホリプロ「それからのブンとフン」(天王洲銀河劇場)<市村正親、小池栄子、山西惇>

    ○ホリプロ・こまつ座「ムサシ」(彩の国さいたま芸術劇場)<藤原竜也、白石加代子、六平直政>

    △こまつ座「イーハトーボの劇列車」(紀伊國屋サザンシアター)<井上芳雄、辻萬長、木野花>

     可児市文化芸術振興財団「秋の蛍」(吉祥寺シアター)<渡辺哲、小林綾子>

    ○文学座「殿様と私」(旭川市公会堂)<たかお鷹、加藤武>

     青年座「夜明けに消えた」(青年座劇場)

以上、17本にもなる。

この中から、印象に残った三本に絞って感想を(7月の「象」の感想は、別途ブログに書いている)。

  「hedge」―毎回、東京で芝居を見ると、イヤと言うほどの数の他の芝居等のフライヤー(いわゆるチラシ)をいただく。その中から、全く名前を聞いたことのない劇団であっても、題材やチラシの雰囲気から何となく惹かれるものがあって、予約することがある。これもその1つで、なおかつ大当たりだった。良い作品というものは舞台セットを見たときからピンとくる時があるが、これはまさにそれで、小さなドアを縦横にいくつも配列した舞台装置がすばらしい。そこにおよそ経済的なこととは縁の薄そうな(失礼!)素の男優たちが10人登場。いきなり経済学教室のようなことが始まり、そのうち1人、2人と劇中の登場人物に扮していき、いつの間にかエクイティファンドをめぐる群像劇が展開されていく(劇の題名はヘッジだが、ヘッジファンドについては説明されるだけで劇の本筋では無い)。社会問題を取り上げながら、それを「演劇」としてキチンと見せることに成功することは非常に難しいと感じているが、この舞台はそれに成功している。「風琴工房」は、社会問題を積極的に創作劇として上演されているそうなので、今後もチャンスがあれば観劇したい。

  「それからのブンとフン」―現在新潮文庫に入っている井上ひさしの「ブンとフン」は、ナンセンス小説の元祖とも言うべき作品であり、この作品も「それからの」とは言いながら、冒頭から三分の二あたりまでは小説そのままの内容のナンセンスさで展開される。しかし、後半三分の一の劇化に当たって加筆された部分から、一気に井上ひさしの天才劇作家としての手腕が炸裂する。問題はそのつなぎ目の刑務所及びそれをめぐる騒動の場面とその後のゴビ砂漠の場面があまりつながっていないことだが(ブンはどうやって出獄したんだ?)、そんなことはどうだって良いと思わせる。75年に書かれたとは思われない表現の自由に対する危機感にあふれた展開は、昨年末に鑑賞した遺作「組曲虐殺」につながるものを感じさせ、フン先生が小林多喜二に見えてくる。井上ひさしの昭和の作品を鑑賞する度に、「これ、本当に昭和に書かれたのか」「良い作品は古びない」という思いにとらわれる私である。

  「殿様と私」―マキノノゾミ作品は、旭川で見た他の二作品(「赤シャツ」「東京原子核クラブ」)がいずれも印象的であったので期待していたが、前評判に違わない作品だった。たかお鷹さんの殿様像には、色々異論もあるようだが、私には「適役」に思えた。殿様は実は自分の「古さ」を分かっているのだ。でも立場も意地もあり、それを素直に認められないのだ。その「心」が伝わって来て、後半の私は殆ど泣きっぱなし。この作品は、市販の単行本「赤シャツ/殿様と私」で脚本を読んでから鑑賞したのだが、脚本を読んだときはハッキリ言ってそんなにピンとこなかったものが、実際に鑑賞して「ああ、なんてこの脚本には無駄がないんだ」と感激した。和洋折衷の座敷で繰り広げられる和洋の登場人物のすれ違いと交流を、うまく描いた演出と舞台装置にも感銘した。

11月以降も、多くの舞台と感動に出会えることを心の糧に、仕事に励みたい。                   (くまちん)

 

                                                      



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昨日見た新国立劇場の「象」。まず舞台一面の4トンもの衣類に圧倒される。登場人物は常に不安定な足元に立つことを強いられ、それが別役戯曲の世界観にも通じている。2010年の上演からの舞台装置で、特に震災を意識したものではないようだ
登場人物は、パタリと倒れると、この衣類の山の中に同化して、一瞬にして舞台装置の一部になってしまう。そこが斬新。暗いのでうっかり潜伏している役者の足を踏んでしまうこともあるそうだ。役者が舞台で怪我をしないように、新国立劇場の研修生が全ての衣類のファスナーやボタンを外しているという。凄い作業量だ
何と言っても、主役の大杉漣さんの熱量に圧倒される。そして、ジュノンボーイの木村了君も失礼ながら意外な健闘。私たち夫婦の大好きな神野三鈴さんが、大杉さんの妻役で、不思議な存在感を放っている。神野さんが舞台の衣類を抱き上げて子どものようにあやすシーンは、別役原作には無いが、心に残る。
大杉さんが、舞台後のトークショーで、役者は舞台での表現が全てで、舞台で出し尽くしたら早く帰りたい、トークショーなんてやりたくない旨を発言し、司会者を困らせていた。笑
別役実の「象」の初演は1962年、私の産まれた翌年。今回公演のパンフレットで、別役さんが初めて「象」というタイトルの理由を踏み込んで明かしている。キーワードは「寂寥感」である。  (くまちん)



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  今年も昨年同様、芝居漬けの日々である。昨年から闇雲に芝居を見始めた経緯と観劇記録については、既にホームページ用の原稿として提出してあり、そのうちアップされるだろうから、そちらで読んでください。

   上半期の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ○は大満足、△まあ満足

    <>内の出演者は、あえて一般的な知名度のある方に絞ってます。あしからず

  1月△TBS・ホリプロ「100万回生きたネコ」(東京芸術劇場プレイハウス)

         <森山未来、満島ひかり>

2月 WOWOW他「テイキングサイド-ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日」(天王洲銀河劇場)

         <平幹二朗、筧利夫>

   テアトル・エコー「フレディ」(旭川市民文化会館大ホール)

3月○劇団銅鑼「からまる法則」(六本木・俳優座劇場)

   劇団猫のホテル「あの女」(下北沢・ザスズナリ)

  △新国立劇場「長い墓標の列」(新国立劇場小劇場)<村田雄浩>

  ○Ring-Bong「あとにさきだつうたかたの」

      (小竹向原・サイスタジオコモネAスタジオ)

   △加藤健一事務所「八月のラブソング」(下北沢・本多劇場)

    <戸田恵子、加藤健一>

   △劇団山の手事情社「ひかりごけ」(御茶ノ水・文化学院講堂)

  4月○こまつ座「木の上の軍隊」(渋谷・文化村シアターコクーン)

     <山西惇、藤原竜也、片平なぎさ>

     青年座「つちのこ」(旭川市公会堂)

    ○地人会新社「根っこ」(赤坂レッドシアター)<渡辺えり>

     △新国立劇場「今ひとたびの修羅」(新国立劇場中劇場)

        <堤真一、宮沢りえ、風間杜夫、小池栄子>

     新国立劇場「効率学のススメ」(新国立劇場小劇場)<豊原功補>

     アンフィニの会「あかちゃん、万歳!」(銀座みゆき館劇場)

  5月 「いやむしろ忘れて草」<満島ひかり>(青山円形劇場)

         こまつ座「うかうか三十、ちょろちょろ四十」(紀伊國屋サザンシアター)

        <藤井隆、福田沙紀>

     新国立劇場「アジア温泉」(新国立劇場中劇場)<勝村政信>

  6月 新国立劇場「つく、きえる」(新国立劇場小劇場)<谷村美月、田中美里>

          M&Oプレイズプロデュース「不道徳教室」(シアタートラム)

          <大森南朋、二階堂ふみ、岩松了>

     新派「新釈金色夜叉」(日本橋・三越劇場)<風間杜夫、水谷八重子>

     こんにゃく座「ネズミの涙」(旭川市公会堂)

    △熱海五郎一座「天使はなぜ村に行ったのか」

         (サンシャイン劇場)<三宅裕司、渡辺正行、浅野ゆう子>

  

以上、23本にもなる。

この中から、印象に残った三本に絞って感想を。

  「からまる法則」―女性弁護士が主人公の芝居である。だからというわけではないが、なかなか良い。演出は文学座の名作「ぬけがら」でその才能を示された松本祐子さん。冒頭のホームレスのおじさんと主人公のやりとり、それに対する他の登場人物の反応から、登場人物たちの対立構造、状況設定を観客に即座に悟らせるところが、非常にうまい。普通観客たちが舞台冒頭のようなホームレスのおじさんの行動を見たときには、むしろ主人公のような反応をしてしまうだろうところ、その対応が他の登場人物に批判され、登場人物主流派の立ち位置が鮮烈に明らかになる。舞台はホームレス支援活動の拠点となっている一軒の民家。ここで全ての物語が展開していく。ホームレスになってしまい支援を受ける人、支援活動に携わる人、それぞれの人生が描かれ、からまっていく。そこに近隣住民の反対運動(いかにもなオバサンが笑える)や行政の介入。現代的な問題点が観客に突きつけられる。

冒頭、主人公が絡まり合ったハンガーに異常な恐怖心を抱くシーンが舞台のテーマを象徴している。人は社会に生きる限りは、誰も他人と関わらずには生きていけない。しかし、生きていく中でどうしても他者の言動に傷つき、それを恐れて人と関わることを避けようとしてしまう。大抵の人はうまく折り合いをつけて生きていくのだが、どうしても傷ついた過去を引きずって臆病に、あるいは極めてドライに生きている人もいる。一方で、人を突き放した過去に対して贖罪するように、過剰なまでに他者を支えることに生きがいを見出す人もいる。主人公の女性弁護士は、企業側弁護士としてドライに生きていくことを選び、当初主人公と対立するボランティア学生は、後者の立ち位置であることが明らかになっていく。他にも多様な登場人物がいて、それぞれからまりあい、支え合って、新しい関係性を築いていく過程が同時進行的に描かれていく。

弁護士としては、企業側顧問弁護士としての主人公の設定が、ややステレオタイプなのが気にはなるが、企業側弁護士からの視点もうまく活かされていて、許容範囲かと思う。

 「木の上の軍隊」-既にブログに感想をアップした。5月4日にNHKスペシャルでも一部が放送された。

http://blog.goo.ne.jp/j-j-n/e/ae327a6d48ff62548068cb27d63bf1b9

 「根っこ」-イギリスの農家の話。50年代にイギリスで書かれた脚本だが現在にも全く古びていない。ロンドンで社会主義者と交際して実家に戻ってきた娘(占部房子)は、婚約者の知識や論理を振り回して田舎の風習に埋没している家族を批判するが、最後に渡辺えりさん演じる母親から反撃される。愚直に農民の妻として生きるしかなかった母親が、精一杯に生きてきた自分の来し方や娘への愛情を語る姿が観客の胸を打つ。しかし、ここで終わらないのがこの芝居。今度は「農民の家に生まれながら、私には根っこがない」と気づいた娘が、婚約者の言葉ではなく、自分の言葉で、私たちは自分たちの生活の「根っこ」を問いながら生きているだろうか、世の中の色んなシステムを突き詰めて考えて生きているだろうかと問いかけ始める。娘の自立に向けたメッセージが、今度は観客に突きつけられるのだ。母親の愛でグッとつかんで感じさせて、一転突き放して考えさせる良い芝居。

 

2013年後半は、7月のこまつ座「頭痛肩こり樋口一葉」から観劇をスタートさせる。「あまちゃん」で大活躍の小泉今日子さんのやさぐれ一葉と若村麻由美さんの幽霊を間近に観られるので今からワクワクしている。下半期も、多くの舞台と感動に出会えることを心の糧に、仕事に励みたい。                    (くまちん)

 



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 裁判所予算が大幅に減っている。三権の一翼と良いながら、その予算規模は国家予算の1%を超えたことが無く、平成20年の0.394%からついに0.323%にまで低下し、額としても3000億円の大台を切ってしまった。弁護士会などは、せめて国家予算の1%程度を確保して、裁判官や職員の増員をするなど、人的物的設備の増強を求めているのだが、財務省の扉は固いようである。

 減った原因は主としては人件費削減(今次震災等を受けた俸給削減)であり、元々裁判所予算において人件費が大きな割合を占める以上、納得はしがたいものの、やむを得ない面があろう。だが、その他では「情報処理業務庁費」というものが大幅に減っている。それも「裁判所の事務処理に必要な経費」と言うくくりの中のその費目は減っていないが、「裁判運営の充実に必要な経費」と言うくくりの中のその費目が大幅に減っている。これって何?と思って概算要求の中身などをチェックしてみたら、昨年度に行っていたIT関係の投資が終わったので、その分がさっくりゼロになっているようである。

 日本裁判官ネットワークでは、先日、シンポジウム「地域司法とIT裁判所」を開催し、日本の裁判所のIT対応が他国に比べて絶望的に遅れていること、それが過疎地の支部等の弁護士業務に多大な負担をかけていることを明らかにした。裁判所としても、ひとつのプロジェクトが終わったからと言って、IT関係予算がガタッと減るというようなことでは、ますますIT化の遅れは絶望的になってしまう。

 今から色んなプロジェクトを始動して、将来に向けて着実に予算を確保していかなければ、いざというときに裁判所に必要な予算が確保されないのでは困る。浅見裁判官は、昔のシンポジウムで、裁判官は霞ヶ関のキャリア官僚に比べてしたたかさが足りない、と指摘しておられた。せっかく有能な判事補を他省庁に出向させているのだから、そうしたノウハウも着実に前進させて欲しいと願わずには居られない。

                                                 くまちん



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 朝ドラ「あまちゃん」にはまっている。7時30分にBSで見て、8時に地上波で見て、家で昼食をとる時には12時45分に地上波再放送を見て、家で夕食をとるときには少し前の回を録画で復習する。これで7時15分のBS再放送の枠で予定通り「カーネーション」が再放送されていたら、仕事に多大な影響を受けたに違いない、と安堵している。その「カーネーション」以来のドはまりである。

 「カーネーション」は細かい演出の妙で、見直す度に発見と深みが出るドラマだったが、「あまちゃん」にはそこまでの深みはないものの、クドカンテイストのベタベタな笑いと我々の年代が喜ぶ仕掛けが随所にあって、十分に楽しめる。何と言ってもとても実年齢19歳とは思えない能年玲奈さん(ちなみに友人役の橋本愛さんは設定通りの実年齢17歳)の「今どきこんな透明感のある子をどこで探してきたのか」と思わせる魅力と、時折見せる女優としての非凡さの片鱗がすごい(夫婦ともに能年さんを応援していますので、ご心配なく。笑)。そしてヤサグレ感満載の母親役小泉今日子さん。舞台出身の個性派俳優を集めた脇役陣のスパイシーな豪華さ。

 東京から母親の故郷に連れてこられた主人公は、海女として地域に溶け込み、ご当地アイドルとして人気を博したばかりか、「海女cafe」を企画立案するほど、地域にとって不可欠の存在となる。私自身が、東京地裁の判事補を辞めて弱小弁護士会の23人目の会員になった頃、そして入会4,5年目には当番弁護拡大やひまわり基金法律事務所誘致の取り組み、民暴大会や道弁連大会等の企画立案等で「この会を支えている」という充実感を味わっていたことが思い出されて、グッときてしまう(その私も、今や会員70人を超えた当地の弁護士会では「早く顧問先を置いて死んで欲しい爺リスト」に名前を連ねているわけだが)。

 さて、ドラマはこれからが正念場。まず、ここまで地域に定着し生き生きと活動している主人公が北三陸を離れて上京する理由にあと2週間でどうやって説得力を持たせるかが、クドカンにとっては最初のハードルになるだろう。そして7月からの、アイドルグループGMT47が舞台となる東京編。アイドルオタクドラマに堕することなく、どうやってここまで付いてきた中高年層を引きつけられる展開にしていくのか。鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)がキーパーソンになりそうだ。最後は震災をどう描くのか。ここでは、随所に登場した鉄拳のアニメーションが軸になりそうな予感がする。

 あと三ヶ月ちょっと、ワクワクする朝が続きそうである。                          (くまちん)

 



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本日、渋谷のシアターコクーンで、こまつ座の「木の上の軍隊」を見てきました。この劇は、井上ひさしさんが生前、沖縄の伊江島で第二次大戦の終結を知らないまま、ガジュマルの木の上で2年ほど生活した2人の兵隊の話を元に、構想を温めていたものを、蓬莱竜太さんが戯曲化したものです。

山西惇さん(「相棒」でいつも特命係にちょっかいを出しに来る人と言えば分かるでしょう)、藤原竜也さん、片平なぎささんの3人芝居。ハッキリ言えばそんなに期待していなかったのですが、良い意味で裏切られました。

故郷が戦場になるということがどういうことなのか、沖縄の人の本土の人に対する屈折した感情が、藤原さんのセリフでわかりやすく切々と語られます。本土からやってきた上官役の山西さんの「変容」ぶりの演技が、また素晴らしい。2人の兵隊の眼前に現状の沖縄の米軍基地が浮かび上がってくるようで、重い問いを投げかけられる芝居です。

演劇マニアには、序盤の片平さんの過剰なほどの説明台詞での進行は、ちょっと違和感があるかも知れませんが、「これはこれでありかな」と思わせるほど、片平さんの合いの手でリズムを作り、後半の2人の兵隊の対決につながっていく巧みさ。

ホリプロとのタイアップ公演ということでキャスティングされている片平さんも、良い意味で裏切ってくれました。「不思議なガジュマルの精」がそのまま年を重ねたような役のイメージがはまっており、終盤にはオーラを放っていました。私の中で「俳優・片平なぎさ」の評価がグンと上がりました(笑)。

シアターコクーンで今月29日まで、その後5月3日から6日に天王洲銀河劇場で上演されます。機会があれば、できるだけ多くの方に観ていただきたい芝居です。

蓬莱さんの脚本は、雑誌「すばる」の5月号に掲載されています。是非お読みいただきたいと思います。

 

PS 井上ひさしさんの名作「頭痛肩こり樋口一葉」が今年再演されるそうです。しかも小泉今日子さん、熊谷真実さん、若村麻由美さん、三田和代さんら豪華メンバー。これは是非観たい。



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 裁判所は人事の季節である。既に転勤予定の裁判官には次の任地が内示され、そろそろ裁判所内の一定範囲で公になり、次の任地についての情報収集等がなされる一方、転勤前にフルスロットルで仕事を片付けておられるころである。

 そういう一般的な意味とは別に、今年は裁判所にとって大きな「人事の節目の年」となりそうだ。今年正月現在で高裁長官であった8人の方のうち6人が今年中に65歳の定年を迎えられるからである。今月一足早くに、大阪高裁の佐々木茂美長官が定年を迎えられ、札幌高裁の山崎恒長官が定年を待たずに依願退官されたが、この後も4人の方(※)が続々定年を迎え、しかも定年日は10月、11月に集中しており、そのあたりで玉突き的に大きな人事異動がありそうだ。

各高裁長官と65歳定年を迎える誕生日を列記すると以下の通り

 東京高裁長官  ※吉戒修一  2013/07/07

 大阪高裁長官   永井敏雄  2014/07/13

 名古屋高裁長官  山崎敏充  2014/08/31

 広島高裁長官   西岡清一郎 2014/09/28

 福岡高裁長官  ※中山隆夫  2013/10/11

 仙台高裁長官  ※一宮なほみ 2013/11/22

 札幌高裁長官   大橋寛明  2014/11/09

 高松高裁長官  ※出田孝一  2013/11/29

更に、これに裁判官出身の最高裁判事の70歳定年の日を重ねると興味深い。

 竹崎博允  2014/07/07

 白木 勇  2015/02/14

 金築誠志  2015/03/31

 千葉勝美  2016/08/24

 大谷剛彦  2017/03/09

 寺田逸郎  2018/01/08

 つまり、裁判官出身の最高裁判事のうちで最も70歳の定年が近いのは竹崎長官であり、彼が定年を迎える来年7月7日まで高裁長官の座にいないと、最高裁判事の椅子にはたどり着けないのだ。したがって、※の4人の方には残念ながら最高裁判事の目はなく、残りの4人プラス※の後継者で1つの椅子を争う構図となるのだが、4人とも次の白木さんの定年前に65歳になるのでラストチャンスでもあるのだ。そして、着任間もない2人とまだ見ぬ後継者は事実上除外され、おそらく山崎敏充長官と永井長官のマッチレースとなるだろう。吉戒長官の定年後の東京高裁長官にどちらが座られるかが着目点である。

 裁判官も定年が近くなると、こういうことを否応なく考えるのである。そして自分に番が回ってくるという自覚と自信がある人は、その立場になった時のことを考えて日々行動しておられる。それが裁判所の組織としての強みとは言えるだろう。(くまちん)



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