1 ある解決済みの事件である。別居中の若い夫婦の離婚調停事件で,調停申立前に,母と暮らしている生後数か月の子供と夫とが,2週間に1回の割合で面会(面接交渉)してもよいという口頭の合意が成立していた。離婚する場合には夫は自分が親権者になると強く主張して譲らないが,子供がごく幼いことから,それは到底無理であることが明かなケースである。
2 調停期日前の第1回目の面会日の直前に,夫が妻に相談することなく,自分と子供の住所を,それまでの妻の実家から夫の実家に移したため,妻は面会により子供を夫の実家に連れて行くことを認めると,子供の住所が夫の実家となっているのだから子供はその住所地に住むべきであると主張して,夫が子供を妻の元に返してくれないのではないかと心配した。そこで妻は約束した面会を拒否することにしたところ,夫から抗議の内容証明郵便が来たので,困った妻が私に相談し,私が代理人となり,夫宛ての内容証明郵便で返事を書いた。近く第1回目の調停期日が決まっていたので,その席で面会をどうするか決めようという内容であった。
3 その後私は妻の代理人として,妻と共に第1回目の調停に出席し,とり急ぎ面会をどうするかに絞って決める必要があることを調停委員に説明し,面会の都度子供を間違いなく妻の元に返すことを約束することを夫に求めたところ,夫もそれには応じるという。私はこの案件は,将来子供の奪い合いで,人身保護請求事件に発展する恐れもあると考えたので,夫が「面会の都度子供を間違いなく妻の元に返すと約束したこと」を中間合意として調停の期日調書に記載することを求めたところ,調停委員は,おそらく書記官にその話をしたものと思われるが,それはできないという回答であった。
4 しかしこのような手法は,裁判官によってはしばしば活用していることであって,裁判官や書記官がそれができないという態度を取った理由はよくわからないが,私には,「法律上不可能ということではありませんが,裁判所の負担を増やすことはしたくないのでしません。」と答えたように聞こえた。
5 人身保護請求事件では,以前最高裁は,別居中の夫が妻の元から子供を連れ去った場合に,夫も親権者であるにもかかわらず,妻からの子供の引渡請求を容易に認めていたが,平成5年の判決で判例変更し,夫も共同親権者として親権者であるから,夫による子供の監護も原則的には適法であって,夫による子供の監護・拘束が顕著な違法性を有するためには(同法規則),子供の幸福に反することが明白であるという特段の事情が必要であるとした。更に最高裁は平成6年の判決で,共同親権者が幼児引渡を命ずる仮処分等に従わない場合などには,顕著な違法性があるとの判断を示したのである。
6 したがって本事案においても,妻の側から将来子供の引渡を求める仮処分が必要になった場合に備えて,共同親権者である夫が,面会が終われば,その都度必ず母の元に子供を返すという約束をしていたこと,その約束に反して子供を返さないことを証明(疎明)することが必要になった場合に,調停調書が重要な機能を果たす可能性があったものである。
7 そこで私は,それまでの別々に調停を進める別席調停から,同席して調停を進める同席調停にすることを求めて,夫に直接確認したところ,間違いなく子供を返しますという。そこで私はやむなく「合意書」を作成すると申し出て,それを予め夫の元に郵送し,夫がその合意書に署名押印して,面会の日に妻の元へ持参することになり,面会問題はとりあえず解決し,面会は成功裏に繰り返された。1か月先の次回調停期日までに2回面会し,その都度子供を妻の元に返すことを確約するという内容の合意書を私が作成し,事件の解決まで,その作業を繰り返すことになったのである。面会の方法について細かく記載したり,子の健康に留意すべきことなど,やや細かなことも書き加えたため,いささか面倒な合意書ではあった。
8 調停の期日調書に,中間合意事項として記載することを求めた内容は,夫が妻に「面会が終わればその都度必ず母の元に子供を返すと約束をした」ことだけであるから,わずか1行か2行で済む作業であり,裁判所の負担といっても大したことはない。他方で,その内容を調書に記載することは,調停が顕著に役に立つ場面であるし,調停が重要な機能を果たしていることを証明するよい機会ではないかと思う。当事者も裁判所に感謝するであろうし,調停委員もよい仕事をしているという実感を持つことができるに違いない。裁判官や書記官としても,仕事のやり甲斐を感じる場面でもあるだろう。また私も弁護士として,合意書を2か月分の面会のために2度作成し,その都度1時間余りを必要としたが,調停の一場面において,弁護士として役に立つ仕事をしていることに満足感を覚えつつも,裁判所も負担軽減を最優先するのではなく,もっと前向きに可能な限り国民に役に立つ裁判所になろうという姿勢を持って,いろいろと工夫することが必要なのではないかという強い思いを抱いたのである。(この項続く・・ムサシ)
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