日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



6 無罪が確定したものの,なぜ自分が逮捕され起訴されたのか合点が行かなくて,事件の真相を知りたいと考えた村木さんは,国と検察官個人を被告として損害賠償訴訟を提起したところ,被告らは非を認め,請求を認諾してしまい,村木さんの請求する金額が全て認められたため,事件の真相を審理するに至らず,またもや真相は分からないままで終わったのだそうである。検察庁も困って異例の対応をしたものであろう。
7 多くの事件で,検事は筋書を作って,その筋書の内容に沿った調書を作成しようとする。その筋書はどのようにして作られるかは明らかではないが,検事はその筋書を正しいものと決めてしまい,それに沿った供述をさせようとし,それに反する内容の供述を虚偽であると決め付けるのである。その筋書が正しければ格別問題はないかも知れないが,共犯事件などでは,自分の立場を有利にしようとして,他の共犯者を悪者にするために事実に反する供述をすることも少なくない。検事からみてその虚偽の内容が,検事にとって都合がよい場合には,その虚偽の話に飛びついて,それに反する内容を虚偽として受け付けないという対応をすることになり易い。しかし事件の真相は,立場の異なる多くの人の話を聞かなければ分からない筈であるのに,検事が都合のよいように勝手に筋書を作って,それに合致する内容で調書を作成しようとすると,調書の内容も間違うことになるし,誤判の原因ともなる。
8 村木さんの事件でも,検事の取調べにはいろいろと問題があったようである。例えば証明書を発行するように口利きをしたとされる国会議員が,肝心な時刻にはゴルフをしていたため,口利きなどは不可能であったこととか,当時の村木課長が証明書を交付したとされているが,現実には机の位置や周囲の構造から,筋書どおりには証明書の交付が不可能であるなど,検事の捜査は甚だ杜撰(ずさん)で裏付けを取っていないというのである。一体法律実務家としての検察官の生甲斐はどのようなものなのであろうか。
9 本書では,検事が「事実を認めて,早く事件を終わらせた方がよいのではないか。」とか,「共犯者はみんな認めているのに,なぜあなただけが認めないのか。」とか,事実に反する調書の訂正の申し出に応じず,署名押印を迫るなどの手法が書かれている。
 共犯者が認めたのは,否定しても聞き入れられず,やむなく事実に反する検事の筋書を認めされられた結果に過ぎないのであるから,「真実は何か」を追求するという視点からすると,何とまあ危うい手法が行われていることかと唖然とする。
 検事は,取り調べの対象者に,自らの筋書を認めさせるのではなく,真実を正直に話すことを求めて,それらを総合して真実に迫るべきであろう。
10 被疑者の供述を安易に信用して,易々と真犯人を取り逃がすようでも頼りないが,的確な捜査は現実にはなかなか困難な作業であろう。「例え十人の真犯人を逃すとも,一人の無辜(むこ)を処罰するなかれ」という法格言もある。
11  昭和60年ころ,刑事法の大家であった平野竜一元東大教授が,わが国の刑事裁判は「調書裁判」であるとして,「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」と書かれた。その意味は,警察や検察で作成される被疑者の調書は,弁護士の立ち会いもなく密室で作成され,警察や検察が描く被疑者を有罪とする事件の筋書を証明する内容として作成されるために,真実に反する内容となっていることが少なくないので誤判の原因になっており,その状況は「かなり絶望的である。」と述べたものである。(ムサシ)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




13 私は小学1年生から4年生まで,田舎の分教場に通学した。5年生と6年生は片道3キロ近い本校まで歩いて通った。分教場の同級生は10人で,小豆島の「24の瞳」よりも人数は少なかったことになるが,4年生までの総勢は約50人で,教室は2部屋しかなく,1年生と2年生は同じ教室で女の先生が,3年生と4年生は男の先生が担任で,同じ教室で2学年が1人の先生から別の科目の授業を受けるという,まるでおとぎ話のような生活をしたのである。
14 確か私が小学4年生のころのことであったと思うが,1週間程度の間に家で作文を書いてくるという宿題が出たことがあった。そしておそらく同級生10人が作文を書いて提出したのだと思う。その分教場では月に1回程度,4学年全員が集められて,先生が色々と有益で面白い話をされたが,その席で宿題として書いた作文を読むことになった。そして順番に各自の作文を朗読したが,姓のあいうえお順で私が最後に私の作文を読み上げたのである。
15 わが家の雌犬は,時々3~4匹の子犬を生んだので,その都度貰い手を探したが,田舎の農家では,既にどの家でも犬が飼われていたから,貰い手探しは容易ではなく,結局生まれて間もない子犬は,わが家の裏山の果樹園(柿山)の柿の木の根元に,父が穴を掘って,子犬を生き埋めにする以外には方法がなかったのである。先に穴を掘っておいて,母犬の目を盗んで子犬を穴に埋めて土をかけると,暫くは子犬の「クーン,クーン」という泣き声が聞こえてくる。父は子供たちがその残酷な場面を見ることを許さなかったので,私は子犬が穴に埋められるのを見たことはないが,母犬がおそらく埋められた子犬の泣き声と臭いから,その場所を見つけ出し,必死になって前足で土を掘るのを見たことがある。まだかすかに子犬の泣き声が聞こえていた。
16 私は,子犬を助けようとする母犬の必死な様子と,子犬の泣き声を聞いて可哀想になり,その場で大泣きをしたことがあった。そしてたまたまそのことを宿題の作文に書いたのである。
17 私は,みんなの前でその様子を書いた作文を読み上げたとき,悲しさがこみ上げてきて,途中から泣きじゃくりながら,やっとのことで作文を読み終えると,「ワーン」と大泣きしてしまった。するとそれを聞いていた子供たち全員が大泣きの大合唱をしたのである。2人の先生は,黙ってそれを見守っておられたような気がする。
18 妻と子供らは,大の猫好きであることは間違いないが,犬も好きである。子供らは,幼児か青春前期に子猫との生活が約1年だけ先行し,その後長女が学校の友人に頼まれて子犬を貰ってきた。そして長女も次女も家を出るまで,同時に犬と猫と暮らしたのであるから,犬も猫も同程度に好きだというかも知れない。妻も同様の生育歴を有しているが,自分では,「犬人間」か「猫人間」かよく分からないと言っている。
19 子犬や子猫を飼うと,とても可愛くて愛しく思う。このような子犬や子猫に,オイタを叱る程度を超えた乱暴をする人間はいないに違いない。そしてその愛しい思いは妻や子に対して抱く愛しさと変わりはないと思う。幼い頃から青春時代の間に,子犬や子猫と暮らしたことのある人が,結婚して暴力夫や暴力父親になることはないのではあるまいか。私は,この思いが揺らぐことは絶対にないだろうと,強く確信しているのである。(ムサシ)



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




8 最近の私は,起床前の10分間の「うつぶせ」が生活習慣として定着しているが,その時間は読書することにした。そうすると10分間はアッという間に過ぎてしまい,少し短か過ぎるので15分に変更したが,甚だ快適である。その間ジッとしているのではなく,10回程度腹部を上下させる運動を,少し間隔を置いて3回程度繰り返すことにしたが,そうすると起床時には毎朝腹痛状態になってトイレに駆け込んでいる。
9 私は幼いころから「快便児」だったのであるが,半年ほど前から「野菜を山ほど食べる健康法」を思いついて実行している。週日は無理であるが,土,日には鍋に入れた多量の水に,豚コマとカツオダシの素を入れ,大量のキャベツとモヤシを茹でて2日間で食べている。味ポンなど数種類の調味料を順番に使い,調味料を入れたお椀に適量の茹で汁を加えて味を薄め,七味トウガラシを加えると,野菜を大量に食べる喜びも手伝ってか,私には感動的な美味しさに思えるし,不思議なことに飽くこともない。また大量のキャベツとモヤシをメインとする野菜炒めも作っており,大体1週間交替で,土,日に自分で調理して熱心に食べている。野菜炒めの腕前も少しずつ上達してきた。
10 それに加えて,最近は2週に1回のペースで,某チャンメン店で「野菜タップリチャンメン」を食べている。週末の金曜日の夕食として,ビール付きであることが多い。掻き混ぜないで上から順次食べて行くと,ビールのつまみとして大量のキャベツとモヤシとその他の野菜を食べることになり,なかなかメンに辿り着かない。しかも美味しい。生ジョッキ2杯を飲んで完食すると,「生まれて来てよかった。」と思うほどである。しかしそうすると翌日は体重が増えることになるので,涙ながらにメンを少し残すというルールにした。川柳に「ちょっと待て その一口で 豚になる」というのがある。
11 どうやら私は何を食べても美味しい人間のようで,甚だ安上がりにできており,何を食べても,すぐに「美味しい」と言って感動する。妻に言わせると,精魂を込めて新しい料理を作っても,いつもどおりの平凡な「とても美味しい」というコメントなので,張り合いがないと言って怒っているが,私は「お買い得亭主であることの証拠だ。」とうそぶいている。
12 私はそれ以外にも,健康の基本として,できるだけ沢山の野菜と(果物も多めに)食べることにしている。ほうれん草や春菊の「ごまあえ」は得意料理であるし,月に1回程度は,新妻のごとく,料理の本に首っ引きで新料理に挑戦している。妻は笑いながら横目で見ていて,時折味見をしている。料理の本で見つけた「甘酢」や「酢味噌」の作成法に自己流の改良を加え,「特製甘酢」と「特製酢味噌」を作っておいて,毎日食べている。今や売り出せばヒット商品になりそうな美味しさに思える。甘酢からは,シラス入りキュウリ揉みや,更にキャベツスライスやゴーヤスライスを加えた「酢野菜」が美味しい。酢味噌にもシラスを加えるが,キューリや長芋のぶつ切りがマッチするし,茹でたホタルイカやタコブツも美味しい。また馬か兎のように3センチ程度の生ニンジンをマヨネーズで食べている。トマトもバナナもリンゴもぶつ切りで沢山食べる。
13 そうすると何のことはない。私がますます「快便児」になって行くのは,「うつぶせ法」もさることながら,食物繊維の大量摂取による当然の理論的結果に過ぎないのかも知れない。私は肉や魚も食べる人間ではあるが,野菜を山ほど食べる人間なので,「ベジタリアン」とか,「菜食主義者」ということにならないものであろうか。(ムサシ)



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 

きたる3月15日土曜日夜に「NHKスペシャル」の一環として「東京が戦場になった日」というドラマが放送される。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0315/

既に試写会で見た方によると、かなりリアルに東京大空襲の状況が再現されているようである。

http://blogs.bizmakoto.jp/bunjin/entry/17469.html

戦争の語り部が少なくなる中、新しい技術を駆使したこうしたドラマの制作は大変意義深いことである。

作・中園健司、制作統括・篠原圭と言えば、離島の裁判官を主人公とした名作ドラマ「ジャッジ」のコンビである。平成20年5月の日本裁判官ネットワークの例会では、篠原さんをお招きして、「ジャッジ」制作の舞台裏のお話をうかがった。そういう御縁や経緯からも、15日夜の放映を楽しみに待っている。             (くまちん)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1 最近見たあるテレビの健康番組で,感動的な便秘解消法を説明していた。実験してみると,甚だ簡単な方法であるが,驚くべき効果があるので紹介しておきたい。特に女性の方は是非試してみて下さい。
2 朝起床前の10分間,布団の中で「うつぶせ」になる。ただそれだけのことである。腸の位置が移動することで腸が活性化し,約10分でトイレに行きたくなるというのである。腸も若返り健康になるということであった。早速実験してみると,私の成功率は完璧であり,100パーセントである。
3 私の場合には,10分後に起きて出勤に向けた準備をしていると,自然にトイレに行きたくなってくる。うっかりウトウト眠って20分にもなると,腹痛を起こしてトイレに駆け込む事態となる。以前はトイレに行きたくはならないが,毎朝の定例行事としてトイレに行って,目的を達していたということである。
4 テレビの放映でも,週1回だけ便通というような頑固な便秘の女性でも,完全に便秘が解消したということであった。夜実験すると夜トイレに行きたくなるので,朝の方がよいと思う。しかし小さな子供さんがいるなどして,朝が慌ただしいお母さんは夜の方がよいかも知れない。1回実験してダメでも,1か月程度はしぶとく試してみるのがよいと思う。週日がダメなら,土,日にゆっくり実験してみることをお勧めしたい。必ず成功するし,自分にあったよい方法が見つかるように思われる。
5 多くの男性は便秘ではない人が多いが,男性の場合でも実験する価値はある。私は,その時間うつぶせになって本を読むことが多い。これが一番よい継続法であると思っている。
6 私は,「天下の快男児を目指していたら,「かな」でたった一字違いの似て非なるものになってしまった。それはなーんだ。」という,余り上品ではないクイズで,酒席などで多くの人を笑わせてきた。答は「天下の快便児」である。「だ」と「べ」というたった1字の違いに過ぎないが,全く大違いの似て非なるものである。これは結構受けるクイズであるが,今度は「快便児」ではなく,「快々便児」になってしまったということになるだろう。またこれからは面白いというだけではなく,「聞いてよかった」という実益付きのクイズになるので,クイズを出す機会は増えそうである。
7 こんな簡単な方法が最近発見されたというのであれば,不思議な思いもあるが,最近は,機会あるごとに,例えば眼科医院の看護婦さんなど,主として多くの女性にこの話をする「変なおじさん」役を演じている。またわがトレーニング一覧表にも,この「うつぶせ」という項目が書き加えられたことは言うまでもない。(ムサシ)


 



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




  上記期間の観劇記録をまとめると、以下の通り。

   ◎は大満足、○満足、△まあ満足

  <>内の出演者はあえて一般的な知名度のある方に絞っています。あしからず

  1月 ◎こまつ座「太鼓たたいて笛吹いて」(紀伊國屋サザンシアター)<大竹しのぶ、神野三鈴、山崎一>

      「聖戦」「大東亜共栄圏」という美しい「物語」を作り、「物語」に合わせ、従軍作家として「太鼓たたいて笛ふい」た、作家林芙美子。終戦直前の時局講演会で「最早きれいに負けるしかない」「でもそんな技量と度量のある指導者はいない」と口走る林芙美子。戦後は、自らの戦争責任を果たすように庶民の物語をひたすら書きまくり「緩慢な自殺」を遂げた林芙美子。「司法改革」「法曹一元」という美しい「物語」を作り、美しい「物語」に合わせ、御輿を担いで太鼓たたいて笛ふいた私にグサッと刺さる芝居である。我々は、司法改革を「きれいに負ける技量と度量」を持った指導者を抱けるのだろうか。私は、司法改革のB級戦犯として、どのように「緩慢な自殺」を遂げて行こうか。

      大竹しのぶさんの圧倒的な熱量は言うまでもないが、一昨年の年末に見た「組曲虐殺」とかぶる役柄で神野三鈴さんと山崎一さんが好演。神野三鈴さんのファンクラブに入ってしまいました。笑。

      日弁連職員きっての演劇通Mさんとの立ち話で、お互いに見た芝居は違えども、今年に入ってのベストがこの作品であることは見解が一致した。

      3月には、これも林芙美子が登場する「女三人のシベリア鉄道」(劇団銅鑼、森まゆみ原作)を鑑賞する予定。

          ○世田谷パブリックシアター企画「トライブス」(新国立劇場小劇場)<中嶋朋子、田中圭、大谷亮介、鷲尾真知子>

           翻訳劇はどうもピンとこないものが多くてしばらく遠ざかっていたが、この作品は良かった。家族内で唯一聴覚に恵まれない主人公の疎外感。途中で聴覚を失ったため、聴覚障害者たちの仲間から疎外感を覚える主人公の彼女。コミュニケーションについて考えさせる好作品。中嶋朋子さんの手話が美しい。緊迫した場面で、主人公たちに敢えて手話のみで会話させる脚本の素晴らしさ。主人公たちの疎外感を、観衆も共有することになるのだ(パンフレットには、その場面のみ台本が抜き刷りされている)。

         △小野寺修二カンパニーデラシネラ「ある女の家」(新国立劇場中劇場)<浅野和之>

          「俳優・浅野和之」を期待して行くと裏切られるダンスパフォーマンス+無言劇。でも、「浅野さんって、あんなに踊れるんだ!」という嬉しい発見。

2月   △トム・プロジェクト「案山子」(下北沢本多劇場)<近藤正臣、田中美里>

        戦争が終結したにもかかわらず、案山子の兵隊をおとりに上陸した米兵と戦おうとする集団のお話。田中美里演じる戦争未亡人は、髪を切って入隊を志願して断られ、義父とともに案山子の軍隊を率いるのだが、国防婦人会の竹槍訓練やバケツリレーには、冷静な批判を加える理性を残している。ある集団に帰属することで自分の「居場所」を見つけた人々が、その所属する集団のおかしさに半ば気づきながらも、そこから離れられない怖さを感じさせる。

        △劇団NLT「OH!マイママ」(旭川市公会堂)

         正統派のフランス喜劇。比較的展開も読みやすく、演劇鑑賞団体向けの演目ではある。20年以上前の初演の頃とは、性同一性障害についての捕らえられ方が大幅に変わり、しんみりとした味わいが加わったと思われる。

         ○Bunkamura「もっと泣いてよフラッパー」(シアターコクーン)<松たか子、松尾スズキ、りょう、串田和美>

         20年代のシカゴを舞台に大人のエンターテインメントに徹したかつての「自由劇場」の代表作品。3時間20分の長丁場だが理屈抜きに楽しめ、長いと感じさせない。松たか子さんを間近に見られて感激。串田和美さんの世界に迷い込んだような松尾スズキさんが、一際可笑しい。

                                                                                      (くまちん)

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




7 先日猫が1泊で避妊手術を受け,翌日連れて帰ったが,相変わらずのいたずら猫で,「クリ」という名のとおり,クリクリしたいたずらな目をしており,元気に走り回っている。動物病院でも,「クリクリしたいたずらな目をしていますね。」と言われた。
8 最近わが家は1階の居間も2階の部屋も,多くの部屋に椎の実が沢山転がっており,うっかり歩くと椎の実を踏みつぶすことになり危ない。全部で15個以上はある。なぜこんなことになっているのか,暫く謎になっていた。わが家は親子とも大のどんぐり好きなので,どんぐりが転がっているのであれば,まだ理解できないわけではない。以前何度も子供と沢山どんぐりを拾ってきて,玄関や居間,トイレなどの飾り(置物)として沢山置いていたことがあるからである。しかし椎の実を集めたことはなかった。ところがつい先日その謎が解けたのである。犯人はわが家のいたずら猫だったのである。
9 一体どこに椎の実があるのか。調べてみると何のことはない。わが家の裏庭に椎の実が沢山転がっていた。裏隣りの家に大きな椎の木があり,その枝がわが家の裏庭の上に伸びており,沢山の椎の実が落ちていたが,わが夫婦はそれを気に留めていなかったということである。「お隣りの 落ち葉はわが家の 庭が好き」という川柳があるが,わが夫婦は,それもまた風流であるとして,隣の落ち葉を歓迎する態度である。「お隣りの 椎の実もわが家の 庭が好き」ということであった。しかしなぜこの椎の実が家の中に沢山転がっているのだろうか。
10 わが家の裏側の1階の洗面所の窓の下の外壁には,妻の父の工作で以前飼っていた猫用の小さな階段が3段取り付けられており,少しだけ開いた洗面所の窓から猫が自由に出入りできるようになっている。そしてその階段を登ってきた猫が,口から3個の椎の実を吐き出すところを妻が目撃して,謎は解けた。猫は自分のおもちゃにするために椎の実を咥えてきていたのである。そしてあちこちに転がっている椎の実を前足で転がして遊んでいるという次第である。今も毎日少しずつ椎の実が増えている。
11 犬と猫のどちらも好きという人は多いが,実は本当にどちらも好きだという人はおらず,本当に好きなのはどちらか一方だけであり,もう一方はそこそこ好きであるに過ぎないという説がある。犬と猫の好きな人は,結局「犬人間」か「猫人間」のどちらかなのだという説である。もう40年近く前に読んで,記憶も不確かな話であるが,ある大学の法学部の教授が書いた「ざれごと随想」のようなものであった。そしてそれを読んで私は大いにその説に賛同したのである。因みに私は「犬人間」ということになる。妻と2人の子はおそらく「猫人間」であると思うが,近く確認することにしたい。
12 わが家では私が小学1年生のころ,近所の人から雌の子犬を貰って,子供たち4人は大層可愛がっていた。その後の10年近く,私が高校生になって家を出るまで,毎日その犬と一緒に生活していたので,私の青春時代の前半は犬と一緒に過ごしたと言ってもよい。そして私が猫を飼うようになったのは,それから約40年後のことであり,長女と次女は,犬でなく猫との生活が先行している。
13 私が「犬人間」であり,長女と次女が「猫人間」であるとすれば,それまでの生育環境からすると,いわば必然のことと言うべきであろうか。人はみんな生い立ちの中で接する機会のあった動物を好きになったのであり,犬は苦手という人は単に,子犬を飼って生活を共にした経験がないということに過ぎないのではあるまいか。(ムサシ)



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




 日弁連の地域司法シンポジウムが、明日3月6日木曜日の午後1時半から5時まで船橋グランドホテルで開催される。なぜ船橋か? 何も船橋ヘルスセンターの跡地を見学して「8時だよ全員集合」が収録された昔を偲ぼうというのではない(←言うことが古い)。

 船橋市と市川市、浦安市は、千葉地裁・家裁本庁の管轄だが、家裁事件は基本的に市川の出張所が担当する。しかし、事件によっては本庁に行かなければならないなど、出張所として扱える事件に限界があり、ややこしい。例えば、離婚調停は市川で出来るが、調停がまとまらずに訴訟になると千葉家裁に行かないといけない。また、出張所の管内である三市の人口は合計約125万人もあるので、出張所ながら水戸家裁本庁や宇宮家裁本庁並みの事件が押し寄せている。そのため市川出張所では慢性的に調停がパンク状態である。市川の調停委員さんたちの団体は、これまで出張所を支部に昇格させて欲しいという運動を地道に展開してきた。そうすれば裁判所の人的物的条件は良くなるだろうし、支部で殆どの事件が扱えて住民の利便は増すからだ。ことは家裁に限らず、民事事件についても、市川には簡裁しかないので、140万円を超える事件は千葉地裁本庁に行かなければならない。これも支部になれば市川で扱えるようになるのだ。日弁連としてもこうした動きを盛り上げようと今回のシンポジウムを開催するものである。そして、ここに全国各地で支部新設・復活を希望している人たちが集結する。

 司法予算もなかなか増えない中、都市周辺住民のために支部を作ると、逆に過疎地の小さい支部が廃止されるのではと危惧する声もあるが、そもそも司法予算がこんなに少ないのがおかしいのだ。

 当日は、コント集団ザ・ニュースペーパーの浜田太一さんと山本天心さんが、コントを披露する予定である。浜田さんが簡裁・出張所管内から本庁に通う住民の苦労をパントマイムで表現されるそうなので、楽しみにしている。

 とにかく肩のこらないシンポジウムなので、飛び入り参加大歓迎。懇親会もあります。

                                                              (くまちん)



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )